【現在耐震工事中】わが心の近代建築Vol.122:旧田中家住宅/埼玉県川口市
みなさん、こんにちわ。
今回は耐震工受注で現在は一般公開されていない建築物から、埼玉県川口市にある、旧田中家住宅について記載します。
この建物については、コロナ禍に訪問したものの、階段部分の写真が揃わなかったこと、自身の疾病発覚で記載できずじまいでしたが、体調も落ち着き、今回改めて再チャレンジします。
【川口の歴史】
❏江戸期の川口
川口市は埼玉県南東部に位置し、北はさいたま市、西は蕨氏と戸田市、東は越谷市と草加市、南は荒川を挟み東京都足立区・北区と隣接する住宅地になります。
えどきには日光御成道が整備され、革具志淑人鳩ケ谷宿が置かれたほか、古くより農閑期を利用した鋳物が地場産業として盛んで、荒川の他市内を縦断する芝川を利用した河川舟便が盛んにおこなわれていました。

【浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第82回より転載】
❏明治期以降の川口
明治期になると富国強兵策により、川口は工業都市として急速に発展し、1910年に川口駅が開業すると、全国に鋳物が貨物発送されるようになり。「東の川口 西の桑名」と呼ばれるようになり、1958年に開催されたアジア競技大会でも市内の鋳物師により製造された聖火台が使用され、1964年の東京五輪でも使用されました。
1970年代のオイルショック以降、川口を支えた鋳物工場配転や廃業が相次ぎ、マンション用地に用いられベットタウン化が図られました。

【Wikipediaより転載】
【田中家徳兵衛について】
❏田中家について
田中家は代々長男が家督を相続して「德兵衞」を襲名しています。
初代 德兵衞(1795~1871)は農家として身を立て、二代目 德兵衞(1828~1905)から麦味噌の醸造や材木商を営み、財をなしました。
❏施主 4代目田中徳兵衛について
この邸宅を建てた4代目 田中徳兵衛(1875~1947)は埼玉県北足立郡南平柳村(現川口市)田中家に生まれ、1894年に家督を継ぎ、4代目 徳兵衛を襲名しました。襲名以降は、埼玉味噌醸造組合長、帝国実業協会幹事、東京共立銀行監査役、東京紡績監査役などを歴任し、村長、県議会銀などを歴任し、1932年からは貴族院銀に就任しました

【Wikipediaより転載】
❏川口の味噌醸造について
1876年に編纂された『武蔵国郡村誌』によると、十二月田村の産物の欄に味噌12680斤(7602.9㎏)と記載していますが、この市域近辺の農村で味噌醸造が発展した要因として…
①良質の大麦が生産されていた事
②江戸(東京)という大消費地に隣接していた事
が考えられます。
施主の田中徳兵衛商店では。「上田一」という銘柄を全国規模で販売を展開していましたが、1960年代になると、川口での味噌醸造はほぼ行われなくなりました。

【旧田中家住宅HPより転載】
【設計技術師 櫻井忍男】
櫻井忍男(1863~1926)は愛知県金島郡下津村(現 稲沢市)に生まれ、明治13年に堂宮大工棟梁で明治期最大の木造仏教建築である京都東本願寺本堂を設計した9代目伊藤平左衛門平作について建築法を納め、その後、工部大学校の第一期生でもある佐立七治郎ら著名な件市区化のもとでw見習いを行い、建築の専門的技術及び知識を体得しました

【旧田中家住宅展示パネルより転載】
❏邸宅建設までの経緯
4代目 徳兵衛は1921年から1923年にかけて、当時としては大変モダンで立派な洋館を建設しました。自らが材木商を営んでいた経緯から、建築資材においてはこだわりがあり、当時入手できる最高級の木材を用いて、煉瓦も建築現場の近くで専門の職人に焼かせたと伝えられています。

【旧田中家住宅HPより参照】
【たてものメモ】
旧田中家住宅
●竣工年
・洋館:1923年
・和館:1934年
●設計者:櫻井忍男
●文化財指定:国の重要文化財
●見学:耐震工事中のため不可
●交通アクセス:埼玉高速鉄道「川口元郷駅」より徒歩8分。
【平面図】
建物は洋館部分が3階建て、和館部分が平屋建て(一部2階建て)となり、1階にミセ部分と応接間、2階部分に主人の書斎と客間 座敷部分を設け、3階部分を迎賓施設としました。
この建物も、当時の邸宅と同じく、迎賓部分を一番高い部屋にすることで、景観を来訪者に見せるようにしています。

【旧田中家住宅HPより転載】
【外観について】
❏洋館部分外観
洋館部分は3階建てのレンガ造り構造でその上に化粧用のレンガをイギリス積に載せた設えになります。
煉瓦に関しては幕末期から明治初期に日本に伝わり、一般的に建造物にはイギリス積が採用され、土木建築にはフランダース積みが使用されています。レンガは川口の職人の方が現地で焼いたものを使用しています。

最上部にはアーチを置き、窓枠上部にはスパンドル(外装版)を付けた設えとなります。

❏玄関外観
消火の玄関らしい重厚な造りになっています。
当時としてはモダンなシャッターが搭載され、両開きのガラス戸にはミズナラ材を採用しています。
特に上部にはTANAKAと記載されていますが、そこからも施主の邸宅にかける思いを垣間見ることができます。

❏勝手口
こちらは応接間に付けられた玄関になりますが、迎賓のために訪問された方は、こちらの玄関を使います。玄関口の上部には、床材と同じタイルが貼られ、上部はバルコニーになります。

❏和館部分
和館部分は1階建て(一部2階建て)とし、和館が増設されたのは、1934年のことで、施主の(4代目)徳兵衛が貴族院議員の多額納税者として国政に進出したあたりで、財に糸目をつけず国内最高級品の材木が使用され、工法的にも技術的にも、最も成熟した時期のものになります。
和館部分は70名ほど収納可能で、東西に長い設えとなります。

【旧田中家住宅HPより転載】
【1階部分】
❏玄関
床部分は人造洗い出し石の四半敷き、上がりがり框にはケヤキ材を使用しています。
室内は壁部分は白漆喰、腰壁部分は黒漆喰とし、天井部分は折上げ格天井にし、正面部分には神棚が飾られています

❏食堂
東側に隣接した室内になり、家族などが昼食などを取る部屋として使用され、北側には金庫が付けられています。
障子は横帯すりガラスをはめ込んだ大阪格子戸を使用しています。
間の狭い竪格子や障子からは、プライバシーを守りながら適度な人の気配も感じることができ、夏には裏部分の小障子を外し通気性の良い格子戸、冬には気密性の良い戸として使用できる、非常に使用がっ手の良い建具になります。

❏階段ホール部分
主階段はロココ風になり、材はインドネシア製の木材を使用しています。
中央で折れた階段となり、2本の親柱上部には、直物の柱頭飾りがるけられています。

❏応接室
来客者が玄関から直接入室できるよう、専用のドアが設けられています。北側には通用口も設けられ腰壁には杉板、天井部分は漆喰による洋風の中心飾りに、日本建築の店j校様式である格天井、植物装飾の吊り下げた塔がうまくマッチして、独特の雰囲気を醸し出しています。

❏和館部分
ー仏間ー
和館部分は、1934年に洋館の東側に増築された箇所で、数寄屋造りの迎賓施設になります。 ・10畳仏間 ・12畳次の間 ・15畳座敷から構成されています。仏間部分は2階和室同様、天井部分は屋久杉を使用した竿縁天井とし、柱部分はヒノキ材の笹杢仕上げとし、仏壇は造り付けのものをはめ込んでいます。なお、イベントの際には障子などを取り払い、ひとつの巨大な部屋として使用できるようになっています。

【旧田中家住宅展示パネルより転載】
ー次の間ー
次の間は、12条になり、座敷部分の控えの間として使用され、障子部分は腰板に柾目のキリ材を使用した紙張り障子とします。この部屋ですが、奥側から2枚目の畳を外すと、階段が現れ、モルタルの防空壕になっており、日本間の外に出られる仕組みになっています。

欄間部分はキリ材の一枚板を使用し、桂月山人(松林 桂月の画号)が描いた画が彫られ、失敗の赦されない、超絶技法が使用されています。

ー座敷部分ー
座敷は15畳間。
本格的な書院造になり、壁は白漆喰とし、下がり壁は砂壁、天井部分は屋久杉を使用した竿縁天井としています。
材として…
・床框:黒漆塗り
・床板:欅の一枚板
・南柱:笹目仕上げのヒノキ材
・北柱:ケヤキ材
・落とし掛け:キリ材
を使用したものになります。

左側の平書院部分は、胡瓜窓とし、縁を黒漆塗りとし、障子部分は幾何学的模様のデザインとし、この建物にかあくぁった職人の方の超絶技法を垣間見ることができます。

【2階部分】
❏書斎部分
主人の書斎として用いられました。
窓部分は西洋式の上げ下げ窓を使用し、床部分は、組子細工を使用し、腰壁にはスギ板を使用し、天井は格廻り縁付きの折り上げ漆喰天井とし、メダリオンはひし形に中央飾りを設けたものにしています。

書斎にはバルコニーが設けられ、茶色いレンガにしわ枠の窓枠と扉が目に引きます。床部分は亀甲模様のタイルが使用され、手すりには銅板が貼られ、デザインを引き締めています。

❏座敷
ー次の間ー
6畳間の室内となり、座敷部分の「控えの間」として使用され、天井には屋久杉を用いた吹き寄せ竿縁天井としています。
材木においては(4代目)田中徳兵衛は、材木商も行っており、秀逸なものを仕入れることができました。欄間は桂月山人(松林 桂月の画号)が描いた、1枚板に描かれた彫り物がはめ込まれています。

ー座敷ー
洋館の中にあって唯一和風を取り入れた本格的な数寄屋風書院造の部屋になります。主に接客のために用いられ、8畳間になり、天井部分は次の間と同じく屋久杉を使用した吹き寄せ天井としています。柱部分は角材一部面取り、長押は3寸のヒノキ柾目を用いています。

座敷の床まわりには
・床板:松材
・床框:黒檀
・床柱:黒柿
・落とし掛け:スギ材
を使用しています。
また、床脇部分には天袋と筆返しが付いた違い棚が取り付けられています。

❏広縁部分
こちらの天井も2部屋と同じく、屋久杉を用いた吹き寄せ竿縁天井になります。畳張りとなり、窓部分は西洋式の上げ下げ窓になります。
通常、洋館に和室を設けると。外観を見た際に違和感を与えてしまいますが、公園を設けることにより、面田側から見た違和感をなくしています。

❏客間
ー次の間ー
客間の控えの間として使用され、広さは4畳間になります。
天井部分は屋久杉の竿縁天井になり、柱はヒノキ材の笹杢仕上げになります。笹杢は、樹齢200年以上の老木や大径木に稀に現れる、笹の葉を折り重ねたような細かく尖ったギザギザ模様の美しい杢目で大変貴重な材になります。
長押はヒノキの柾目蓋付きが使用され、欄間部分は筬欄間の額縁板付きになります。

ー座敷部分ー
8畳間の座敷になり、こちらがメインの部屋になります。
天井、柱、長押は次の間部分と同様になりますが、こちらは平書院、床の間が設けられた室内になり障子部分は、キリ材の柾目腰板付きになります。

床の間部分は…
・床柱:ヒノキ材の天然絞り丸太
・落とし掛け:桐材
・床框:赤漆塗り
・天袋板/地袋板:ケヤキ材
・地袋襖の柄:松葉様
・地板:ケヤキ材の一枚板
を使用しています。
書院欄間の下部分は香図組としています。
なお、こちらは赤漆を使用するなど、女性的な室内になっており、夫人室と使用され、夫人がこちらにベッドを置いていたこともありました。

【3階部分】
❏大広間
迎賓のための室内になります。
そのため、展望を重視して最上階に設けられています。
部屋全体をジョージアン様式を基調としてまとめています。
天井部分は漆喰天井とし、花弁をモチーフとした中心飾りが施されています。腰壁は家紋を模った板張り、壁は白漆喰、柱はイオニア式のペディスタイル付きのオーダー、窓は西洋風の上げ下げ窓としています。
当時は南側から東、北側一帯には味噌醸造蔵が建ち並び、現在の国道122号線を隔てた芝川まで貯木所や製材所、、河岸場を眺めることができました。

❏控えの間
大広間におけるパーティなどの接客の際、控えの間として使用され、また、彼らが逗留することも考えられて造られています。天井部分は漆喰塗になり。菱形の花弁飾りが施され、腰壁は白ペンキを塗った縁甲板張りとなります。

❏蔵部分
現在は展示室として使用されています。この部分は天井がなく、小屋組みを直接見る事ができ、ケヤキ材や曲がり材など、耐震性に優れた木材補ふんだんに使用しています。

【編集後記】
旧田中家住宅は、経年によるダメージも大きく、耐震工事中で、現在は閉館されています。なお、工事には想像以上にダメージが大きく、長期間の休業となるとのこと。
今回の写真は、過去のもの、公式HPなどから転載したものになりますが、工事が終了した際には必ず訪問したい場所の一つでもあります。それまで少しでも多くの近代建築を伝えられたらばと考えております。
