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【再記載】わが心の近代建築Vol.60 赤坂プリンスホテル クラシックハウス(旧李王家東京邸)/東京都千代田区

みなさん、こんにちわ。
今回は、東京都の紀尾井町にある赤坂プリンスホテル・クラシックハウス(旧李王家東京邸)について記載します。
なお、今回は、4月上旬に訪問したイベントで、クラシックハウス様のご厚意で見させていただき、写真などを再記載し直しました。
※その際に写した写真は★印を記載しています

≪ガーデンプレイス紀尾井町の歴史≫
①江戸期の紀尾井町

まず、紀尾井町に関しての由来ですが、千代田区の西部に位置し、港区の赤坂地域や、新宿区(四谷方面)に接しており、山手線を中央に見立てると、ほぼ中央部分に位置します。
紀尾井町の由来として、江戸城に近い外堀地区にあたり、江戸期は武家屋敷町として発展。特に徳川家に近い大名が屋敷を構えたことで知られており、なかでも「州徳川家」「張徳川家」「彦根伊家」といった徳川家の中枢を担う大名が屋敷を構え、1872年、その武家屋敷から1文字ずつ取って「紀尾井町」と命名。
なお、江戸切絵図を見ると、画面左下部分がそれに当たります。

江戸期の麹町界隈【国立国会図書館デジタルコレクションより転載】

②明治期の紀尾井町
かつて武家屋敷が並んだ紀尾井町は、維新後には、一区画の面積が広く、それを活かし、伏見宮家、北白川宮家などの宮廷建築が建てられ、かつては番町と並ぶ山の手の一つとして、優雅な佇まいの住宅地として君臨。
なお、明治期~大正期の赤坂見附の写真を見ると、旧李王家東京邸の前に立ってた北白川の宮邸を左上に臨むことができます。

明治後期~大正期撮影の赤坂見附【三井トラスト不動産 このまちアーカイブスINDEXより転載】

③ガーデンプレイス紀尾井町ができるまで
なお、1955年に李王家東京邸は赤坂プリンスホテルに生まれ変わり、1985年には、丹下健三氏設計により新館が建てられ、紀尾井町の街自体も、1975年の再開発により、オフィスビルが目立つようになり、かつての面影は薄れていきました。
また、1990年代のバブル期には高層ビル建設に拍車がかかり、紀尾井町は東京のビジネスの中心地としての地位を確立。
なお…
 ・紀州徳川家:ガーデンテラス紀尾井町/清水谷公園
 ・尾張徳川家:上智大学四谷キャンパス
 ・彦根井伊家:ホテルニューオータニ
となっています。

東京ガーデンプレイス紀尾井町【東京ガーデンプレイスホテル紀尾井町HPより転載】

≪赤坂プリンスホテル・クラシックハウスについて≫
①北白川宮邸 洋館設立まで

なお、今回扱う赤坂プリンスホテル・クラシックハウスについてはもともと、この場所には、清泉女子大学本館や六華苑などを設計したジョサイアコンドルが設計した北白川宮家洋館が建てられましたが、北白川宮家は1912年に高輪南町に移転。

旧北白川宮邸(邸前展示パネルより転載)

②李王家東京邸として
この土地は、1924年に「韓国併合」ののち、日本の皇族に準ずる扱いを受けることになった李王家の手に渡り、1926年から4年かけて、権藤要吉ら宮内省内匠寮設計により1930年に完成。邸宅は終戦まで李王家東京邸として活用されます。

竣工当時の李王家東京邸

③戦後の流れについて
戦後は参議院議長公邸などに使用。
1952年に西武グループ総帥の堤康二朗氏に買い取られ、邸宅を利用して「赤坂応リンスホテル」として開業。
赤坂プリンスホテル新館が1985年に丹下健三設計により竣工され、旧李王家東京邸は「旧館」として結婚式場やレストランとして活用されるも、老朽化を理由に、赤坂プリンスホテルは2011年に休館し解体。2016年にガーデンプレイス紀尾井として生まれ変わります。

赤坂プリンスホテル新館【Wikipediaより転載】

旧館の「李王家東京邸」は、2011年に東京都指定有形文化財に選定され、44m曳家されたのち、基礎と地下部分が工事され、元の位置に戻り、赤坂プリンスホテル・クラシックハウスとして、レストラン/喫茶店/結婚式場などとして活用されています。

曳家工事中に発見された北白川宮邸の遺構

【施主 李垠について】
施主の李垠(1897~1970)について記載すると、初代大韓帝国皇帝・高宗の7男として生まれ、1907年に異母兄の李坧が皇帝に即位したのち、皇太子に叙せられ、東京に留学ののち学習院に入学。1910年の韓国併合後、日本の皇族に準じる王族となり李王(純宗)の王世子となります。
1911年に陸軍幼年学校に転入ののち、陸軍士官学校に入学し、1917年に卒業。1920年には梨本宮方子女王と婚姻、1926年4月24日、純宗(李王)が薨御し、「昌徳宮李王垠」となり、この年から邸宅の工事が着工。最終的には陸軍中将に叙せられます。
終戦後は度重なる詐欺に遭い、邸宅などを喪い、紀尾井町の邸宅を売却。
1960年に実権を握った朴正煕により、李垠と方子の韓国への帰国が可能になり、1963年に韓国に移り住み、1970年に永眠します。

施主 李垠【Wikipediaより転載】

【たてものメモ】
旧李王家東京邸(赤坂プリンスホテル・クラシックハウス)
●竣工年:1930年
●設計者:(権藤要吉ら)宮内省内匠寮
●文化財指定:東京都指定有形文化財
●公開:詳細は実際に電話して確認ください
●交通アクセス:
 ・東京メトロ「永田町駅」9-b出口より徒歩1分
 ・「赤坂見附」駅 地下歩道D紀尾井町方面より徒歩5分
●参考文献
 ・内田伸一編「東京都有形文化財 旧李王家東京邸」
 ・内田青蔵/小野吉彦著「お屋敷拝見」
 ・各種歴史はWikipediaなどを参照

【邸宅の外観】
①正門部分
正門部分は、過去の写真を見ると非常に良く保存されており、壁部分はスパニッシュう風に渦巻き状の模様が付けられています。
なお、曳家して耐震/地下工事した際、北白川宮邸の基礎部分が出てきました。

★旧李王家東京邸 正門部分から臨む

建物の正面の写真を見ると、従来の洋館と異なり、1階と2階部分の間の胴蛇腹などの装飾はなく、その代わり窓が多く設けられていいます。竣工当時に流行したスパニッシュ風の壁面になっています。

★旧李王家東京邸 正面部分

屋根部分は、急こう配の屋根になり、明り取りのためのドーマー窓が設けられ、中央部分に塔屋なども備えられており、中世フランス建築風の意匠になっています。

正面屋根部分

一方、車寄せ部分を見ると、こちらはアーチ状の出入り口に頂点の部分をとがらせた、15~17世紀にイギリスで流行したチューダー様式になっています。

車寄せ部分

②南側外観
南側は、正面部分が非対称的なのに対し、3連アーチ部分を挟んでの中心部分は左右対称になっています。
アーチ上部はハツリのある木の梁と持ち送りによる「張り出し床」の造りが見られます。
また、左右両サイドには塔屋と円筒形の部分があり、インパクトを与えています。

★南側外観部分

1階右側部分の円筒部分は、竣工当時は応接として使用。基礎部分が外壁部分に対して貼り出しており、周囲にはねじり柱が付けられています。また、2階部分にはバーコラが特徴的なバルコニーが目につきます。

南側 旧応接間側の外観

また、食堂の3連アーチ部分の上部は、ハツリのあるが外面に出ているハーフティンバー風になっており、持ち送りが付けられています。なお、この手法は、正面写真の左側部分にもあり、アクセントになっています。

南面 窓枠部分の持ち送り

③ベランダ部分
ベランダ部分は、3連アーチ部分にあり、床部分には布目タイルを使用し、腰板部分と窓枠には同じ材質のものを使用しており、アクセントが加えられています。
また、現在はカフェスペースなどに使用され、南側のため、陽が良く差す形になっています

★南側ベランダ部分

塔屋部分を見ると、右側2階のベランダ部分は、ねじり柱が備えられており、中央部分の塔屋は4階になっています。

④中庭部分
中庭部分は、竣工当時の部分と、増築された部分が向き合う場所になっており、プリンス当時に厨房が増築された部分も旬応答時の姿に戻されました。
こちらも3連アーチの上に、装飾の付いた木枠がはみ出た部分が張り出しています。
また、こちら側から見ると、2本の塔屋を見る事ができます。

★中庭部分

【平面図】
現在の平面図と竣工当時の部分を見比べると、ガーデン右側には解体されましたが、1階に台所など、2階に侍女室などのバックヤードがありました。
また、2階のプリンスルーム部分は御居間/次の間/御浴室/御化粧室などを改築して式場としているなど、現在とは違う状況になっていますが、全体的に竣工当時の姿が遺されています

現在の平面図
竣工当時の平面図

【内観においてー1階部分】
①車寄せ部分
まず、開口部はアーチ状に先端部分がとがった、チューダーヨプ式になっており、天井部分は、白漆喰の格天井になっており、縁に植物の装飾が付いています。また、玄関ホールへの入口部分のガラス欄間部分には、かつての「旧館」という文字が付けられています。

★車寄せ部分

玄関部分を見ると、左側に石膏でできたパネルが目につきますが、こちらは、武石弘三郎(1877~1963)の作品になり、1932年の説があります。
縦88.6㎝、横197.7㎝になり花綱を手にして遊ぶ9人のクビトたちが描かれ、幼少期に天逝された李垠の長男をイメージしていると考えられます。

1階玄関部分

②1階 広間部分
李王家邸宅で、最も多くの人が行きかった部分になります。
まず、目につくのが奥側に見える英国ジャコビアン様式の「ねじり柱」。
また、天井部分は太い化粧貼りが張られ、竣工当初からのデザインが多く残る箇所になります。
また、シャンデリア部分は、様々な経緯で失われたものを再現しています。

★1階 広間部分

なお、広間わきの「ねじり柱」の奥のスペースは、李王家時代には談話室として使用。
狭いスペースにこのような部屋を設ける意匠は、イギリス建築に多く見られるイングルヌック的になります。
なお、こちらの暖炉は実際にはデザイン的なもので、火はつかないですが、暖炉部分の側面にも「ねじり柱」の意匠が付けられ、天板部分の側面にはザクロとツタが彫られた重厚な意匠になっています。

★1階 広間上の談話室

③1階 大客室
大客室部分は、現在はカフェとして使用。
広間部分とうって変わって、明るく華麗な室内となり、長方形の部屋に円筒状のアルコープが付きます。
列柱部分は渦巻き状の飾りがつけられたイオニア式列柱が建ちます。

★1階 大客室

半円形部分の天井は格天井になっており、角柱放射線状に配され、柱頭部分にはアーカンサス(葉アザミ)が描かれ、一つの部屋でありながら、意匠を変えているところに品のある造りになっています。

★1階 大客室の半円形部分

また、この部屋にある白と金の洋奢な家具に関しては、李王家邸宅時代のキャビネットになります。

★竣工当時のキャビネット

なお、ベランダに面した小部屋に関しては、大客間に比較すると、きわめてシンプルに作られていますが、それでもモールディングにお陽が付けられていたりなど、非常に凝った造りになっています。

★大客室隣の居室

③1階 大食堂
こちらは、小客間と続き間として、レストランなどに使用しています。背の高い木製パネルで部屋を囲み、太枠のハツリが付けられた格天井、大きな暖炉といったイギリスの中世風のインテリアになっています。特に暖炉部分に関しては、広間脇の応接室と似ており、両サイドに「ねじり柱」調の意匠が付けられ、天板の側面には、植物の柄が彩られています

★1階 大食堂

④1階 小客室
小客室と大食堂は、ツガイの付いた扉で釘おられており、別室としても、また、続き間としても使用できるようになっています。
こちらも、壁面と扉部分は格子状の木製パネルで囲まれており、天井部分は、太い梁の化粧梁になり、格天井になっています。
暖炉に関しては、アーチ状に切られており、上部には4本の「ねじり柱」と両サイドにステンドグラスが。また、鏡が中央に設けられていますが、この当時の鏡は姿見よりも明り取り的な意味合いが強いため、高い位置に付けられています。

1階 小客室

⑤1階 旧撞球室
こちらは現在、大食堂/小客室/旧撞球室とともにラ・メゾン・キオイとして、ブライダルの打ち合わせ場などに使用。
かつてはビリヤード台が置かれ、竣工当時は紳士たちの社交場でした。
天井部分は太い梁が水平状に並び、窓部分はシンプルながら、すべての窓が異なる意匠になっており、造り付けの棚など、かつての姿を知ることができます。
復元工事に際し、竣工当時の写真を参考にして、ステンドグラスの組み直しや補強が行われました。

★1階 旧撞球室

⑥1階 中庭部分のベランダ
1階部分のベランダは現在、喫煙室などに利用されていますが、こちらの壁泉風の部分はタイル貼りになっており、両サイドには、この邸宅のモチーフでもある「ねじり柱」の意匠が付けられています。また、床部分は目地タイルが貼られた豪華な設えになっています。

★中庭部分

⑦1階表階段
次に玄関部分に戻り、表階段部分を見ると、腰板部分は格子状の木製パネルが付けられ、階段親柱は4本の柱をまとめたような形状になっており、表面には格子状の幾何学的模様の中に花の彫り物が施されています。
手摺子には小さな球状の模様が走り、親柱ともに重厚な階段になっています。

★1階 大階段部分

【2階各部屋を見る】
①踊り場ステンドグラス部分

表階段部分のステンドグラスは、チューダー様式の尖塔アーチ部分に描かれており、外観と内観に豊かさを与えています。
竣工当時の姿を残していますが、経年により、一部分にひずみや破損が見えましたが、今回の曳家工事の際に、ステンドグラスをすべて外し、専門工房で復元工事が行われました。
破損や改変のあった部分に関しては、当時の写真を参考に、当初の姿に極力近づけ、色鮮やかな姿に戻されました。

踊り場 ステンドグラス部分

②2階 広間
2階広間を見ると、天井部分は太い梁が並行に並べられ、床面は組子になっているなどの意匠が見られ、奥側はアイアンワークが施されるなどの意匠が見られますが、2階は主に家族のプライベート・ルームになっているため、1階部分に比べると簡素化されています。

2階 広間

③2階 談話の間≪NETより転載≫
現在は、バックヤード部分として使用。
1階がパブリックな会談の場所であったのに対し、こちらは家族観などのプライベートな階段などに使用されました。
天井部分は、数寄屋建築や茶室などで使われた「網代張」の天井になっており、ステンドグラスや暖炉が共有する、様々な意匠の混じった部屋になります。

2階 談話の間≪NETより転載≫

④2階 殿下/妃殿下 御書斎 サンルーム
殿下御書斎は、格子柄の木製パネルが貼られた重厚な造りが特徴の部屋。
天井部分は1階と違い化粧梁などはなく、モールディングが付けられ、竣工当時からの造り付けの書棚、床面には寄木細工の床から構成され、暖炉も比較的シンプルなものになっています。
なお、寄木の床面は復元されたものになっています

1階 殿下居室

一方、妃殿下御書斎は、重厚な殿下御書斎に比較して、妃殿下の方は、陽が差す、白を基調とした洋奢な書斎になっています。
こちらの造り付けの書棚も、竣工当時からのものですが、白を基調のものになっており、天井はモールディングが施されています。
また、床面の寄木は、今回の工事で復元されました。

★2階 妃殿下御書斎

サンルームは、殿下/妃殿下の御書斎、(かつての)御居間を繋ぐ形状になっており、この邸宅で数多く使用されているアーチ状の壁が付けられ、窓枠も、モダニズム風に。
床面に関しては、布目タイルが使用されています。

★書斎前のサンルーム

⑤2階 プリンスルーム
竣工当時の過去の平面図から見ると、御居間/御浴室/御化粧室などを繋ぎ合わせ、現在は、結婚式などの各種イベントに使用しています。

2階 プリンスルーム

⑥2階 御寝室/ヴェランダ
李垠と方子夫人の寝室として使用された部屋となり、右側の造り付けの大箪笥は竣工当時からのもので、重厚さとシックさを表しています。

★2階 御寝室

また、造り付けの大箪笥に関しては、扉部分に唐草模様が描かれ、時計部分は螺鈿が施されており、こちらは竣工当時からのもので、土岐を現在に伝えています

2階 御寝室/造り付けの大箪笥

御寝室に付随した部分は、サンルーム的な役割も果たします。天井部分はガラス張りにしており、採光が図られ陽の光が差すほか、正面部分の扉にはステンドグラスが貼られています。

★2階サンルーム部分

⑥2階 内階段/廊下部分
なお、2階廊下から内階段を臨むと、プライベートなもので、大階段に比較して、シンプルな造りいなっていますが、3連アーチや、2階の腰板部分には装飾が付けられているなど、凝った造りになっています。

2階 牛階段階段から廊下を臨む

【編集後記】
こちらの建物は以前からは存在は知っていましたが、2月に公開イベントがあるので訪問した次第。
また、4月上旬、偶然知ったイベントで訪問しましたが、今回ゆっくり見て、その建築の美しさに感動すると同時、同じく宮廷建築の竹田宮邸 洋館に関しても、病気が完解した今だからこそ、訪問したいと感じた次第です。

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