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わが心の近代建築Vol.72 港区立郷土歴史館(旧公衆衛生院)/東京都港区

みなさん、こんにちわ。
今回は、記載しようと思いながら、なかなか記載できなかった港区立郷土歴史館(旧公衆衛生院)について記載します。
この建物の存在を知ったのは10年前…
ただならぬオーラを放ちながら、解体を待つ状況とあきらめていましたが、現在は郷土歴史館などの港区の共同施設として生まれ変わりました。

≪国立衛生院として≫
公衆衛生院は、関東大震災後、ロックフェラー財団からの寄付で公衆衛生施設として建てられ、設計は東京大学キャンパスを設計し、のちに東大総長を務めた内田祥三氏が担当し、1937年に竣工。
公衆衛生技術者の教育訓練などの研究機関で、様々な分野の研究者が集まりましたが、2007年に施設の老朽化などで和光市に施設が移り、暫らく空き家になっていましたが、2009年に港区立鞆小学校と等価交換をし、港区が取得し、港区は建物に対し、バリアフリー化、耐震補強をし、2016年に港区の歴史博物館などの複合施設として生まれ変わりました。

港区立郷土歴史館

≪建物メモ≫
港区立郷土歴史館(旧公衆衛生院)
●設計:内田祥三
●竣工:1937年
●文化財指定:港区重要文化財
●入館料: 
 ・建物見学は無料
 ・港区立郷土歴史館 ¥200
●参考文献:
 ・建物については建物内QRコード開設を参照
 ・内田祥三についてはWikipediaを参照
●留意点:
 隔週で先着順で13:00と15:00に建物ガイドツアーあり

≪設計者 内田祥三≫
内田祥三(1885~1972)は東京深川に生まれたのち、東京帝国大学工科大学建築学科を卒業ののち、佐野利器のもとでコンクリート・鉄骨などの建築構造を研究。

設計者 内田祥三【Wikipediaより転載】

東京帝国大学教授を勤め、関東大震災後は東大キャンパス建築群の設計を担当し、安田講堂、図書館などを設計。また、震災罹災者の住宅問題のために建てられた同潤会の理事に勤め、東京帝国大学14代目総長に就任し、1972年に文化勲章を受章しました。なお、麻布に自邸(現在は解体)から、旧公衆衛生院を眺めるのを楽しみにしていました。

内田祥三 自邸(現存せず)【港区立郷土歴史館パネルより転載】

≪平面図において≫
建物は、地上6階建てのRSC造りになっていますが、1階部分は半地下になっており、かつては地階とされていましたが、現行法上では、1階建てになり、食堂などが配置。
また、かつては6階部分には女子寮などが配されていましたが、現在は区の施設が置かれ、建物全体、中心部から両翼を広げた形になります

建物平面図【カタログより転載】

≪外観について-内田式ゴシックスタイルの特徴-≫
なお、この建物において、東大キャンパス軍と酷似したスタイルになりますが、内田式として特徴的な点が幾つもあります

Ⅰ:通称 犬小屋
内田祥三は、建物の側面に、勝手口的な出入り口を設けることが多く、旧公衆衛生院も、その範疇にもれず側面にゴシックスタイルのエントランスを設け、東京大学関係者などからは、そのデザイン性から、「通称 犬小屋」と呼び親しまれました。

エントランス側面の出入り口

Ⅱ:スクラッチタイルの多用
次に建物後ろ側を見ると、建物自体はRCS造りであるにもかかわらず、FLライトが帝国ホテル ライト館で日本に導入したスクラッチタイル活用し、それを全面に貼り付けることで、レンガ吊り的に見せる効果を狙っています。

旧公衆衛生院 背面部分

Ⅲ:縦長の窓
また、竣工当時は、まだ照明が暗く、それを解消するため、他の西洋館などにはあまり見られないような縦長の窓を採り、採光面に配慮された建物になっています。

窓枠部分

Ⅳ:教会建築を思わせるような列柱
また、建物の列柱部分は、まるで教会建築を思わせるような列柱が乱立していますが、これも内田式ゴシックの特徴の一つとなります

側面の列柱部分写真の拡大

Ⅴ:連続アーチのエントランス部分
また、出入り口に関しては、白色の玄関で、連続した半円形状の出入り口になっており、この部分も東大キャンパスの件ちゅくぐんで多く見られる意匠です

エントランス部分

≪プール部分≫
建物の前面にある池ですが、この建物が公衆衛生院であったため、こちらは衛生工学部(のちの水道工学部)の浄水場施設の実験設備として使用。池の内部は1.6mにもなりましたが、現在はオブジェとして活用するため、池の深さを浅くしています。

建物前面のプール

また、池に飾られたオブジェは屋上部分から移設したドラフトチェンバーの排気口になっています

屋上に使われていたドラフトチェンバーの跡

≪2階部分の記載≫
Ⅰ:2階エントランス部分
また、先述したように、この建物の正面エントランスは2階となり、車寄せは、内田式ゴシックの特徴である5連アーチになり柱部分にはゴシック装飾が取り付けられています

車寄せ部分

また、玄関部分は、過去の写真と見比べても、同様になっており、天井の照明部分も、もともとのデザインのものを採用しています。

2階 エントランス部分

Ⅱ:中央ホール
中央ホールは、玄関口として、この建物で最も豪華な設えになっています。
・天井部分:装飾を付けた白漆喰仕上げ。
・腰壁:大理石を混ぜた人造洗い出し石を使用。
・床面の市松柄の石材や巾木:大理石を使用。
・手すり内:金属の装飾
を使用しています。

2階 中央ホール

また、中央ホールの壁面には、この建物が米国ロックフェラー財団からの寄付で建てられたことを示すレリーフが遺されています。

ロックフェラー財団からの寄付を記したレリーフ

Ⅲ:エレベータ部分
中央部分には、竣工当時にはエレベータが置かれていましたが、現在は建築法の関係上などから壁は埋められ、内部は拝観スペースとして活用しています。
なお、この部分の照明のかさも竣工当時のものを使用しています

エレベータ部分

Ⅳ:ミュージアムショップ
ミュージアムショップでは、この建物にちなんだ記念品や港区のかつての状況を描いた絵葉書、港区の文化財についての参考文献などが購入できますが、かつては、事務所として使用されました。

かつてのミュージアムショップ【館内展示パネルより転載】

Ⅴ:旧図書閲覧室部分
当初は閉架式の図書館で、受付部分で読みたい本を係の方に伝え、書庫から出された本を読むスタイル。
デスクライトが置かれた長机が置かれ、日々、調査研究が行われていましたが、現在は実際に触れる博物館として、縄文式土器などを触ることができます

旧図書閲覧室

また、図書閲覧室前に置かれた部屋は、旧図書悪寒長室になっており、当初は、図書目録が置かれていましたが、戦後、図書館室として扉を設けるなどの改造がされました。
壁部分は人造大理石が置かれていましたが、右側の壁に関し、構造補強のため、改修工事で取り払われました。
なお、こちらに置かれている机に関しては、内田祥三が愛用したもので、設計は内田祥三、加工は三越家具部で行われ、セパレートになっています。

旧図書館長室

図書館前にあるスペースは、司書室になり、3階部分にある書庫から、司書の方が本を出すためのスペースとして使用していました。

旧司書室

≪3階部分≫
Ⅰ:旧書庫
3階の図書室は、もともと書庫だったものを図書室に改修したもので、現在は、港区に関する史料などが保存されています。

図書室(旧書庫)

また、かつての書庫の状況ですが、こちらはガイドツアー時のみに公開されています。現在、現行法上、床部分はスチール製になっていますが、かつては普通の床でした。
また、上部にも本棚が置かれ、かつては床も設けられていました。
なお、1階部分にもつながっています。

書庫部分【ガイドツアー時のみ公開】

また、書庫左側の壁には、ハンドルが設けられていますが、設計者の内田祥三は、関東大震災の東京帝大の火事で、貴重な書籍を焼失してしまった苦い経験を活かし、こちらには防火シャッターが付けられていますが、そのハンドルになります。

書庫/防火シャッターハンドル

Ⅱ:3改中央ホール部分:
2階に比べると、装飾などシンプル化されていますが、それでも、この部分は2階から見る事ができるため、天井は白漆喰のンモールディングが施されていたりします。
また、壁面に付けられた照明部分についても、1階のものに比較して、簡素化されたカサになっています。

3階中央ホール部分

Ⅳ:トイレ跡
こちらは男子トイレになりますが、床面や壁は大理石製のパネルが貼られた豪華なものになりますが、消防法上、こちらは通路になっています。また、床面などには、小便器が置かれた跡が遺されていますが、文化財をできるだけ現存のまま残す方針のもと、必要以上の修繕はされていません。
なお、女子トイレに関しては、元の場所に配置されています

3階トイレ跡

また、竣工当時から、水洗トイレになっており、当時、水洗トイレの使用が浸透していなかったため、注意書きのパネルが付けられていました。(現在、ミュージアムホールにてキーホルダー化)

トイレの注意書き

Ⅴ:旧院長室:
また、3階ホール奥には院長室と次長室が置かれていますが、院長室は、天井/壁ともベニヤ板の化粧張のパネル、床は組子式になっており、家具類などは、竣工当時の写真を参考に再現しています。
時計に関しては、もともとのものを、FM電波式にしています。

旧院長室

Ⅵ:旧次長室
院長室の向かいには、旧次長室が置かれていますが、内田祥三は、室内の意匠で、部屋の格差を表す建築家で、天井部分は漆喰塗、床部分は通常の板材を組み合わせた様式を採用しています。
なお、この当時、ベニヤ材はスクラッチタイル同様、この当時では新技法で現在よりも価値が高く、材になるのも高級材を採用していました。

旧次長室

Ⅶ:休憩室
この部屋は次長室と院長室の次の間的に使用され、休憩室としても活用されており、現在は、改修工事などで発見された建築部材などを展示しています。
なお、同様の部屋は5階と6階にもあります

3階休憩室

≪4階部分≫
Ⅰ:中央ホール部分
2階と比較すると、そのデザインや照明などは簡素化され、氏を漆喰には装飾が付けられず、腰板のパネル部分も通常の柱とし、床面も板張りにするなど、内部もパブリックなものに変えられています。

中央ホール部分

Ⅱ:旧講義室
ホール前の2室では、かつての教室を再現したものになり、様々な場所に設け得られました。黒板は当時のものを再現しています。
ここでは、主に公衆衛生の講義が行われ、数多くの卒業生を輩出しています。

旧講義室

また、各階の廊下部分には講義室や教室、実験室が設けられていましたが、竣工当時より鉄扉を採用し、扉上部のガラスは竣工当時のものを採用。現在は、各階とも、様々な会議室や保育室などなど、港区の様々な用途に用いられています。

廊下部分

Ⅲ:講堂部分
講堂部分は340人収容でき、講堂…
というよりも、卒業式などの各種イベント時に使用されました。
また、建設時に付けられた固定式のいすや机m、レリーフや電灯も、そのまま使用しています。
また、講堂の階段部分のゴムノンスリップも、竣工当時のものがそのまま使用されています。

講堂部分

また、机と椅子に関しては、新橋駅に本社のあった壽商店(現・コトブキシーティング株式会社)の学生用いすを採用。
机面に掘られた溝は、ペン置きとしてデザインされ、東大法文2号館や九州大学旧工学部本館義自室に採用されたものと同じ型になります。

講堂の机

なお、講堂右側のレリーフには「葦鷺」が描かれ、水辺に生い茂る葦のふもとで戯れる2羽の鷺と1羽の鷺を描いており、新海竹蔵(1897~1958)の作品。
新海竹蔵と内田祥三は、ここ以外にも東大医学部付属病院、東大総合図書館などでともに仕事をしています。
なお、レリーフ右側の数字パネルに関しては、現在も用途不明になっています。

右側のレリーフ

また、左側レリーフに関しては、牝羊の乳を飲む子羊と岩上に立ち樹木に身を乗り出す牝羊が描かれており、左右双方とも、なぜ、このデザインになったかは今のところ不詳です。

左側レリーフ

また、講堂にはラジエータが付けられ、温水の蒸気を館内に回して暖房の代わりにする用途として使用されました。
また、右側にある穴に関しては、暗幕の手動開閉装置のハンドルで、左右の穴にハンドルを入れて回転させることで、暗幕の開閉が行えました。

ラジエータと自動開閉装置のハンドル穴

≪6階部分≫
Ⅰ:居室部分

6階部分は、公衆衛生学を学ぶ方用の寄宿所に使用。
「白金寮」として休憩室や居室、浴室などが設けられ、寄宿所が不足すると五反田に男子寮が設けられました。
寮にはm、和風居室と洋風居室が設けられ、戦後、衛星技術者の再訓練にあたり寮が不足すると、五反田に男子寮が設けられ、1976年に五反田寮が改修されて男女寮になったら、こちらは研究室などに改装されました。

6階 洋風居室【3階休憩室 展示画面より転載】
6階 和風居室【3階休憩室 展示画面より転載】

Ⅱ:浴室/洗面室
また、女子トイレ部分には、かつて浴室もあり、浴室には再離席性の浴槽とタイル張りのサワー室、洗面室が設けられていましたが、寮として使用されなくなってからは、倉庫などとして転用されました。

洗面室【3階休憩室 展示画面より転載】
浴室【3階休憩室 展示画面より転載】

≪1階部分≫
Ⅰ:中央ホールのプリズムガラス
1階部分は半地下になっているため、光が届かなく、またこの当時のライトの状況的に室内は非常に暗く、そのため内田祥三が、縦に長い窓を幾つも付けた要因にもなりますが、この部分はプリズムガラスになっており、窓からの光をこの部分に照らし、下部の地下室に光が届くようにしています。

1階中央ホール

Ⅱ:プリズムガラス
また、形状はガラスブロックと異なり、中空ではなく15㎝四方の厚さ3㎝のガラス板で鋳鉄枠に1枚づつはめ込まれ、下部から光を照らしています。
※現在はガラス保護のため囲いがされていますが、かつては実際に廊下同様踏まれていました

プリズムガラス

Ⅲ:食堂
食堂部分は、公衆衛生院時代から食堂として活用され、今は近隣の八芳園のレストラン/喫茶施設として利用。
また、柱部分や腰壁などには、白金御殿と謳われた朝香宮邸などにも使用された泰山タイルと思われるものが貼られています。

食堂内部

また、食堂部分にも講堂にみられたラジエータが置かれており、地価のボイラー室絵で暖められた上記で館内を温めており、そのスキルは現在のオイルヒーターにも活用されています

食堂のラジエータ

≪編集後記≫
この建物は、近代建築の沼につかる前、八芳園のお庭を見た際、そのただならぬ外観に感動を覚え、その去就をずっと考えていました。
その建物が、資料館として、変な改悪をされず復活するとは、当時夢のようでしたね。
最初にガイドツアーを受けたあとすぐに、メンタル系の病魔に侵され、文章も書けない状態になりましたが、病気を享受することでそれを理解し、最近、少しは文章も書けるようになり、改めてガイドツアーに再度参加し、やっと投稿しました。
SSDには、そんな場所がまだまだ溜まってるので、徐々に公開していきます。

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