わが心の近代建築Vol.102 旧木下家住宅/兵庫県神戸市垂水区
みなさん、こんにちわ。
今回は、今年の冬に訪問した、神戸/大阪旅行より、今まで記載できなかった兵庫県神戸市垂水区の舞子に保存されている旧木下家住宅について記載します。この建物は、10年前訪問したものの、当時は見どころが分からず、記載を断念していましたが、ガイドツアーに参加でき、やっとの記載が叶いました。
≪旧木下家住宅の歴史≫
こち他の建物は、1942年に海運業で財をなした又野良助氏の別邸として建てられ、1943年に書斎棟などが増築され、そののち手放したことに際し、1952年から明石の大地主であった木下吉左衛門氏の邸宅として使用されます。2000年に木下家より、兵庫県に寄贈されたのを機に、この邸宅を県立舞子公園に組み込み、一般公開するに至りました。

【Wikipediaより転載】
寄贈されたのち、2001年に戦前期の貴重な近代和風建築として主屋以外に土蔵、納屋含め登録有形文化財に選定され、2006年から修繕工事が図られ、2009年より一般公開されています。
敷地面積は2209㎡となり、総建築面積を343㎡にし、邸宅のある高台の高低差を活かした建築になります。
≪たてものメモ≫
旧木下家住宅
●竣工年:1941年(1943年増築)
●設計者:不詳
●文化財指定:登録有形文化財
●写真撮影:可
●入館料:100円
●交通アクセス
JR神戸線 舞子駅より徒歩5分
山陽電気鉄道 舞子公園駅より徒歩5分
●留意点:
定期的にガイドツアーあり
(詳細は旧木下家住宅に要確認)
●参考文献:
・邸内展示パネル
・舞子公園の歴史などはWikipediaを参照
・ガイドさんの話を文字起こししたもの
≪平面図から≫
旧木下家住宅は、舞子海岸から近い位置に建立された別邸建築ということから、潮風が建物を潜り抜けるように配置されており、その平面構造は、非常に珍しいHの形になっています。
このことにより、建物に風が吹き抜けるほか、庭園部分も前庭部分と後ろ庭部分を愉しめるようになっています。

【旧木下家住宅展示パネルより転載】
≪外観部分≫
❏正門部分
正門には、2本の変木を用いたものとなり、数寄屋の意匠を感じさせます。
また、数寄屋建築に多く見られるように、邸宅までの高低差を活かし、階段を曲げて付けることにより、訪問者に邸宅に向かうプロムナードを愉しませる意匠が込められています。

❏表玄関
玄関部分を見ると、庇の下部分には丸太を使用し、また、玄関のガラス障子上部には竹材を使用するなど、数寄屋風な意匠を巧みに取り入れています。その一方で、邸宅全体に、大壁造りとし、必要以上に柱を見せない非常にすっきりした印象を与えているほか、大きな沓脱石を用いています

❏前庭側から臨む
選定側から邸宅を臨むと、右側には応接間が置かれ、中央部分は座敷棟、奥側が書院棟と、全体的に凹形になり、座敷部分が窪んだ形状となります。
また、木下家住宅では、2階部分は、物置として使用しており、明り取り用の虫籠窓が設けられている町屋建築風になっているほか、書院部分、座敷棟部分、応接間部分にガラス戸と沓脱石を設けることにより、各部屋からも入室可能としています。
また玄関同様、土壁が使用された土蔵風の大壁造りにしています。

❏中庭部分から臨む
邸宅中央部分の北側廊下から前庭を臨むと、左側の丸窓がある箇所が茶室待合となり、奥側の建物は茶室になります。
前庭が芝に和風であったのに対し、こちらは手水鉢を設けるなど、前庭が芝に和風であったのに対し、茶室的な雰囲気になります。

≪邸内について≫
❏玄関部分
土間は、天井部分には1枚板を張り詰め、タタキには、石を敷き詰めたような洗い出しにし、左側には数寄屋建築で使用する下地窓を使用するなど数寄屋的意匠を盛り込んだ、近代和風建築の粋を積み込んだものになります

玄関部分は、床の間に見立てたような床の間風になっています。天井部分は竿縁天井風にし、絞り丸太を用いり、床柱を用いています。収納部分として地袋を設え、地袋天板には1枚板を用いています。右側の地袋天板には竹材の床柱風にし、隣には源氏香をアレンジしたデザインを用いています。

❏応接間
客間として用いられた、旧木下家住宅で唯一の洋間になります。
西洋文化の影響を受けて、和室の実では応対しきれなくなった、竣工当時の一間洋間の流れをもっと表しています。室内は漆喰塗の大壁にし、照明はアールデコ風の意匠にして、写真正面の窓は、カットガラスを使用し、草花のデザインが描かれ、窓の窓のそれぞれ大きさを変更したアシンメトリーにし、変化を与えています。

暖炉は大理石製になっていますが、実際に火をくべるものではなく、デザインとして作られた箇所になります。
そのほか、左側部分に素材が違う部分がありますが、1995年1月17日…
この地区を襲った阪神淡路大震災で被害を受けた個所になり、後に修繕された箇所となります

なお、こちらのソファーも洋の中に和を取り込んだものとなり、裏面には竹材を部材として使用しています。
また、窓からは舞子海岸を臨むことができ、ここからの景観が、この邸宅最大のビュースポットとなります。

≪座敷部分≫
❏座敷
来訪者の方を招き入れた室内になります。
木下家では正月などの親戚一同が集まる団欒、接客時に使用しました。
室内は書院造を基調とし、主に桐材と竹材をふんだんに使用しています。
天井部分は竿縁天井にして板材を柾目材にする一方、通常の書院造とは異なり、床の間と違い棚部分が引き離されています・
この理由として、床の間隣は押入後部に、屋根裏に行くための階段を配したためといわれています。

床の間部分は、絞り丸太の床柱になり、右側に琵琶床が付けられr、書院窓は下地窓の数寄屋的な意匠が盛り込まれおり、地袋上部の天袋には一枚板を使用しています。
床の間天井部分は枌板を亀甲編みにした網代天井になり、竣工当時の職人のスキルを感じることができます。

❏中室(次の間)
中室部分は、天井は座敷部分同様に竿縁天井が使われ、天井板罪に関しては,
柾目材が使用されています。その一方、押入上部には数寄屋風のデザインの窓が付けられ、左側には自然木の床柱が使用され、床柱奥には水屋が置かれました。

また、中室と広縁部分を繋ぐ障子上の欄間には、源氏香や香道の記号をアレンジしたものがデザインされています。
香道は、日本古来からあるもので、香りを当てていく文化で、こうしたデザインを巧みに導入しています

❏広縁
広縁部分は南面に面しており、ここから舞子の浜風を取り入れ、H形の邸内に流し込みます。広縁は大名邸宅では広く採用されていましたが、一般導入されたのは近代和風建築になってからのことです。なお、天井部分は舟底天井となり、中心部分には1本物の丸太柱がとおされています。

❏書院
この邸宅で最も季節の移ろいを感じられる室内になります。
こちらは1943年に増築された箇所になります。もともとは主人書斎として使用され、窓は下部分の障子が上げ下げできる雪見障子を使用しており、座って庭園を愉しめるようになってます。

床の間右隣は仏壇としても使用され、柱に関しては、他の部屋が全て面皮柱(柱の角に木皮を残した数寄屋的意匠)なのに対し、この室内だけは正統な角材を使用しています。

また、書院部分は明り取り用の窓が付いていて書院部分はL字型となり、邸宅の景観に合わせた形になっているほか、地袋の天板と床部分は鏡板を使用しているほか、書院上部には和紙を使用したものになります。

庭に面して大きく張り出している庇は土庇といい、光や影、風などの自然との一体感を感じられる設えになります。また、邸宅を支える柱は、石場建てと呼ばれる石の上に、柱を加工して削り出して支える日本建築の伝統的な工法を使用しています。
それ以外にも、屋根材を支える垂木は角材ではなく、丸太材を使用するなど数寄屋建築が使用されています。

❏待合
こちらも1943年に増築された箇所となります。
大きな丸窓が設けられた4畳間の部屋で、待合として使用されました。丸窓下の天板は1枚板を使用しており、柱部分は面皮柱としているほか、様々な個所に竹材を使用しています。天井部分は竿縁天井としており、随所に銘木が使用されています。

❏水屋
水屋部分は、天井は細かい材を敷き詰めた駆け込み天井にするほか、竹材・丸太材などを使用した、いかにも数寄屋建築らしいものとなります。
その一方で、水道の流し部分には煤竹を使用し、弾きあf氏部分は玉杢の入った銘木を使用しています

❏茶室
4畳半茶室という、茶室の中でも最も一般的な室内になり、床柱にはシャレ木という、木が朽ち果てて芯の部分が残ったもを使用しています。また、天井部分も庇がそのまま邸内に入り込んだ、駆け込み天井とし、壁部分は黄大津壁という、黄土・石灰・スサを混ぜたものを使用しています。また、室内の窓に関しては、施主だった又野良吉氏の好みに併せ、帰任口を設けるなどして採光に注視された室内になります。

❏縁側部分
こちらは北側になりますが、建物がH型に配されることにより、風抜けをよくしています。また、天井部分は丸太材の垂木を使用した数寄屋風になり、軒桁には切れ目のない1本の曲がりのない丸太材を使用し、この邸宅に使用されている木材が現在では貴重な材を使用してます。

❏四畳半室内
木下邸時代には、浴室隣の脱衣室の棚部分と一体化して6畳間として使用し、茶の間(家族居間)として使用していました。床の間部分の下板と地袋天板も、現在では入手困難な1枚板を使用し、こちらの柱も面皮柱となります。

❏脱衣室
前施主 又野良郎家族は、舞子海岸から帰ってきた際に、すぐに浴室に入れるようにしていました。前述の4畳半室内でも記載しましたが、右側の棚部分を取り込んで6畳間に改造されましたが、公開に併せて竣工当時の姿へ戻されました。
天井部分は駆け込み天井とし、天井部分は網代天井にして竹材を使用するなど、小さいながら数寄屋的意匠にしているほか、流し部分には、当時では貴重な、タイル張りとしています。

❏浴室部分
竣工時の図面と痕跡調査からその当時の姿に戻されました。
竣工当時からガス式のシャワーを設けるなど現代と変わらない設備を設えていました。浴室の配水は、洗い場のスノコを上げると再利用できる仕組みになるなどの工夫もされています。
天井部分は舟底天井とし、水滴が天井に溜まらないようにしています。

≪土蔵部分≫
土壁造りの、竣工年は主屋棟と同じく1941年になります。
こちらには家財道具などが保管されており、阪神淡路大震災でも被害は軽微なものでした。

≪編集後記≫
初頭に記載したように、旧木下家住宅に関しては、データ不足で記載できませんでしたが、今回の遠征でガイドツアーなどを受けて改めて記載が可能になりました。
現在、舞子海岸は堤防となり、瀬戸大橋などが出来て、竣工当時の外観を味わえないものの、かつて海岸時代だった頃の海浜別荘建築の意匠を強く残す邸宅として、これからも大切に使用されていくことを願って止みません。
