わが心の近代建築Vol.69 グランドプリンスホテル高輪貴賓館(旧竹田宮邸洋館)/東京都港区
みなさん、こんにちわ!!
今回は、FBで投稿した場所から、高輪プリンスホテル迎賓館(旧竹田宮邸洋館)について記載します。なお、この邸宅は、皇族・竹田宮家の洋館として作られたもので、迎賓館として使用ののち、西武グループに買収後、洋館のみ遺され、現在は結婚式以外にも各種イベントに使用され、かつての高輪界隈に建てられた宮廷建築で現存する唯一のものとなります。
≪たてものメモ≫
●高輪プリンスホテル迎賓館(旧竹田宮家洋館)
●竣工年:1911年
●設計者:
・片山東熊
・渡辺譲
・木子幸三郎
●改築担当者:村野藤吾
●文化財指定:―
●参考文献:
・鈴木博之著「皇室の建築」
・内田青蔵著「お屋敷拝見」
・金井美由紀編集「皇室ゆかりの邸宅―令和を迎えて」
・高輪の歴史などはWikipediaなどを参照
●留意点:
通常非公開、各種イベントなどで使用され、その際に見学可能となります。
≪高輪の歴史について≫
Ⅰ:江戸期の状況
現在、竹田宮邸の周囲はホテルが林立していますが、これらの広大な土地は、もともとは「薩摩藩島津下屋敷」をはじめとした大名屋敷があり、高輪界隈は風光明美な場所として広く知られました。

【国立図書館HP 「錦絵で楽しむ江戸名所」より転載】
Ⅱ:明治期の状況
東海道沿いには多数の中屋敷・下屋敷が置かれ、明治期には、政財界の要人や家族の邸宅に割り振られます。
・薩摩藩島津下屋敷:政治家の後藤象二郎邸
・久留米藩有馬家下屋敷:高輪毛利邸
となり、邸宅からは品川の海を臨むことができました。

【東京都立図書館HPより転載】
後藤象二郎亡きあと、宮内省は後藤象二郎邸を購入し、「高輪南町御用地」として、宮家の仮住まいを置き、明治40年に明治大帝の皇女…
・第六皇女 昌子内親王:竹田宮家
・第七皇女 房子内親王:北白川宮家
・第九皇女 聡子内親王:東久邇宮家
に嫁いだことから、御用地を分割される形で割り当てられました。
Ⅲ:戦後の流れについて
戦後、GHQの政策により、皇族の特権廃止、財産税法などあり、竹田宮家ら11皇族は皇籍離脱し、これらの大邸宅の多くは売却や物納を余儀なくされました。
1950年前後、西武グループは「高輪毛利邸」「竹田宮邸」「北白川宮邸」の土地建物を取得。
・竹田宮邸の土地:「プリンスホテル」
・高輪毛利家の土地:「ホテル毛利」→「プリンスホテル別館」
・「北白川宮邸」の敷地の一部:「国際館パミール」
となり、「東久邇宮邸」は国有地となったのち、一部が京浜急行電鉄に買い取られ、「ホテルパシフィック東京」になり、2011年からはシナガワグースとなり2021年に閉館したのち、再開発されています。

≪施主 竹田宮家について≫
次に、施主の竹田宮家について記載すると、1906年に北白川宮家能久親王の第一男である恒久王を初代として創設されました。
この経緯として、本来、宮家を継ぐ嫡子以外は爵位を賜り、臣籍降下(皇籍離脱)しますが、明治大帝直系の男系子孫がないことから、将来的に好意を継ぐ可能性があったため、明治天皇の第六皇女・昌子内親王を王妃に迎えて宮家を創設されますが、1947年に恒徳王の代で皇籍離脱しました。

≪設計者 片山東熊≫
設計者の片山東熊(1854~1917)は、明治期に活躍した宮廷建築家。
奇兵隊に入隊し、戊辰戦争侍従軍ののち、辰野金吾、曽根達蔵らとともに、工部大学校(現在の東京大学 工学部建築学科)の第一期生として、ジョサイア・コンドルに師事。
卒業後は、山縣有朋の後ろ盾を得て、宮内省に入省。
明治宮殿などの宮廷建築を主に設計。
1909年には心血を注ぎ、東宮御所を完成させます。

≪建物外観について≫
Ⅰ:正面外観部分
一見すると、左右対称に言えますが、右側には8角形の塔屋を持ち、外壁は、1階部分は石貼りになっていますが、2階部分は漆喰壁になり、屋根部分にはドーマー窓が幾つも設えています。
屋根部分は、バロック様式の最大の特徴である傾斜のきついマンサード屋根になっており、屋根上部には、高欄がつくなど、にぎやかな設えになります。

Ⅱ:車寄せ部分
車寄せ部分は、正面に突き出ていて、台座の上に石積み風の角柱と細い円柱がセットで配され、その上部には石造り風の手摺子のある高欄が付くなど、非常に賑やかながら、スタイリッシュにまとめています。

Ⅲ:屋根部分
2階部分の開口部には、イオニア風の柱頭を持つ付け柱と、その上には櫛形のペディメントが乗り。3連の縦長窓が付けられ、その横には花綱飾りの装飾が付けられます。
また、上部のマンサード屋根にはベネチア窓と言われる形式の窓が付けられ、竣工当時はここから品川沖が見えました。

Ⅳ:ベランダ外観
こちらも正面同様、一見すると左右にベイウィンドウを配した左右対称に見えます。
ベイウィンドウを囲んだベランダは、1階部分が石造り風の半円を少し潰した3連アーチ、2階部分が台座が付いたイオニア風の円柱で纏められ、屋根にはドーマー窓と高欄が付き、出窓のパラメットには手摺子のある高欄が付きます。

≪平面図をのぞむ≫
なお、グランドプリンスホテル迎賓館は、旧竹田宮邸 洋館になり、高輪プリンスホテルに改造された際には、以前、日本橋高島屋の増改築を担当した村野藤吾氏が担当。
現在の平面図の、色が薄い部分が旧竹田宮邸洋館になり、他の部分は和館を解体したのち、新築したものになります。

≪1階部分を臨む≫
Ⅰ:玄関部分
玄関部分を臨むと、扉の上部のガラス窓のアイアンワークは、左右対称。上部には、皇族を表す菊の紋が描かれ、両サイドには西洋建築で多く見られるニッチが付けられています。

また、この部分で特徴的なのは、足元の細かいモザイクタイルですが、片山東熊が設計した表敬館に精通するデザインになっています。

Ⅱ:1階ホール部分
ホール部分を見ると白漆喰の外壁に手前側と奥側の照明には、メダリオンが付けられ、トスカナ式の列柱や、モールディングなど、様々な装飾が付けられていますが、そこまでゴテゴテした印象を与えません。
また、手前側には、「橘の間」「楓の間」が置かれました

まず、「橘の間」は、もともと家扶室として使用されましたが、家扶は、宮家に仕える従者のかた、という意味で、モールディングや暖炉など、非常にシンプルなものになります。

また、「橘の間」の反対側は、「欅の間」となり、こちらは、日頃の応接的な意味合いで使用したため、モールディングや暖炉など、シンプルな造りになっています

≪階段部分≫
階段部分を見ると、親柱の柱頭には花綱飾りと山羊がデザインされた彫刻目につきます。
花綱飾りには、豊穣を願った意味合いがあり、この部分も、バロック建築の特徴の一つとも言えます。
ほかにも階段の手摺子など、きわめて細かい彫刻が配いています。

≪1階廊下部分≫
1階の廊下から、各部屋の扉をのぞくと、非常に背の高い扉と、その上部にはバロック的な装飾がなされています。
一見すると、バロック様式というとごてごてした印象を与えますが、それをスッキリと見せるところに、設計者の片山東熊のセンスを感じさせます。

≪1階各室部分≫
Ⅰ:孔雀の間
まず、孔雀の間を見ると、この部分はもともと、小客室に使用され、壁部分はパネル張りになっており、天井部分は照明部分のメダリオン、モールディングなどに金箔の装飾がなされた、手前側の2室とは違い豪華な設えになっています。

Ⅱ:鳳凰の間(旧客室)
鳳凰の間は、かつては客室として使用されたため、各部屋よりも大きな室内となり、壁面はパネル式で、こちらも赤坂離宮に通づるデザインになります。
天井部分は大きな円を重ねたデザインで、天井や暖炉の金色の装飾は、実際に金箔を使用しています。

Ⅲ:錦鶏の間(旧食堂)
かつて、この部屋は食堂として使用され、現在は結婚式場に利用されていますが、赤坂離宮の「花鳥の間」に非常に意匠が似ています。
他の室内が、白漆喰と金箔の装飾があしらわれていますが、異常にシックな設えになります。

なた、室内には食器棚がありますが、鏡を囲むように円柱がデザインされ、様々なところに細かい装飾が付けられています。

また、こちらの椅子に関しては、椅子の背もたれ部分に竹田宮家の紋章が刻まれていますが、実際に竹田宮邸で使用されたものになります。

Ⅳ:ベランダ部分
1階ベランダ部分を外観から臨むと、3連アーチ式の石積み風になっていますが、外壁部分も石積み風になっており、こちらは鳳凰の間(旧客室)に接続しています。

≪踊り場ステンドグラス≫
踊り場のステンドグラスに関しては、現在、作者などは不詳になりますが、デザインとして、海に浮かぶ船が描かれていますが、どの海かは不明ですが、一説には、かつて、この邸宅から見る事ができた品川沖の状況、と言われています。

≪2階各部屋について≫
Ⅰ:ホール部分
2階部分は、ホール部分を中心として、寝室や予備室(撞球室)、執務室などのプライベートな室内が幾つも置かれましたが、南側に旧御座所、旧書斎、旧寝室といったメインになる部屋が付けられています。

また、ホール部分に置かれている船型の時計に関しては、一説によると、英国海軍から竹田宮家に贈られたものと言われ、現在も大切に保存されています。

Ⅱ:北側の3室について:
階段側の室内は「桧の間」として、もともとは小寝室に充てられていましたが、天井部分の装飾は垂直線をあしらった意匠になり、扉部分は「楠の間」(予備室)()に繋がっています。

また、廊下側の部屋は「櫟(クヌギ)の間」となり、こちらの天井は、垂直線の真ん中の照明部分を円形で囲った意匠になり、この部分も小寝室に充てられました。
なお、こちらの部屋にも扉が付き、「楠の間」に繋がります

楠の間は、北側の3室で、真ん中部分にある部屋にあたり、予備室として使用されました。
また、先述のように、双方の部屋に通づる扉が設けてあり、様々な用途で使用することが可能になります。

Ⅲ:廊下部分について
2階の廊下部分も1階と同様の位置にありますが、1階部分の扉に比べると、こちらがプライベートルームとなるため、装飾など、シンプルなものになります。

Ⅳ:「桐の間」(旧御学問所)
こち他の部分は、殿下の書斎として使用され、現在は会食や撮影などに使用されます。
ベイウィンドウ部分になり、天井は円形を幾つも連ねた形状になっており、壁面はパネル式。
双方の金色の部分には金箔を使用し、デザインは同時期に片山東熊が担当した赤坂離宮に非常に似ています。

Ⅵ:「麝香の間」ー旧御座所
麝香の間は、殿下の御座所(居間)として使用されましたが、ちょうど、1階の「鳳凰の間」の上になり、現在は会食場などとして使用されています。
天井部分やパネル部分の金箔の花綱飾りの装飾は、赤坂離宮に通づるところがあり、バロック式でありながら、設計者の片山東熊独特ののスタイリッシュな意匠になっています。

Ⅶ:「葵の間」―旧寝室
この部分は、錦鶏の間の上に位置し、竣工当時は、この室内には化粧室が置かれていました。
また、ベイウィンドウを設えており、現在は、様々な用途に用いられています。

【グランドプリンスホテル高輪 貴賓館HPより転載】
≪2階ベランダ部分≫
2階ベランダ部分を見ると、土台部分に円柱がたつ様式になっており、高欄が取り付けてあります。
また、こちらの部屋は、麝香の間に接しています。

≪編集後記≫
施主の竹田宮恒久殿下は、この邸宅にはあまり住むことができず、竣工から10年もたたないうちにスペイン風邪に斃れ、恒徳王がわずか10歳で家督を継ぎ、以降この邸宅に住みますが、全盛期の時には和館も建てられ、和館/洋館合わせ、室内は60、トイレは10カ所あったと言われていますが、現在、この邸宅は洋館のみになり、かつての宮家の状況を色濃く伝えています。
今後も、この建物が末永く大切にされることを願ってやみません。
