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わが心の近代建築Vol.101 旧吉田家住宅歴史公園/千葉県柏市

みなさん、こんにちわ。
100棟まで9カ所連続で洋館について記載してきましたが、今回は久々の和風建築として、千葉県柏市に保存されている古民家建築の旧吉田家住宅について記載します。
施主の吉田家は、キッコーマン醬油の前身になる野田醤油株式会社ともゆかり深い家柄で、邸宅自体も、江戸期から牧士もくし(武士)、商家…
3つの側面を持った家柄になります。

≪吉田家住宅について≫
吉田家住宅は、花野井の上級農民として、大規模農業を営む一方、江戸期は代々名主なぬしを勤める名家として知られ、1805年からは醤油醸造しょうゆじょうぞうに進出し、1831年からは穀物業を行うなど、在郷望民としての辣腕を振るいます。また、江戸幕府御用牧として開設された小金牧こがねまきの管理にも携わり、名字帯刀と鉄砲所持、乗馬が赦された家柄でもありました。また、1894(明治27)年には銅板として、吉田家の状況が残されています。

1894年当時の吉田家
【旧吉田家住宅歴史公園 HPより転載】

まきの廃止後は、跡地は開墾事業が計画され、吉田家も開発に深くかかわり、豊四季とよしき村、十余二とよふた村など、数々の村が誕生しました。吉田家ではそれらの開発以外、醬油醸造しょうゆじょうぞう、乗合自動車業、北総鉄道(東武野田線の前身)の設営など、様々な分野に進出します。

吉田家が行った乗合自動車業
【旧吉田家住宅歴史公園HPより転載】

1922年に吉田家は醤油醸造を野田醤油株式会社(現キッコーマン)に譲渡し、昭和に入ると、施主 吉田甚左衛門よしだ じんざえもんは地域振興事業に乗り出し、手賀沼てがぬまを中心とする観光事業を行うほか、柏競馬場誘致に尽力し、1928年には現在の豊四季団地のある場所にオープンし、その規模は東洋一といわれ、競馬開催時には9万人の入場者があったことが伝えられています。

かつての柏競馬場
【柏市HP より転載】

また、ゴルフ場経営、テニス事業のスポーツ運営に乗り出し、ゴルフ場の名簿には、皇族や政財界の要人も利用し、その中には、このBLOGでも邸宅を扱った近衛文麿このえ ふみまろ岸信介きし しんすけなどの名前もありました。

柏ゴルフ場
【柏市HPより転載】

なお、邸宅と庭園は2004年に柏市に寄贈されたのちは、2009年に歴史公園として開業し、2010年に邸宅が(国指定)重要文化財に、2012年には庭園・屋敷林が国指定名勝に認定されました。

≪たてものメモ≫
旧吉田家住宅歴史公園
●竣工年:
 ・長屋門:1831年
 ・新蔵:1833年
 ・主屋/書院棟:1854年
 ・新座敷棟:1865年
●文化財指定
 ・邸宅部分:重要文化財
 ・庭園部分:国指定名勝
●入館料:
●写真撮影:可
●交通アクセス
 JR柏駅よりバス「花野井神社前」下車 徒歩5分
●参考文献:BS朝日放映「百年名家」

≪平面図から≫
旧吉田家住宅歴史公園は、敷地面積6518坪という広大な敷地に、江戸末期から明治期までに継続的に建てられた建物群から成立します。
吉田家からか柏市に寄贈され、徹底的な建造物調査と修繕工事が図られが行われ、2012年には下総地区を代表する大型民家として重要文化財に選定されますが、
 ・長屋門:1831年
 ・新蔵:1833年
 ・主屋/書院棟:1854年
 ・新座敷棟:1865年
に竣工し、それぞれの特徴を見る事ができます。

平面図
【旧吉田家歴史公園HPより転載】

≪長屋門≫
こちらは1831(天保2)年に造られたものになり、全長25m、幅5㎡にもなる広大な門で、門構えは総ケヤキ造り。門扉もんびには、樹齢数百年といわれるケヤキの一枚板を使用しています。

長屋門 全景

また、長屋門脇には円錐型の石が何個も陳列していますが、これは馬繋ぎうまつなぎといわれる、吉田家を来訪した方々が馬を繋ぎ留めておくための止め石となります。

馬繋ぎ部分

長屋門内部には、左右に室内が設けられていますが、こちらは米蔵として機能しており、現在はカフェスペースや農機具の展示場などに使用されています。
室内に設けられた斜めの板材は、室内に米俵を置いた際に、漆喰しっくい壁を傷ませないためのものです

長屋門 内部

≪新蔵≫
新蔵は、長屋門より2年遅れて、1833年に普請したものになります。
現在は、各種展示スペースとして利用されており、内部構造は、柱に分厚い板を落とし込む板倉工法いたくらこうほうとなります。
吉田家時代には農機具などを収納する室内として活用されましたが、建てられてから、190年以上経過しますが、建物自体に劣化が見られず、この当時の大工技術と、厳選された材を使用したことを垣間見ることができます。

新蔵部分

≪主屋外観≫
全般的に
主屋の竣工年は、1854年と、長屋門・新蔵に比べ、時代的に新しいものとなります。
桁行けたゆきは20.4m、梁間はりま10.1mの寄棟造よせむねづくりの茅葺屋根となり、吉田家の特徴として、牧士もくし・商家・農家としての3つの側面を賄うよう、写真左から、それぞれのための玄関が設けられています。

吉田家住宅歴史公園 主屋外観

筑波式つくばしきの茅葺屋根
茅葺屋根を臨むと、その厚さは2.5mと極めて分厚いものとなり、わら、竹、杉皮などを幾重にも使用した層になっており、この様式は、千葉県北部~茨城県つくば地区に多く見受けられたものになり、特に式台玄関から臨むと、茅が見事に歪曲しており、優れた茅葺職人かやぶきしょくにんのスキルを垣間見ることができます

筑波式の茅葺屋根

牧士もくしとしての玄関部分
吉田家は、この地区を統括する牧士《もくし》として、名主を勤める家柄から、多くの要人が彫ぷ門することから、式台玄関が設けられています。
この玄関は、要人が駕籠かごで訪問した際、駕籠かごのまま乗り入れできるために設けられた個所となり、屋根上部には瓦屋根も設けられています。

式台玄関

商家としての玄関部分
商家として、ミセ部分にも玄関が設けられており、吉田家に勤務する従者や、米類などを納品する農民をチェックする際にも用いられていました。なお、写真右側の出張った部分は小さな小部屋となっており、こちらは明治期に造しくされた箇所となります

ミセ側の玄関部分

小部屋は帳場座敷ちょうばざしきとなり、わずか3畳ほどの広さしかないものの、床柱には棕櫚しゅろを用い、竹材を使用、小さいながら床の間や違い棚もあしらわれていました。
この部屋には、吉田家の中でも主人や番頭など、ごく限られた人物しか入室できなくなっており、右側の緑色のステンドグラスは、表から見ると黒く見え、中からはどんな人物が吉田家にやってきたかを、相手にみられす把握することができました。

ミセ側玄関の帳場座敷

豪農としての玄関部分
一番左側の玄関が、豪農としての玄関部分になり、現在は、見学者用の玄関として使用されています。
なお、竣工時はガラス戸ではなく大戸であったと推測されます

効果としての玄関部分

≪主屋室内部分について≫
ドマ部分
ドマ部分は、寄贈されたのちの修繕工事時に作り直されたものになります。現在、右側にある部屋はのランティアガイドの方の控室になっていますが、吉田家時代には、ここでにわとりなども飼育してました。
修繕工事で、カマドが5連あったことが発見され、吉田家では、ここで煮炊きをしていました。

ドマ部分

天井部分は、松のはりが幾重にも重なった状態で、白い部分は、防火のため、松材に荒縄を縛り、白漆喰を塗りたくった名残になります。
これにより、防火対策が施されました

天井の梁部分

ドマ隣の、大きなフードのある部屋は、明治期に新たに設けられた釜屋になり、以降は、こちらで煮炊きが行われるようおになりました。
この大きさを見るだけで、吉田家がいかに大所帯だったかを伺い知ることができます。

明治期に新たに設けられた釜屋部分

ミセ部分
吉田家では、この部屋をミセと呼んでいました。
ミセとは、商家において来訪者との応対をする空間で、店(見世)などと言われています。
明治27年の吉田家銅版画では、ミセ南東部隅に帳場格子と机があり、帳場が置かれ、接客している様子が描かれています。
近年では、家族の居間として使用されていました。北面に約2件もの神棚を設けていました。

ミセ部分

ミセ部分には、大きな神棚が置かれ、天井部分は極めて太い根太天井になっているほか、差鴨居さしかもいはマツ材が使用されており、4間もの間口を支え、竣工より190年以上経過しているにもかかわらず、建具に狂いが発生していない点に、関わった職人の方のスキルと厳選された材を使用したことを伺い知ることができます。

差鴨居部分

チャノマ部分
チャノマは、現代でいう所の、家族居間として使用された箇所で、右側の囲炉裏いろり部分は修繕工事で復元されました。天井部分はミセ部分同様、太い材を使用しており、こちらも竣工より190年以上邸宅を支え邸まし

チャノマ全景

ゲンカン部分
式台玄関に続く室内になります。
貴賓者を招く場所のため、竿縁天井さおぶちてんじょうとなります。この部屋より、書斎棟などへ貴賓者を招き入れていました。

ゲンカン 全景

仏間
式台玄関後部にある部屋で、当初は鞘の間さやのまとして、書斎棟など、各部屋との通路部分として使用してい仏間部分ました。
吉田家では仏壇を置いて仏間として使用しても使用してました。

仏間部分

≪主屋〜新座敷棟の渡り廊下部分について≫
新座敷棟について
新座敷棟は、1865年に普請したもので、ナンドと女中部屋を付けた廊下を伝い、2間続きの室内になります。
こちらは吉田家の家族居間に充てられ、屋根は茅葺かやぶきではなく、桟瓦葺きさんがわらぶきとなり、2006年に寄贈されるまで、先代当主夫人が住み続けました

新座敷棟外観

ナンド部分
ナンドは、吉田邸の中で、へそ・・に位置し、主人の執務室兼金庫として用いられ、重要な書類などが置かれていました。この室内には、主人と番頭など吉田家の中でも、ごく限られた人物しか入室できませんでした。

ナンド 全景

なお、この室内は締め切って作業が行われ、吉田家の住人はねずみ戸・・・・を通じてやり取りが行われ、ねずみ戸・・・・はブツマの下部分に繋がっています。

ねずみ戸部分

また、一見殺風景にみえる室内の釘隠しは、柏の葉が選ばれており。柏の葉は翌年の春が来るまで落ちることがないことから、「代を途絶えさせない」という意匠が込められています。

柏の葉の釘隠し部分

女中部屋
ナンド隣に位置し、広さは3畳ほどになる、住み込みの女中用の室内になります。出窓にはりガラスと格子戸こうしどを嵌め、廊下側の入り口の板戸には、コロ・・が付けられており、女性を護る防犯対策上、開け閉めを行うと、大きな音が鳴る仕組みになります。

女中部屋

西室
西室 次の間は6畳間からなります。
先述のように新座敷棟は、家族空間だったため、主屋や書院棟に比較して、質素な造りになっています。また正面部分には、槍をかける台が設けられています。

西室 次の間

座敷部分は8畳間となり、天井部分は竿縁天井となり、床の間隣には収納のための押し入れが設けられ、こちらの床の間部分は全国的にも珍しい2段床となります

西室座敷部分

東室について
東室 次の間部分も天井は竿縁天井となり、室内は6畳となりますが、格子窓が設けられ、西室に比較して、1枚板物の欄間が設けられるなど、西室に比較して位の高い者となります。

次の間

次の間と同じく、天井部分は竿縁天井となり、右側に床の間、左側には収納のための押し入れが設けられ、こちらの室内も8畳間となり、欄間には、亀が設えています。なお、西室/東室双方ともに書院は設けられてません。

座敷部分

≪書院棟について≫
書院棟 外観
主屋棟から渡り廊下を伝い、書院棟に行ける構造になっています。
竣工は主屋棟と同じく1854年の竣工になり、屋根は桟瓦葺さんがわらぶきの2重屋根で、錣葺しころぶきという、古くは寺社建築などに用いられた形式になります。
屋根の下部のひさしは長いものになり、それぞれ室内前には沓脱石くつぬぎいしが置かれるなど、この棟が、武士などのきひんしつとて手の役割を果たしているため、格式高い棟となります。

書斎棟 外観部分

渡り廊下
主屋と廊下部分を繋ぐ渡り廊下は、雨の日などは扉が閉まる形状になり、こちらを利用する来賓者に対する配慮がなされています。
また、中央部分を見ると、柱の上に土台を載せる形状になります。

渡り廊下を表側から臨む

次の間
天井は竿縁天井となり、特に目を奪われるのは、欄間の組子ですが、花組子欄間はなくみこらんまと呼ばれるもので、圧巻なのが1枚の板に直接彫ったもので、この邸宅に関わった大工のスキルの高さを温めて垣間見ることができます。

次の間 全景

座敷部分
こちらの室内では、様々なロケに使用されたほか、将棋の名人戦などにも使用された名所となります。天井部分は竿縁天井となり、釘隠し部分は、六曜ろくようがあしらわれたものとなります。また、付け書院に床の間、違い棚と天袋を設えた本格的な書院となります。

書院棟 座敷部分

天袋部分の豪華な絵は、幕府お抱え絵師・狩野雅信かのうまさのぶの作分になり、この絵の裏には違うデザインのものが書かれており、季節に応じてその図柄を変えることができます。
また、違い棚は筆返しが付き、下の床部分に関しては、1枚板の銘木が使用されています。

天袋と違い棚

付け書院部分は、書院障子は細かい桟が使用されており、こちらからも普請した際の大工の方のスキルを伺い知ることができます。また、書院欄間部分には仁保の松原と富士山が描かれています。

書院欄間と書院障子部分

≪編集後記≫
最近は、旧前田邸駒場和館より、連続して洋館を連続して記載し、久しぶりの古民家建築でしたが、改めて、その厳選された材、そして大工の方の素晴らしいスキルに感動しました。
現在、旧吉田家住宅に関しては広く公開されているので、ぜひとも拝見してほしい邸宅の一つです。
なお、現在、この界隈の古民家建築の写真がたまっており、近いうちに記載していければと強く感じます。

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