わが心の近代建築Vol.99 葉山・加地邸/神奈川県三浦郡葉山町
みなさん、こんにちは。
今回は、神奈川県の葉山町にある葉山・加地邸について記載します。
この邸宅は三井物産初代ロンドン支店店長などを歴任した加地利夫氏の別邸として、1929年にFLライトの高弟にあたる遠藤新によって設計されました。
別邸完成から3年後、同じく遠藤新により本邸が設計されますが、その理由として、加地利夫夫人が遠藤新建築のファンであったためといわれています。
≪設計者 遠藤新≫
設計者の遠藤新(1889〜1951)は福島県に生まれ、東京帝国大学(現 東京大学)を卒業ののち、翌年には論文で当時の建築界の大家・辰野金吾が設計した東京駅を批判します。
明治神宮の建設に関わったのち、渡米し、世界三大建築家の一人・FLライトに師事し、ライトとともに帝国ホテル設計に従事するため、1920年に日本に帰国します。

フランク・ロイド・ライト、伊藤文四郎
【Wikipediaより転載】
帝国ホテルは、ライトの度重なる設計変更により、建築費用が嵩み、そのせいで作業工程が大幅に遅れ、帝国ホテル完成を待たずライトが解雇され、その後を遠藤新たちが引き継ぎ1923年9月1日に竣工イベントが行われます。
その日は折しも関東大震災が発生し、ほかの建造物の多くが倒壊する中、帝国ホテルはほぼ無傷で、改めて日本国中にライト建築の安全性を知らしめる結果となります。

【Wikipediaより転載】
遠藤新は、関東大震災以降、甲子園ホテルの設計のほか、震災の復興建築などを担当することでライト建築を日本に広め、1935年からは満州国と日本を行き来して建築活動を行いますが、終戦を機に1946年に日本に帰国するも、長年の渡航生活で心臓を悪くして、1951年に体調を崩して亡くなり、彼の葬儀は、彼の遺作にあたる東京都文京区の目白が丘教会で行われました。

【Wikipediaより転載】
≪葉山町について≫
葉山町は、その温暖な気候と自然に恵まれた場所柄、数多くの別邸建築や宮廷建築が建てられた場所になります。
いままで旧本多邸別邸、旧東伏見宮別邸洋館について記載しましたが、旧加地邸もその別邸建築のひとつになります。
それらの多くは、戦後の別荘地ブーム、老朽化などにより、その多くが解体されますが、葉山別邸は修繕工事を経て、現在はロケ地のほか、旧東伏見宮別邸洋館と同じく民泊施設として活用されています。
≪建物メモ≫
葉山・加地邸
●竣工年:1929年
●設計者:遠藤新
●文化財指定:登録有形文化財
●写真撮影:可
●公開/費用について:詳細はHPを確認
●参考文献:
・BS朝日放映『百年名家』
・加地邸保存の会監修「加地邸をひらく」
など
●交通アクセス:
京急線「逗子・葉山」駅よりバスにて「旧役場前」徒歩5分
≪平面図より≫
葉山・加地邸は、当初の予定では、ピロティやテラス/食堂、展望室などは右側に配していましたが、現地にて、その景観にあわせ左側に変更されて、現在の逆L字型にの形状になります。
遠藤新は師FLライトの建築思想を強く受け継ぎ、その土地の景観や自然などにあわせ、自身の設計を柔軟に変更する建築家でもありました。

≪外観について≫
❏正門部分
正門部分では、FLライトが多用した大谷石をふんだんに使用しています。
大谷石は宇都宮で多くとれ、帝国ホテル・ライト館などにも多く使用されており、スクラッチタイル同様、ライト建築の大きな特徴となります。

❏玄関部分外観
玄関部分を見ると、右側の玄関部分は小さく設えてあり、左側にせり出している食堂を2本の大理石の柱で支えています。なお、この大理石の柱においては、今回の修繕時に新しいものに変えられています。
ヨドコウ迎賓館にも言えますが、敢えて入り口を大きく見せないところも、ライト様式の特徴でもあります。

玄関左部分のピロティを見ると、食堂下が天井の低いテラス風になっており、内部には大理石製のベンチがあり、そこに腰かけて前庭を眺めると、1枚の絵画風になっています。
照明に関しては、純和風のものが取り付けて愛りますが、古写真から、竣工当時に付けられていたことが分かり、押入に眠っていたものを、90年の時を経て、もとどおりの場所に取り付けられました。

❏庭園側から臨む
旧加地邸は全体的にL字型になっており、庭園部分から臨むと、サンルームから玄関までのテラスは連続した直線的な外観になっており、師匠ライトのプレーリースタイルを継承した形になっています。

庭園側にあるベランダ天井の大梁に関しては、経年劣化により、朽ちていたため、新しいものに交換されました。
これにより、敷石の大きさを活かした伸びやかな印象と堂々とした佇まいが蘇りました。

サンルーム部分は、当初のデザインを変更した名残が残る箇所になります。本来はこちらにピロティが付けられる予定でした。
窓枠なども紫外線で劣化しないように処理され、割れた窓ガラスにおいても新しものへ交換されました。

屋根部分は青銅製となり、連続した四角い部分は排気口になります。この部分も今回の修繕工事で新たなものに変えられて、竣工当時の輝きを取り戻しました・

≪1階部分内観≫
❏玄関部分
玄関を開けると階段となり、表門から玄関まで続く階段の景観を、そのまま室内に持ち込んでいます。こちらの階段の1段目の幅が広くとられ高さもありますが、日本建築風の上り框になっており来訪者はここに座って靴絵御脱ぐことが可能になります。

上がり框部分から、玄関までの景観を臨むと、ちょうど1枚の絵になるようになっており、一見無機質な個所になってしまう所にもしかけを設けて、邸宅に魅力を持たせる点も、遠藤新がフランク・ロイド・ライトから学び取った大きな点でもあります。

❏サロン部分
玄関ホールから段差を設け、サロンに至りますが、遠藤新は建築において、暗がりから開放的な空間へ誘う事を得意としますが、この部分にもその意匠が込められています。
この例として、豊島区北池袋にある自由学園明日館などにも多く採用されています。

サロン部分は、大理石製の暖炉が目を引き、1階と2階部分が開放的になった意匠で、一気の来訪者の目を広げる形となります。この形は、FLライトの設計した自由学園明日館の中央講堂にも用いられています。
また、奥側の扉に6角形の窓が取り付けありますが、古来より6角形は蜂の巣に見られるように、効率的で安定した構造を持つことから、調和や安定、結合の象徴とされます。
葉山加地邸では頻繁にこの意匠を見る事が出来ます。

ホール部分の家具については遠藤新自らデザインしたものになりますが、遠藤新の建築思想として、邸宅のその家具類に至るまで、建築家の意匠を込めたものに統一すべきとして考えていましたが、この大理石の柱に突き刺さった柱も典型的な例になります。
同時期に活躍した建築家の山本節郎氏は、家具類に関しては居住者が自由に選ぶことをモットーとしていたため、この2人の間で、しばしば激論が繰り広げられ、二人の名前をとって新拙論争と呼ばれました。

今回、宿泊施設に改築する際、壁に漆喰を塗り直すほか、暖炉の上部の左右に付けられた吹き抜けの六角形の金箔1階も、職人の方々の手で新調されました。この吹き抜けは、背中合わせに付けられた撞球室に繋がっています。

❏バーラウンジ部分
こちらは、暖炉の後ろ側になり、加地邸時代は撞球室(ビリヤード場)として活用されました。
ビリヤード台については、GHQに接収された際に持って行かれたと推測されます。天井部分にはには通風孔を設け、たばこの煙などが外観の通気口から出る仕組みになっており、竣工当時は天井部分もクロス張りで、ヤニなどで煤けて汚れたら、新しいものに張り替えるようになっていました。

暖炉部分は、サロンの反対側に位置し、暖炉のデザインも撞球室用に設えたボール型になり、照明に関しては、ビリヤードに併せ、低く設えてあります。余談ですが、設計者の遠藤新もダンスを愉しむ“バンカラでハイカラ”な人物であったことが伝えられています。

❏サンルーム
サンルームは、先述のように、こちらに玄関が付けられる予定でした。四方にガラス窓を設けたボウウィンドウになっており、藤で編まれた幾何学的な形の椅子や6角形の机は当時の意匠。今回の工事で床部分が木目になりましたが、かつては床部分も藤で編まれたものでした。
なお、この室内は、UNIQLOのCMが撮影された場所で、女優の綾瀬はるか氏が長椅子に寝転ぶシーンが放映されました。

❏食堂/テラス
食堂はライト建築の意匠が最も色濃く残り、天井は頂点部分が舟底で両サイドは均等に低くなっています。暖炉は、葉山・加地邸内唯一の左右非対称になり、脇の照明が一体型となります。

テラスと食堂を繋ぐ窓と扉は、幾何学的模様になっており、自由学園明日館の講堂のようなデザインとなります。
食堂からは湘南の海が見え、この邸宅一番のビュースポットとなり、食後は表に出て家族団らんが行われました。

テラスは修繕前、3方向とも網戸でふさがれており、今回の工事で思い切って取り払われた結果、開放的になりました。
大谷石の柱は、1階部分のピロティに繋がり、邸宅の顔とも言うべき部分をテラスに象徴的に使用しました。

≪地階部分≫
浴室(旧管理人室)
食堂に繋がる台所階段を下ると地階(本来はここが1階)になります。
現在浴室がある部分は管理人室が置かれており、修繕を行う際、浴室をどこに配置するか議論になりますが、石型の浴槽を設けるため、建物の強度などを加味し、ちょうど、歴史的な特徴が少なかった地階の管理人室に置かれました

❏旧ボイラー室
浴室隣の部屋には、ギャラリーとして使用されていますが、かつてはボイラー室が置かれていました。
加地邸時代は公開されていませんでしたが、今回の修繕を機にギャラリーとして一般公開され、かつての様子を伺い知ることができます。

《1階寝室》
❏3つの寝室部分
サンルーム部分を抜けると、3室の部屋が連なっていますが、これらは子供たちの寝室として使用されました。各部屋とも、収納部分などの特徴があります。



❏子ども用ギャラリースペース
3室の子ども部屋に付随した、階段を上がるとギャラリースペースになり、収納などが広く保たれているほか、照明に関しても、上部に比べて下部が大きい、独特な意匠になっています。

子ども用ギャラリースペースからサロンを臨むと、池袋にある自由学園明日館の図書館部分から中央ホールを臨む景観に似ており、地反対側には、両親用のスペースを臨むことができます。

2階夫婦居住スペースについて
❏階段部分
遠藤新の建築思想として、師匠のFLライトの思想を大きく受け継ぎ、階段や廊下など、無機質なものになることを非常に嫌う建築家で、そこに何かしらの仕掛けをつける人物で、葉山加地邸でも、狭い部分から広い空間へ誘う仕掛けを付けています。
照明に関しても、直接的に照らすのではなく、間接照明にして、独特な雰囲気を醸し出しています。

❏展望室において
2階展望室は、葉山加地邸で最も高い場所に設けてあり、窓からは葉山の海を見渡すことができます。
正面窓に庇を設けることにより、目線を山の方に目をやるための仕掛けになります。
遠藤新は加地夫妻に、ここからの葉山の景観を演出したくて、邸宅の平面図を当初のものから変更しました。
なお、加地利夫夫妻は、遠藤新の仕掛けに感動し、ここからの景観を非常に愛したことが伝えられています。

❏浴室部分
浴室部分は、シックなタイルで幾何学的に演出されています。
修繕前についていた浴槽とトイレに関しては、修繕工事で、新たに現代的なものに新調され直しました。(オリジナルのものは既に撤去され、新しい時代のものに変更されていた)
一方、タイルなどはオリジナルのもので、張り出した窓は邸宅の様々な場所に使用された6角形の意匠となります。

❏夫婦寝室
夫妻寝室は今までの室内とは一変し、木の質感を重視したものになり、日本建築の長押を連想させる廻り縁や根太天井などの和風のテイストを重視し、ベット前の扉の後ろには柱がありますが、敢えて柱を置くことにより、ドアを完全に開けるのを避け、夫婦…
特に夫人の寝顔が扉を開けた際に直視させないに、さりげない配慮がなされています。

❏主人書斎
主人書斎は寝室と扉を通じ、主人書斎に繋がり、南と西に窓を設けた明るい設えとなります。照明部分も、遠藤新がこの部屋のためにデザインしたもので、あえて端に置くことにより、室内を演出しています。

≪編集後記≫
主人室の脇には夫人室もありましたが、現在は倉庫や空調設備が置かれ、見られないようになっています。
今回、改めて葉山・加地邸を再訪問して、以前訪問した時に気づかなかった点も多く、また、今回の修繕工事で、より素敵なものに変貌を遂げている箇所もあり、大変感動しました。
この邸宅は、宿泊施設以外にも、様々なロケやCMに活用されており、この建物の内部をどこかで見られた方も多いのではないでしょうか?
これからも末永く、葉山の顔として、他の歴史的な別荘群とともに葉山加地邸が大切にされていくことを強く望みます。
