わが心の近代建築Vol.90 旧前田家本邸洋館/東京都目黒区
みなさん、こんにちわ。
今回は、東京都目黒区にある前田邸について記載します。
前田邸に関しては、きわめて広大なため和館と洋館を分割して記載し、今回は洋館部分を中心に記載したいと感じます。
≪前田邸の歴史について≫
❏本郷から駒場へ
もともと、前田邸は、上屋敷があった本郷に邸宅を構えており、現在地の駒場には東大農学部の敷地がありました。
1923年9月1日に関東大震災があり、大学敷地を本郷に集中させたかった東京帝国大学側と、都会の喧騒を離れ、閑静な場所に邸宅を求めたかった前田家当主の前田利為との間で等価交換が行われ、この地に移動しました。

その反対に、当時、本郷にあった第一高等学校(現・東京大学教養学部)が駒場に移動することになり、このため東大キャンパスの設計を担った内田祥三は、移動するために本校と同じ時計台を駒場にも設計することとなり、東大駒場キャンパスに本郷の安田講堂に似た建物が建つ理由になりました

なお、前田利為が去った本郷の前田邸は、東京帝国大学の迎賓館として使用されていましたが、1945年の東京大空襲で焼失し、現在は足場の一部が残るのみとなります。
❏利為公の考えとして
当時の駒場は、見渡す限りの草原が広がる放牧的な風景が広がっており、対応経験が豊富で駒場本邸の建設時は英国大使館附武官としてロンドンに在籍しており、郊外にあるカントリーハウスに招かれ親交を深めたことから、駒場の地に賓客をもてなすにふさわしい邸宅を求めました。

❏工事に際して
建築に際して、前田家は臨時の建築委員会と設計チームを立ち上げ、葬式を東京帝国大学工科大学教授の塚本靖(1869~1937)を中心にスタッフが集められ、必要に応じ、最新設備の採用や家具購入のため欧米へ派遣され、ロンドンにて、利為公と打ち合わせをするなど、入念な準備の下に建築を始めました。

❏東洋随一の邸宅
1930年に前田利為が帰国に際し、本堤の移転が図られますが、1万坪の土地には洋館以外に事務所・車庫・温室などが置かれたほか、隣接地には前田家伝来の貴重な品々を保管し研究する尊經閣文庫が置かれました。
南側には芝庭、和館には日本庭園を設け、本郷邸から移築された樹木や庭石が配され、その佇まいは東洋随一と謳われました。
利為公は、そもそもは和館を立てる予定はなかったものの、加賀百万石の前田家ということ、また、外国人の方を日本分亜kでもてなすための和館を1930年に建てる事となります

❏その後の前田邸
1942年に前田利為が亡くなったのち、邸宅は他人の手に渡り、一時は中島飛行機の本社が置かれましたが、戦後は他の洋館と同じく、こちらもGHQから接収を受け、1957年までの12年間で連合軍極東軍事司令官の鑑定などに利用され、当初はDマッカーサーが入居する予定でしたが、警備上の問題からリッジウェイが入居。

接収解除後は、1964年に東京都の管轄となり、1967年に都立駒場公園として開園し、邸宅は1967年~2002年まで東京都近代文学博物館として使用されました。
東京都近代文学館の新規オープンに併せ、邸宅は一般公開され、2013年に和館・洋館を含む建造物8棟が「旧前田家本邸」として国の重要文化財に選定されています。
≪たてものメモ≫
旧前田家本邸洋館
●竣工年:1929年
●設計者:高橋貞太郎/塚本靖
●文化財指定:国の重要文化財
●写真撮影:可(商用不可)
●入館料:無料
●休館日:年末年始、毎週月曜日/火曜日(祝日の際には翌日)
●交通アクセス:京王井の頭線「駒場東大前」駅より徒歩7分
●参考文献
・田中貞彦著「死ぬまでに見たい洋館の最高傑作」
・内田青蔵著「お屋敷散歩」
・BS朝日放映「百年名家」
●留意点:
水曜日・木曜日・金曜日・土曜日・日曜日・祝祭日にボランティアガイドがあります(時間は要確認)
≪施主 前田利為≫
前田利為(1885~1942)は、旧七日市藩知事 前田利昭子爵の5男として生まれ、前田宗家15代当主 前田利嗣の婿養子になり家督を継ぎ、陸軍将校を目指し、1905年に17期陸軍士官学校を卒業し、23期陸軍大学校を卒業。陸軍士官学校の同期には東条英機がいます。
のちに先妻の死に伴い、伯爵酒井忠嗣の次女菊子と結婚し、陸軍中将まで登りつめ、1939年に予備役に編入するも、1942年に召集されボルネオ守備軍司令官のいなるも、ボルネオ沖の飛行機事故で亡くなります。

(前列左より)菊子夫人/彌々子(3女)/利為公/利祐(利建長男)/朗子(利嗣夫人)/和子(利建長女)/綾子(利建次女)
(後列左より)智意子(次女)/美意子(長女)/利弘(3男)/利建(長男)
≪正門部分≫
竣工当時からの門で、右側には本邸と同じく、とんがり屋根がアクセントとなっています。
また、前田邸でも1923年に竣工した帝国ホテルライト館の影響を受けてか、スクラッチタイルが使用されています

≪邸宅外観について≫
❏玄関部分
について邸宅は当時イギリスなどで流行したチューダー様式を採用し、関東大震災の被害から不燃性に重きが置かれ、鉄筋コンクリート構造となっています。邸宅一面には、フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルで採用し、爆発的な人気を博したスクラッチタイルが貼られており、右側に見えるとんがり屋根がアクセントとなっています。

車寄せ部分を見ると、扁平アーチが付けられていますが、これがチューダー様式の特徴となっているほか、建物の所々にクリーム色の大華石を用いて、建物全体にアクセントを加え、床面には布目タイルを使用しています。
車寄せアーチ部分にも、細かい装飾が付けられているところなども見どころの1つです。

❏北側部分
こちらは家族用玄関が置かれたほか、右側の階段部分は厨房やボイラー室などの地階への通路が設けられています。(現在は非公開)

なお、北側の先にはかつては車庫が置かれていましたが、現在はトイレになっており、かつての車庫の形をモチーフにして作られました。

❏東側部分(通常非公開)
東側は通常非公開となっており、和館への渡り廊下のほか、壁泉部分があります。壁泉に関しては、当時前田邸では馬を飼育しており馬の水飲み場などとして活用していました。
なお、こちらに関しては毎年文化の日を境に東京都で行い文化財ウィークで公開されます。

壁泉部分は、カスケード(段滝)になり、美しい緑秞タイルに、下部は前田家地元金沢で採られる日華石を使用しています。

壁泉の蛇口部分には、通常はライオンなどが使用されるところ、前田家では羊をモチーフにしていますが、羊には古来より幸運や豊穣の意味があり、ここでも、そのような意味合いが込められています。
❏南面外観
前田邸洋館は、鉄筋コンクリート建築の地階1階、2階建て建造物となります。屋根裏が設けられ、右側の6角形塔屋部分は洗濯所として使用され、左側のとんがり屋根部分はナース室として使用されました。

2階ベランダ部分の両サイドには、大華石製の羽の生えたライオンが設けられていますが、ガーコイルと呼ばれています。
西洋建築では恐ろしい見た目から、建物の外にいる悪霊や悪い気を吐き出す魔除けの役割があると考えられてきました。魔除けの意味で

1階ベランダ部分は、日華石製で床部分は細かいタイルが貼られており、3連アーチ部分は、チューダー様式の最大の特徴である、扁平アーチになっています。

また、見逃しがちですが、玄関やベランダにあるプランターに、前田家の家紋、|加賀梅鉢《かがうめばち》が入っていますが、前田邸では、洋館・和館ともデザインとして多数使用されています

なお、庭園部分は、かつては芝庭となっており、馬などが飼われて馬術が行われていました。
現在の桜の木は、都立駒場公園になる際に植えられたもので、雪の日などはスキーなども行われていました。

前田邸に関しては、GHQから接収を受けますが、かつてGHQの将校たちが、キャンプファイヤーやバーベキューを行たとされる煙突跡が残されています

≪平面図≫
渡り廊下を通じて、のちに設計された和館につながっており、1階部分がパブリックスペースに対して、2階部分は家族用スペースに使用されましたが、そもそもは、子どもたちの部屋はなく、客間・書庫などを子どもたちの部屋に充てました。

≪1階室内についての記載≫
❏第一応接室
こちらは菊子夫人や霊場の来客の場として、習い事などにも用いた部屋になります。
白タイルでできた背の高いマントルピースが特徴的です。床の寄木細工が華やかさを演出し、竣工時はダマスク柄の壁紙に黄色いカーテンが設えた明るい部屋でした

❏1階サロン
玄関ホールに続く部屋で、第一応接室の向かいにある部屋になります。玄関ホール同様、太いチーク材の梁の天井とパネル状に貼られた腰板、黒色大理石の暖炉上の大鏡など、内部も豪華です。
また、全面の庭園に出られる窓はカットガラスになっています。

暖炉わきのグリル左側には、かつて、前田家で使用されたスイッチが残されています。前田邸では、暖炉こそあるものの、実際に火をくべるものではなく、邸宅の地階にボイラー室が設けられ、セントラルヒーティングになっていました。

室内の前にある柱は左右2本の黒緑色の大理石の2本の柱が重厚さを演出しています。柱はイオニア式列柱となり、先端部分にはアーカンサス(葉アザミ)があしらわれています。

❏1階ホール部分
2本の太い大理石の太い角柱を間に、奥には階段広間がひろがり、ホールとサロンの間には2本の太い柱が配されており、天井部分は太いチーク材が連続しています。
なお、前田邸時代には、前田家伝来の古美術品、珍しい観葉植物などが飾られていました。

長女 酒井美位子氏の自伝によると、喜久子夫人は、常時でもヒールを履き、朝から寝る時までドレスで過ごしていたため、階段の勾配は非常に緩やかに造られ、美位子氏は、階段手摺を滑って遊んだことが伝えられています。

❏イングルヌック
暖炉わきの暖か小さなスペースをイングルヌックといい、階段下のスペースを活用し、小さな談話室のような形になります。
施主の前田利為に親しい人がここに招かれ、談話し、利為公は奥に座り、ホールを行きかう使用人に合図を行い、賓客をもてなします。
また、窓には黄色のステンドグラスが貼られ、座席の後ろには扁平の3連アーチの棚が置かれています。

❏小客室
大客室とシャンデリアや壁紙は同じですが、マントルピースは小ぶりで、明るい色の大理石を使用しています。南の柴庭に面して、当時は非常に高額だった巨大な1枚ガラスの開き戸を用いてています。

大客室と小客室の間は引き戸で繋がっており、来客が多い時などは、引き戸を開放して、1つの部屋として使用できるようになっています。

❏大客室
顧客の方がくつろいで過ごせる部屋になっており、室内には座り心地の良いソファやティーテーブルが置かれていました。
当時の室内には、絵画や美術品、珍しい観葉植物が置かれ、電子ピアノも置かれていました。
小客室同様、クリスタルガラスが使用された照明が使用されていますが、天井周りなど、さらに豪華になっています。

奥側のピアノの両脇に付けられたラジエーターのグリル部分には、前田家の家紋、加賀梅鉢がこちらにもあしらわれています。

❏大食堂
こちらは晩さん会などに使用され、最大26人でのディナーが可能でした。天井部分の梁、腰板にはチーク材のパネルが貼られており、腰板に関しては、通常の室内よりも高いものになっていますが、これは、来客者の声を響かせるためのものです。

マントルピースが部屋の中核になっており、白大理石製。細やかな装飾が付けられており、暖炉の周りには典的な文様の金唐革紙で飾られています。

マントルピースの反対側は、半弧型のボウウィンドになっており、ガラス部分は、カットガラスを使用しています。

❏小食堂
家族用食堂として使用されましたが、前田家では夜食のみ、家族全員で食べ、朝食は各々の部屋で摂りました。
窓ガラスは全面にカットガラスを使用した扉になっています。棚部分には、鏡が取り付けられ、晩餐会などの際には小食堂が配膳室として使用され、大食堂の様子を見ながら、食品を提供していました。

食堂の下は厨房になっており、エレベータが設けられ、これを用いて食事が地下から提供されました。なお、食堂らしく、上部にはフルーツなどが彫刻で描かれています。

料理などはエレベータで上げられるわけですが、キッチンスタッフが実際に邸宅に上がり、配膳や盛り付けを行う事はありませんでした。

食堂の外はテラスになっており、前田家では食事をしたのちには、こちらで団欒などを行うこともありました。
左側は和館への渡り廊下になっています。

小食堂側から廊下を見ると、小食堂側がプライベートルームになるため、奥側の廊下に比較して、非常にシンプルなものとなっています。

≪2階室内についての記載≫
❏ホール部分
2階は1階に比較して、個々の部屋などのパブリックスペースになり、ホールが中心となります。
窓部分には、3連アーチ窓が3つ並んでおり、黄色いステンドグラスに目を奪われます。また天井部分は太いチーク材の梁が連続して貼り付けられています。

❏長女居室
玄関車寄せ上部の室内になり、本来の予定では、第一客室の予定でしたが、長女 酒井美位子氏の部屋に割り当てられました。2室に仕切ることもできる広い部屋で、カーテンは書斎と同様なものを用いてますが、壁紙などはかわいらしいものを用いています。

照明部分も非常に特徴的で、照明飾りに関しては星型となります。

酒井美位子さんは、幼いころ思い出の手記として、ここに降りて、遊んだりしたことが自伝で伝えられています。

❏3男居室
当初は、予備客室として予定されていた部屋で、前田家男子は、日常は大久保邸に住み、週末に本邸に帰ってくる生活を過ごしていました。そして、上2人の男子は既に成人していたため、邸内には住みませんでした。
壁紙は、竣工当時は水辺の柳などが描かれたアジア的なモチーフでした

❏書斎
邸内で最も重厚な室内になり壁はチーク材パネルと金唐革紙で装飾され、天井部分にはチーク材の鏡板を用い、床面は寄木モザイクに絨毯を敷いています。暖炉においては、主人の部屋という事もあり、特別な糸の部屋として、龍が描かれています。

次の間部分は、書斎と内装もほぼ同じで、洋風の造りに合わせた床の間を配されています。
床の間部分の壁紙に関してはサルブラ社製(スイス)。渋い金彩を放っています。

❏次女居室
もともとは、書斎に通じた図書室として計画されていた部屋で、右の壁側には、一面に書棚が造り付けで置かれていましたが、次女生誕に伴い、次女居室に変えられました。

シャンデリアに関しては12角形の変わった形になっており、中心飾りに関しては、星形になっています。

マントルピースに関しては青タイル製になっており、元々が書斎の附属室(図書室)であったためか、グリル部分は、邸宅の様々な場所で見られた加賀梅鉢があしらわれています。
❏夫人室
菊子夫人の居室で、家族団らんの場でもありました。
前田邸が重要文化財に選定されたのちの工事で、復元された部屋で、カーテンや絨毯は紫色。壁紙も華やかなだます区の大柄を用いており、邸内で最も華麗な室内になります。

マントルピースは、鏡付きの優美な形になります。
グリルには菊子の名前にちなみ、小菊模様になっており、非常に華麗なデザインになります。

この部屋のカーテンにはバラがあしらわれており、女性らしいデザインとなるほか、窓枠のステンドグラスにも、小菊があしらわれたデザインとなります。

❏寝室
利為/菊子夫妻の寝室で、壁紙は金銀の色彩で、枕元部分の壁龕には武家の前田家らしく、守り刀が収めれていました。
ベッドやキャビネットはイギリスの高級家具メーカー、ハンプトン社製のオーダーメイド家具になっています。

❏浴室/浴室
手前が洗面台、奥部分が浴室になり、寝室と直結しています。
前田邸では、地下にボイラー室を持ち、セントラルヒーティング以外にも湯が出る最新の仕組みとなっています。
浴室に関しては湯殿こそ残されていませんが、天井部分には通気口が設けられています。


❏3女居室
もともとは、菊子夫人の化粧室として用意された部屋で、浴室に直結していました。
そのため、室内にはラジエーターのみで暖炉は設えていませんでした。婦人用の部屋だったため、円弧状の窓が張り出し、天井のモールディングやシャンデリアも優美な室内になっています。

3女居室前の廊下の彫刻部分には、架空の植物である宝相華が描かれています。
中国の唐代に広まった唐草文様が起源とされ、日本の奈良時代・平安時代に仏教美術を中心に盛んに用いられました。
蓮の花や牡丹、架空の花などを組み合わせ、豊かで荘厳な雰囲気を持つのが特徴です。

❏女中室
前田邸洋館には、小さな和室がありますが、女中室として使用されました。
前田家に勤める女中さんは、地元金沢の名家のお嬢さん方で、前田邸での給仕を通じて花嫁修業などを行うため、茶の訓練などを行うため、床の間が付けられたものになっていました。


❏会議室
北側の大きなホール部分は、前田家の評議員が集まり、前田家の今後の会議などに使用されました。
また、利為公が陸軍中将という要職だったため、部下を招いて宴会などを行ったりもしました。
かつての部下だった青年将校たちの談話では、利為公は、よく部下を招いては、励ますため、食事会を行ったり、記念品を贈ったりしたそうです。

❏屋根裏部分
昨年の文化財ウィークで公開された場所で、前田家では屋根裏にか看護室やバンケットルームが置かれたほか、遊戯室としても用いられました。

❏編集後記
旧前田家本邸洋館に関しては、過去にも記載しましたが、今回、改めて記載しましたが、行くたびに様々な発見のある、自身としても、何度来ても新たな発見のある洋館で、今回記載してみても、新たな発見がありました。
今年も文化財ウィークでは、前田邸も参加し、様々な催し物が行われますが、時間のある方は一度訪問されることを強く推したい場所のひとつです。
