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わが心の近代建築Vol.66 旧山本家住宅/兵庫県姫路市網干区

みなさん、こんにちわ。
今回は、今年の1月に訪問した関西遠征より、姫路市網干にある旧山本家住宅について記載します。

≪網干の歴史≫
網干は揖保川によって運ばれた土砂が河口付近に堆積し、そこに形成された三角州に街が造られたことに始まり、網干の街は、昔から瀬戸内海航路に開けた中継港として発展しました。
領地においては、姫路藩領から龍野藩領に代わり、丸亀藩・龍野藩・幕府領として別れ、1889年に市制・町村制に伴い、網干町として形成。
のちに旭陽村と合併し姫路市網干区として成立しました。
また、網干の街は様々な寺院が立ち並ぶ寺社町にもなっています。

網干にある龍門寺【姫路市教育委員会発行 網干歴史めぐり冊子より転載】

また、一時期は明治期以降の工業化のため、一時期はワースト5位まで数えられた揖保川も近年では清流を取り戻し、アユが戻る清流まで戻りました

揖保川網干区興浜第2ライブカメラ【ライブカメラDBより転載】

≪施主 山本真蔵について≫
まず、この邸宅は、マッチ製造で財を成し、網干銀行頭取や網干町議などを歴任した山本真蔵氏が迎賓施設として建てた邸宅で、室内は大小合わせすべて22部屋あり、建築費は現在の金額に換算すると10億円規模の邸宅になっています。

施主 山本真蔵【邸内展示パネルより転載】

≪たてものメモ≫
旧山本家住宅
●竣工年:
 ・主屋:1915年
 ・迎賓部分:1918年
●文化財指定:姫路市都市景観重要建築物等
●交通アクセス:山陽電鉄「山陽網干」徒歩10分
●参考文献:
 ・姫路市教育委員会 「網干歴史めぐり」
 ・網干歴史ロマンの会 「山本家住宅 VRページ」
 ・LIFULL HOME‘S PRESS「姫路市網干地区「山本家住宅」。贅を尽くし、粋を極めた邸宅に“まちの歴史”も見る」
など

≪平面図≫
1階のみの平面図になりますが、旧山本家住宅は、大小合わせ、総計22部屋を保持した大規模な邸宅になり、主に離れ部分、迎賓施設としての洋館部分、主屋部分の3カ所に分かれます。
施主の山本真蔵氏は、ここより西にはない大邸宅の作成を目指しました。

平面図【カタログより転載】

≪外観について≫
①主屋部分

主屋部分は関西地区で多く見られた、天井の低い2階部分がある厨子2階建て。東側は切妻、西側は入母屋造りの桟瓦葺きとなっています。
真蔵氏の祖父は、網干地区の漁師の家に次男として生まれ、京都で修行し、呉服の卸なども行いますが、表の格子から、かつては呉服卸をやっていた状況を伺い知ることができます。

旧山本家住宅 主屋部分

主屋の主の間は、違い棚と付書院、床の間と天袋があるものの地袋の無い設えになっています。

主屋 「主の間」

仏間は4畳間になり、欄間は、四季の花を表した透かし彫りになっり、鶴の羽ばたく釘隠しを使用しています。

主屋「仏間」

②迎賓棟部分
迎賓部分は和洋折衷の建物で1918年製になります。当主の強い希望で、神戸より西にない建造物になっており、随所に手の込んだ大正ロマンを感じさせる和洋折衷の建物になり、1,2階とも真壁仕様ですが、1階部分は白木のツガ材を下見板張りにして、2階/3階部分は黒壁塗りにしてます。迎賓棟は、現在、今なお網干のランドマーク的なものになっています。

迎賓棟部分

玄関の屋根部分は日本の伝統様式である、木材を薄く重ねたコケラ葺きの唐破風屋根(現在は銅板葺き)。
斗組、蟇股、懸魚などの日本の建築様式を持つ一方、洋風のドアを持ち、懸魚のデザインもギリシア風になります。

玄関部分

≪1階 洋館部分≫
①玄関部分
玄関部分は、高級感あふれるモザイク模様の大理石を設け、天井部分は漆塗り、照明はクリスタルグラスを使用、腰板は吉野のカエデ材を使用し、木目を出しています。

玄関内部

②1階 応接室部分
床部分はケヤキ/黒檀/黒柿の木細工張り。
腰板のパネル部分はカエデ材、ケヤキ材のフレームに漆喰細工を合わせた合間天井。シャンデリアの金物は鋳物製、照明委は玄関部分と同じくクリスタルガラスになっています。

1階 応接室

暖炉部分は大理石製、上の鏡は明り取りのものでクジャク模様が出ている黒柿の木枠でできています。なお、この邸宅には煙突はなく、熱源は炭やコークスで取られ、熱気が天井を回り、四隅の穴から循環する細工がなされています。

1階応接室 暖炉部分

ドレープカーテンと応接セットについている模様は、葉アザミ模様で統一。この邸宅は竣工から100年以上経っていますが、改装や修理は一切加えられていないオリジナルになります。

1階 カーテンレール部分とカーテン

③1階書斎/サンルーム部分
基本的構造は1階応接室と同じ構造
この部屋の暖炉部分はアールヌーボー風に設え、家具類を見ると、模様は1枚の木から掘り出されたものになります。

1階 書斎全景

写真から隠れていますが、書斎の机前はステンドグラスが貼られており、通称「ツバメのステンドグラス」と呼ばれ、今では家が1件建つほどの価値があります。

1階書斎前のステンドグラス

なお、奥のタイル張りの部屋は、サンルームになっており、施主の真蔵氏は、ここでよく読書をされていたそうです。

サンルーム

④1階 洋間和室部分
洋間部分に繋がる和室で、床柱や落掛には、皮付きの木材を使用。角材の長押の回る室内になります。
なお、床は畳ではなく組子細工が施されたものになります。

1階 洋館部分の和室

この室内のある金庫は、日本初の西洋式金庫を作った「竹内製造」のもので、明治後半~大正中期に作られたもの。
ダイヤルが数字ではなく、イロハニのカタカナになり、現存するものは少ない大変貴重な物。
耐火性で分厚い扉内には砂が詰められて、鍵職人の間では「難攻不落の金庫」と呼ばれ、テレビ番組登場時には、2日がかりで全通りのダイヤルを試したものの開かず、最終的にはドリルで施錠しました。

1階 金庫のある和室/金庫部分

⑤金庫のある和室前の廊下
廊下天井部分はカーブしたものになり、天井の桟は1枚の板を削りまげ物の洋に設えています。
ガラス戸は、1枚1間合い面取りがされ、戸袋の戸や窓の指物模様も細かくお洒落なデザインになります。

金庫のある和室前の廊下

≪1階はなれ廊下部分≫
①離れ廊下
1階洋館部分と1階はなれを繋ぐ廊下は、トップライトにステンドグラスが設けられており、昼は青みがかった光が差し、夕方には赤みがかった光が差し込むようになり、天井部分には明り取りの間地が設けられています。

1階迎賓棟とはなれを結ぶ廊下部分

②浴室部分
浴室部分は、浴槽と床部分は大理石製になり、竣工当時は、女中の方がバケツに湯を運ぶものの、すぐに冷めてしまうため、ボイラーをし伝えたため穴があけられました。
天井部分は、天井部分が高くなり、湯気抜きの通風孔が設けられています。

旧山本家住宅 1階浴室

③洗面室
洗面室の壁部分は、格天井になっており、壁全面には大和絵が描かれた貝殻が埋め込まれ、その枚数は438枚。
そのいずれも、貝合わせではなく、一枚とて同じ絵柄はありません。

1階 洗面室

④1階奥和室部分
この部分は南側に15畳の離れ座敷があったため、「控えの間」として使用。
他の部屋に比べてシンプルでありながら、床の間は黒極の床木で、床柱には、黒柿が使用されています。
なお、離れ座敷部分は、現在道路北西の丸万鮮魚店の2階に移築されています

1階 奥和室

≪1階 はなれ座敷≫
①「主の間」1階部分

天井部分場は薩摩杉で木目がよく出ています。
床柱には絞り丸太を使用。ガラス戸は、手すきのガラスがはめ込まれ、斜めから見ると揺らぎが見えます。
襖部分は左右に開く猫間障子となっています。

1階 はなれ「主の間」

②次の間部分
この部屋は、天井部分は座敷と同じく薩摩杉の木目がよく出ている部分を使用。地袋部分も小野周文の作になります。
また、有壁が付けられており、天井をより高く感じさせる効果があります。
壁の掛軸には月霽風光と描かれ、「心清らかでわだかまりなく、爽快である」という意味を表します。

1階 離れ「次の間」

また、離れから洋館を臨むと、離れ部分の屋根が極めて高いことが判ると同時、屋根部分にハツリの付いた造りであるのと、洋館部分との対比が極めて興味深くなっています。

離れから洋館を臨む

≪庭園部分≫
山本家住宅は、水を利用した庭園ではないものの、来客時には、滝になるように水を流していました。
なお。灯篭部分は、当時は14基あったものの、現在は石台のみが遺されています。なお、庭園部分の石ですが、四国地方から運ばれたものを使用されています。

庭園部分

≪階段部分≫
階段は、総ケヤキ造り。
手摺の曲げ物なども角材から削り出しています。100年以上、修繕をしなくても現役の状況。踏みしめると、その堅甲さを感じることができます。

また、階段天井部分は西洋式の設え。
踊り場部分の西洋式の大窓は、上下に開くことができ、壁紙に見える大きなシミは湿気によるもの。
現在は再現不可能なものになるので、そのままの状況になります

2階から大階段を臨む

≪2階部分≫
①南側和室
2階和室は「控えの間」と「主の間」の2部屋から成立。
照明器具は雛飾りにみられるような形状になっておる、欄間は欄間は指物欄間で、五三の桐が透かし彫りにされています。

2階 南の和室/次の間

主の間部分の襖は金色になっており、先ほどの照明は、2基搭載。
床柱は、角柱を使用、また、隣の狆潜りは丸型。
狆潜りの由来は、徳川綱吉が「生類憐みの令」があるとき、犬が床の間で粗相してしまうので横に穴を作ったのが始まりで、以降、飾りとしてよく用いられるようになりました。
また、屏風は1階同様、小野周文の作品になります。

南側和室/主の間

②北側和室部分
こちらも、「主の間」と「控えの間」に分かれていますが、控えの間は元々濡れ縁でしたが、あまりにも傷みが激しいため、のちにガラス戸を入れています。
「控えの間」欄間を見ると、非常にモダンな造りで、こちらも「指物欄間」になっており、太陽と月をモチーフにして作られら物になります。

2階 北側和室「控えの間」

一方「主の間」は、窓の下が応接間という事もあり、外から見た際に洋風に見えるよう、鎧戸とガラス窓も洋風の桟組になり、鎧戸部分は白木を使い、柱の内側に収めて、和風の意匠と調和させています。
床柱は、この建物を建てるときにあった白梅を利用。床の間の地袋も三角形に切られたものを使用しています。

2階 北側和室/主の間

次に3階部分の望楼を見ると、北と西の2カ所に窓や欄干があり、北の窓からは事業所のマッチ工場やメリヤス工場を。
西側からは揖保川の集積場所を臨め、集積所や荷の出入り口を見る事ができました。

3階 望楼

≪編集後記≫
この建物は、偶然ネットで拝見し、一気呵成で訪問。
途中、様々なアクシデントがあり、本来見学できるところが見られないなどありましたが、これも旅の一興。
また、この建物の美しさにただただ圧巻させられると同時、この建物が、これからも多くの方に愛されることを願ってやみません。

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