見出し画像

わが心の近代建築Vol.108 ふじみ野市立福岡河岸記念館/埼玉県ふじみの市

みなさん、こんにちわ。
今回は、今年の冬に訪問した、埼玉県ふじみ野市立福岡河岸記念館について記載します。本来は昨年度に公開出来たらと考えていましたが、写真が揃わず、遅れて今回になりました。
この邸宅は、荒川の支流のひとつ、新河岸川沿いにある回漕問屋かいそうどんやであり、施主 10代目星野仙蔵氏は、女優 星野真里さんの曽祖父にあたる方になります。

星野真里氏
【CDシングル「永遠の海」より転載】

≪埼玉県ふじみ野市と新河岸川について≫
ふじみ野市は埼玉県南西部に位置し、北と西は川越市、東には富士見市、南部分は三芳町に隣接しています。
武蔵野台地の北部の平坦な地域に位置し、地質は関東ローム層になります。北部には荒川の支流の一つ、新河岸川しんかしがわが流れ、江戸期から昭和期にかけては舟運の水路として利用されていました。

埼玉県川越市寺尾付近の新河岸川
【Wikipediaより転載】

≪星野家の生業について≫
施主の星野家は、7代目星野仙蔵が1831年に回漕問屋かいそうどんやを興したことに始まり、屋号を福田屋とし、1911年ごろまでには回漕業かいそうぎょう・農作物の仲買業・船問屋を行い、明治中期に最盛期を迎えました。
回漕業かいそうぎょうは近隣を流れる新河岸川を活かし、川越・和光成増を超え浅草花川戸はなかわどまで物品や人を運ぶ業種で、この界隈には有力なものとして福田屋以外に吉野家・江戸屋の3つがありました。

明治40年代の新河岸川の状況
【邸内展示パネルより転載】

回漕業かいそうぎょうについて≫
❏新河岸川/荒川の河岸場かしば

新河岸川舟運しんかしがわしゅううんの始まりは、1638(寛永5)年に川越の大家で焼失した仙波東照宮せんばとうしょうぐうの再建資材を、新河岸川を利用したのを始まりとし、1647年ごろに本格化しました。
地の利を得た新河岸川沿岸には、川越藩の御用荷物を中心に取り扱う川越五河岸や古市場河岸(川越市)、引又河岸(志木市)が開通し、その後の開拓で多くの河岸場が開かれ、新河岸川近隣農民と江戸を結ぶ経済流通の中継地として発展しました。
ふじみ野市立福岡河岸記念館のある福岡河岸は1733年より回漕業かいそうぎょうを営み、明治中頃まで舟運により栄えました。

新河岸川/荒川(現墨田川)の河岸場ルート
【邸内展示パネルより転載】

❏船便の種類
船便の種類においては…
並船なみふね:荷物だけを運ぶ不定期便で、終着地の浅草花川戸との間を往復するのに7~10日ほどかける
早船はやふね
乗客を主として運ぶ屋形船で、急を要する軽い荷物も扱い、4〜5日で1往復する
急船きゅうぶね
急ぎの荷物を扱う不定期便で往復3〜4日ほど要しました。
飛切とびきり船:
今日下って明日上がる特急便で、主として鮮魚、茶などの荷物を東京から運搬しました
かり
サツマイモ、野菜などの農作物を運ぶ便で、雁が渡る秋から冬にかけて運航する便でした。

早船の広告
【邸内展示パネルより転載】

≪施主 (10代目)星野仙蔵≫
なお、この邸宅の施主 10代目星野仙蔵(1870~1917)は、回漕問屋かいそうどんや福田を営む以外に、地域経済に多大な足跡を遺し、米穀取引所監査、川越銀行頭取、黒須銀行を経て1899年からは衆議院議員に当選します。

施主 10代目星野仙蔵
【邸内展示パネルより転載】

特に、東上鉄道(現在の東武東上線)設営に多大な貢献をし、東上鉄道の監査役に就任します。特に、同期議員の初代 根津嘉一郎と親交を結び、東上鉄道設営の話を聴き、地元財界人として、多当時の金額で1600円という多大な寄付をし、河川改修や鉄道出現などから、家業の回漕問屋かいそうどんやに見切りをつけ、東上鉄道開通に力を注ぎ、池袋〜田面沢たのもざわ駅間を開通させます。

大正10年 上福岡駅開業にて
【邸内展示パネルより転載】

また、剣術にも長け、小野派一刀流剣術の免許皆伝を受け、衆議院時代には、剣道などの武道の中学校正科への編入に尽力し、2005年には全日本剣道連盟により、特別顕彰者に推薦されています。

≪建物メモ≫
ふじみ野市立福岡河岸記念館
●竣工年:明治初期〜1900年
●設計者:不詳
●文化財指定:埼玉県の景観重要建造物
●交通アクセス:
 東武東上線「上福岡」駅より徒歩20分
●参考文献
 ふじみ野市立福岡河岸記念館 展示パネルなど
●留意点:
主屋2階とはなれ2階と3階は限定公開
(ふじみ野市立福岡河岸記念館HPを参照)

≪最盛期の福田屋の配置状況≫
今回扱う福田屋は最盛期には10棟以上の蔵、星野仙蔵氏が剣術の達人であったことから道場などが建てれていましたが、現在は主屋・台所棟・文庫蔵・はなれの4棟のみとなりますが、そこから福田屋最盛期の状況を伺い知ることができます。

明治40年代の福田屋の状況
【邸内展示パネルより転載】

≪平面図≫
現状、旧福田屋は主屋棟と台所棟、文庫蔵、はなれ部分、庭園部分(屋敷神)が身が保存さえていますが、はなれ部分においては、福岡河岸のランドマークとして君臨しました。なお、この4棟は渡り廊下で結ばれており、かつて回漕問屋として栄えた時代を偲ぶことができます。

平面図
【ふじみ野市立福岡河岸記念館HPより転載】

≪主屋≫
❏外観部分
明治初期に建てられた建物で、敷地の南面に位置し、2階建ての切妻きりつま入母屋いりもや造とし、屋根構造は桟瓦葺きとしています。になっています。ひさしの幅は1間半になり、上部は細かい桟が入る商家的な建造物になります。

主屋部分

❏どま
回漕かいそう問屋時代には、土間部分には多数の手車が行き来しました。手前には手車が置かれていますが、これらは車大工によって作られますが、この界隈には職人がいなかったため、隣接する古市場や南畑の職人によって作られました。

どま部分

❏敷居部分
敷居は、手車の大きさにより取り外す言事ができます。
荷物の大きなときには外して、数多くの荷物を行き来させました、また、夜には上部の雨戸を閉め、防犯上の配慮がされていました。

敷居部分

❏帳場
荷主との取引に使用された箇所で、荷物を運ぶ馬主まぬしや船頭たちも多く出入りし非常に賑わっていました。帳場の座敷の一角は帳場格子ちょうばごうしで仕切られ、内側に帳場机、銭箱ぜにばこ、あたりすず(すずり箱)、ソロバンなどを置きました。帳場には神棚があり、写真左奥の金庫室には大神宮だいじんぐう様、なかのまに繋がる部分には生涯の神様にあたる恵比寿えびす様をおまつりしました。

帳場部分

❏金庫室
正面部分の金庫室の外観を見ると、桟が付けられていますが、一見木製に見えますが、安全のため、鉄柵を使用しています。
この方式は、多くの商家で用いられており、防犯対策に関しては、重点的に行われていました。

金庫室

❏ちゃのま
家族団らんなどに用いられた室内になります。障子は大阪障子になり、季節により通気を行えるもので、階段部分は、移動ができる箱階段となり、ここから2階に行く形になります。
なお、この箱階段に関しては、この邸宅のために造られたものではなく、違う邸宅で使用されたものを再利用した形になります。

ちゃのま部分

❏なか
帳場を1枚板の杉戸で隔てた部屋で奥の座敷の次の間として活用されました。天井部分は、チャノマなどとは違い、竿縁天井さおぶちてんじょうとし、一線を画しています。

中の間

❏おく部分
床の間を配しており、入側部分の額は、10代目星野仙蔵が館長を務めた福岡明信館に掲げられていたものになります。こちらには、剣術を学ぶ者の心得などが記載されています。一方、仏間側には槍を掲げる柵が設けられています。

おく全景

床の間の天袋と地袋には、桃太郎の絵が掲げられ、こちらは10代目星野仙蔵と親交のあった尾形月耕おがた げっこうが記載したものと言われています。なお、こちらはレプリカになり、本物は近隣のふじみ野市郷土歴史館に展示されています。
中央部分のガラスは6角系の桟が付けられ、摺りガラスには鶴と亀が描かれています。

天袋と地袋

付け書院の書院障子は、すべて細桟で行う緻密なものになります。書院欄間は、細かい桟を菱形に連ね奈たものとなり、下部の書院障子はモダニズムにも精通する幾何学模様があしらわれているほか、下部は亀の甲羅状のデザインとなります。

平書院部分

❏2階寝室
「なかのま」の箱階段を上がると、日本の伝統建築に多く用いられる整形四面造り(田の字型)の室内になります。この部分は、星野家家族の寝室になり、奥側のみ平書院が付けられています。

2階全景

❏台所棟を繋ぐ廊下部分
通路部分には梯子が掛けられますが、この部分は福田屋に勤務する女中さんの寝室になります。この部分は夜は防犯上などのため、梯子を外して夜を迎えますが、現在に比較して、女性の身分が不安定な状況を伺い知ることができます。

2階 女部屋
【邸内展示パネルより転載】

≪台所棟≫
主屋部分と板の間で繋がり、台所棟が付随しています。
この建物は切妻造り瓦葺木造2階建てとなり、明治30年代に建築され、主な用途として、福田屋に勤務される方と星野家の家族の食事が作られ、建物前には井戸が設けられています。

台所棟 全景

2階部分は男性従業員の寝室になり、番頭ら福田屋に勤務する方が寝泊まりし10畳ほどの広さになります。女子寝室に比較して、室内が広く設けられている事、梯子がなだらかになっていることから、女中寝室よりも恵まれた環境下にありました。

2階 男部屋
【邸内展示パネルより転載】

台所部分は天井が根太天井となり、大番頭はじめ、番頭、蔵番など、問屋に勤務する人間の食事をこの部分で賄いました。
また、冠婚葬祭などは蔵から食器類や大皿を持ち出してここで盛り付けて運搬しました。

だいどころ部分

≪文庫蔵≫
黒漆喰で塗り方貯められ、切妻造りの瓦葺木造2階建てとなります。
1894年の敷地図には現在の位置に「瓦葺平屋土蔵」と記され、其以降に現在の文庫蔵が新造されました。
柱や小屋組架構材などがかんなで削られている構造技法から、大工さんのスキルが成熟期を迎えた明治時代後期の建築と考えられます。
屋根は泥や漆喰で小屋組みを整えたうえ、別構造の屋根を載せた置屋根になっています。

文庫蔵 外観

現在、1階部分は旧福田屋の歴史などの展示スペースになりますが、ここに使われている箱階段に関しては、「慶応四戊辰(1868)正月吉日 福田屋仙蔵」の墨書ぼくしょが残されていることから、元々あった建物の箱階段を再利用したと考えられます。
文庫蔵の2階には、着物や布団などを入れた長持ちと、季節ごとに変える建具。1階部分は舟道具の置きランプ、書画骨董品、商売で使用した大福帳などの帳簿が保管されました。

文庫蔵 1階

≪はなれ≫
❏外観について

こちらは10代当主 星野仙蔵ほしの せんぞうが迎賓の場として1900年ごろに建立したものになり、2階ひさしの屋根裏には屋根職人が釘で刻んだ「明治三十一年」の年号が見られ、この頃には建設であったことが分かります。3階まで達する通し柱は四隅と室内2本の合計6本で構成され、1923年の関東大震災も無傷であったことが伝えられています。棟の頂上までは11.4mあり、寄棟造の屋根には下地に杉皮を貼り、棟は熨斗瓦のしがわらを高く積んだものとなります。

はなれ 外観

❏1階部分
1階廊下部分は邸内でも改造を受けた個所になり、1階東側の開口部に接して、大便所をそなえ、入り口部分の小便器が設けられています。
この部分が迎賓の場として建てられたため、便器は陶器製になります。

厠部分

なお、現在は廊下と物入に使用されている部分は浴室が設けられており、天井部分には旭光きょくこう形が描かれ、窓ガラスには6画形のデザインが付けられ、亀をモチーフにしています。
柱などの痕跡を見ると、明治42年に改築されたものと推測されます

旧浴室部分

1階座敷は4畳半の広さになり、茶室としても使用できます。
こちらの部屋の床柱には変木へんぼくになりますが、これは唐木三大銘木からきさんだいめいぼく鉄刀木たがやさんといわれ、天井部分と床板は柾目の鏡板かがみいたを使用し、床脇の天袋てんぶくろは、仙蔵せんぞうと親交のあった尾形月耕おがた げっこうが描いた「月の海図」で飾られています。

1階 座敷

❏2階部分
10畳間の和室になり、こちらの床柱にも、唐木三大銘木の黒檀こくたんが使用されています。天井部分は格天井となり、1階部分と比較してうるしが塗られた、さらに豪華な設えになります。

床の間部分を臨む

障子部分を臨むと、障子上部の欄間には様々なデザインが施されており、壁襖の間のガラス部分には、紅葉を描いた結霜けっそうガラスとなります。天井板には波のような杢目もくめがついた鏡板を使用し、1枚物の板を交互に付けられた形になります。

障子部分を臨む

3階に行く際の階段前には、亀に拘った星野仙蔵らしく亀同士が剣術を競い合う欄間が設けられています。さり気ないところに星野仙蔵の好みを感じさせます。

階段部分にある欄間

❏3階部分
12畳間になり、床部分の隣には、平書院をイメージした白/透明/緑の3色のステンドグラスが張られています。
床柱と床框とこがまちには唐木三大銘木からきさんだいめいぼく紫檀したんを使用した厳選されたものとなります。仙蔵はこの部分に宮中から下賜された両陛下の御真影を掲げたことがつたえられています。

3階 床の間を臨む

縁側と境目に設えてある8枚の障子は、ガラスは凝 ったもので、松葉散らしを意匠した摺りガラスになるます。
障子の組子は、細い横桟に細い横繁 を吹寄状に組み入れたデザインになり、非常に高い大工スキルを垣間見ることができます。

堅繁たてしげ障子

この部分からは新河岸川を臨むことができます。また、この塔屋自体が、竣工当時はランドマーク的な役割を果たし、新河岸川を利用する船頭さんの目印にもなりました。
竣工当時は、西に富士山、東に筑波山を臨めましたが、現在では、スカイツリーを臨むことができます。

3階から新河岸川を臨む

❏屋敷神について
古くから続いている家には、家の中に神棚とは別に、屋敷やその土地を守護するため、敷地内に誌イサナ祠や神社を見る事ができますが、福岡河岸記念館には中庭部分と台所棟脇に屋敷が身を見る事ができます。
台所棟脇の屋敷神は。中に納められている赤い鳥居、狐の置物から稲荷社と思われます。稲荷社は京都市伏見区の伏見稲荷大社を総本社とし、稲作の神、食物の神、商売繁盛の神など奥の信仰を集めたものになります。
なお、右に向かって作られた小さなほこらは何を祀ったものかは不明です。

中庭部分の屋敷神は、埼玉県秩父市にある三峰神社を祀ったものになり、獣除けや害虫除け、盗難・火災除けに霊験あると言われ、古くから関東・甲信地方を中心に多くの参拝者を集めており、7代目当主 星野仙蔵の頃から参拝しておりました。

中庭側の屋敷神

≪編集後記≫
この邸宅も10年前に訪問した箇所になりますが、今回、改めて記載してみて、実に見どころ多い邸宅であると同時、日本の大工スキルが最高潮に達した時代に造られた名建築であると改めて勉強になりました。
かつて日本には、こうした邸宅が多かったのですが、現在では大変貴重なものとなり、ふじみ野市立福岡河岸記念館もその中の一つになります。
また改めて、このような邸宅を記載できたらと感じます。

いいなと思ったら応援しよう!