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わが心の近代建築Vol.73 旧松本剛吉別邸/神奈川県小田原市

みなさん、こんにちわ。
最近、書く事が多くて、今までにないハイペースになっている当BLOG。今回は、小田原市に遺された旧松本剛吉邸について記載します。

≪西海子小路について≫
まず、この邸宅のある西海子小路について記載すると、その名前の由来は、サイカチの木が植えられたことに始まります。
この地名は、小田原藩主・稲葉氏の「永代日記」(1853)の記載にみられ、江戸期には中堅藩士の武家屋敷地となり江戸末期には17棟ほどが道の両脇に並び、明治期から昭和期にかけて多くの文人が居を構え、文学活動の拠点になり、現在は櫻の花がきれいな街並みになっています。

西海子小路
【小田原市観光協会HP LITTLE TRIP小田原より転載】

≪施主 松本剛吉氏について≫
松本剛吉は、1862年に丹波国氷上郡柏原町(現・兵庫県丹波市)に生まれ、1884年に神奈川県警部に任命、埼玉県警部、逓信属を経て退官。
そののち、林有造の秘書官を勤め、1904年には自ら衆議院議員に勅選され、4回当選。1927年には貴族院議員に勅選され。亡くなるまで在任。政界では、西園寺公望、原敬、山縣有朋と交友しました。

施主 松本剛吉

≪建物の歴史≫
この建物に関しては、明治の元勲・山縣有朋と関係深かった明治期の政治家、松本剛吉(1838~1929)が明治後期にこの土地を1923建設したベ邸建築で現在に至ります。
松本剛吉氏の手を離れたのちは、東京府農工銀行 頭取だった鈴木茂吉らの手を経て、1942年に日本橋富沢町で木綿卸商を営む「岡正」を営む岡田正吉の手を経て、正式に小田原市の手に渡り、一次は部分公開でしたが、2019年に整備されたのち、一般公開されたものになります。

旧松本剛吉別邸 正門部分

≪たてものメモ≫
旧松本剛吉邸
 ●竣工年:明治後期(のちに大幅な増改築あり)
 ●設計者:ー
 ●文化財指定:小田原市指定歴史的風致形成建造物
 ●写真撮影:可(商用厳禁)
 ●入館料:無料
 ●交通アクセス:
  ・箱根登山鉄道「箱根板橋」駅下車徒歩14分
  ・小田原駅より箱根登山バス「箱根口」停留所徒歩4分
 ●参考文献:
  ・BS朝日放映『百年名家』など
  
・松本剛吉氏、西海子小路に関してはWikipediaを参照

≪主屋について≫
Ⅰ:建物の外観

主屋部分は、明治の後期に建てられ、その後、関東大震災で被災したた

め修復。外観から、いくつも屋根が重なった姿を見る事ができますが、その時代ごと、様々な増改築を経て現在の姿となりました。

主屋部分外観

主屋の壁部分には、黄褐色の聚楽土に錆びた鉄粉を混ぜた錆壁になり、浮き出た錆が、まるで蛍の飛んでいるようにみえることから蛍壁(ほたるかべ)と言われて、数寄屋建築の高い技術になりますが、主屋にはいたるところに惜しげもなく使用しています。

玄関部分の蛍壁【ほたるかべ】

また、邸宅の外観を見ると、邸内のいたるところに数寄屋風意匠が組み込まれており、先述のように、いたるところの荘改築された部分を見る事ができます。

主屋座敷からサンルーム部分を臨む

Ⅱ:玄関部分
玄関部分を見ると、沓脱石の後ろの敷居部分の木材は、手斧で削ったナグリ加工が加えてあり、両サイドの腰壁は木材の皮部分と竹を交互に重ね合わせ、竹で止めている数寄屋風の意匠になっています。また、奥の扉は、木材の皮と木材を市松状に組んだ数寄屋風になっています。

玄関部分

Ⅲ:居間部分
居間部分に関し、置かれている机は、かつて小田原にあった山縣有朋の別邸、「古稀庵」に置かれていたもので、天板にはケヤキの一枚板、枠板には、サクラ材を使用しています。
この机に関しては、しばらくは以前紹介した「小田原 清閑亭」で展示されていましたが、料亭になったこと、松本剛吉と山縣有朋に信仰があったことから、こちらに移設展示されています。

居間部分と山縣有朋帝に使用されたテーブル

Ⅳ:水屋部分
主屋の水屋部分を見ると、邸内に石を削った手水鉢が置かれ、落とし掛け部分は、天然木を使用、写真中央の角柱にはハツリが加えられています。
左側に見える太鼓は、茶会が準備できたことを知らせるために使用されたと言われていますが、残念ながら定かな情報は残っていません。

主屋/水屋部分

また、ガラス障子部分の桟も見忘れてしまいがちですが、細やかな竹材を組ませたもので、この邸宅に関わった職人の方の高いスキルを感じることができます。

水屋/窓枠部分

主屋の水屋表側から覗くと、足元に複雑に並べた敷石の形状に併せ、壁かぴったりと切り取られています。寸分のミスも赦されない、職人のかたの高い技術絵浴を感じることができます。

水屋/外観部分

Ⅴ:主屋座敷部分:
左右を庭に接する明るい二間続きの座敷になり、主屋の中で最も格式の高い客間になるため、数寄屋色を抑えた上質な書院風になっています。付書院がなく、床柱が絞り丸太であるものの、天袋と地袋を備え、床框なども備え、天井部分は竿縁天井となっています。

主屋/座敷部分

また、縁側部分は、軒桁には1本物の絞り丸太を使用し、天井部分は数寄屋風意匠の崩した雰囲気になります。
また、窓ガラスを使用し、庭園部分から灯が差す意匠になっています。
また、画面右側には、座敷部分に角型の狆潜りが設えてあるのがわかります。

主屋座敷/広縁部分

主座敷に付随し、次の間部分で注目したいのは欄間部分で、こちらにも、ウズラ木目状の銘木を使用し、こちらの天井部分も、竿縁になっています。

主座敷/次の間

Ⅵ:サンルーム部分
次に、外観部分でガラス張りの張り出した部分になりますが、こちらはサンルームになります。
板敷の洋間部分に、随所に竹や丸太を使用した数寄屋風。一方、左側の聚楽壁には外観部分と同じく、蛍壁【ほたるかべ】を使用しているなどから、この部分が、もともとの邸宅に増築したものであることが判ります。

サンルーム外観

そのほかにも、壁部分上部を臨むと、かつて、開店雨戸の金具部分が見られる点などにも、この部分がのちに造しくされた部分であることが推測できます。

サンルーム 開店雨戸の金具

また、サンルームにみられるアンティーク家具類に関しては、木彫りではなく、革が型押しになっており、いつの時代のものかは不詳ですが、少なくとも戦前近畿のものであることは明白になっています。
また、右奥に見える手摺部分には、ハツリ加工が付けています。

サンルームのアンティーク家具類

Ⅷ:足場のヒカリツケ
サンルームの土台部分をみると、ぴったり合わせた自然の礎石と丸太の柱が重なるものになっており、ヒカリツケと呼ばれる、寸分の隙間も許されない、数寄屋の高等スキルが使用されています。なお、かつては床下に水が流れるていました。

サンルーム部分の足場【ひかりつけ】

≪茶室 雨香亭の外観≫
Ⅰ:茶室正面から臨む
茶室に関しては、大正末期~昭和初期に造られたもので、左右の2つの棟が玄関で繋がった独特な造りになっています。
右側に5畳の茶室、左側に6畳の座敷があり、茶室の形はねじれたものになります。

茶室「雨香亭」外観

Ⅱ:屋根部分を臨む
また、こちらも主屋同様、屋根が折り重なった形状になっており、中心の玄関部分から見ると、それぞれ15度の角度が付けられ、幾重にも屋根が折り重なった形状になっています。
邸宅の中心部分で均等を保ち、右側が小間、左側が広間になるため、右側が低くなっています。

茶室「雨香亭」屋根部分

Ⅲ:広間部分外観
茶室の広間部分外観を見ると、まず、左側の雨戸を引き込む扉は網代になるほか、足場部分に注目すると、主屋足場部分同様、並べられた自然石に、柱が乗る「ひかりづけ」になっており、まるで、石に柱が映えているようなしくみになっています。

茶室「雨香亭」
広間の足場部分

≪邸内について≫
Ⅰ玄関の間:
この部分はいくつもの台形が折り重なっており、茶室の角度のある屋根も、幾重にも折り重なった形状になっています。
床板部分に関すると、左側の広間部分の床板が狭くハツリも細かいのに対し、右側の小間側の床板の幅は広く、ハツリも広いものになっています。

玄関の間 外観

土間部分に関しては、下側から覗くと、奥側まで続き、上部小間側の床板に関しては、増築後の後付けであることが推測されます。・

玄関の間 土間部分を覗く

天井部分に関しては、各部屋に繋がる部分、それぞれに違う形になっていて、全国的に見ても、ここまで複雑な天井は非常に稀有な存在になっています。

天井部分

Ⅱ小間部分:
次に右側の小間部分を見ると、御抹茶席としては5畳間という珍しい大きさで、床の間部分に関しては1畳の大きなものになります。
また、松本剛吉は茶道をした形跡はなく。茶室としてというよりも、政治的な秘密の話などに用いられたと言われています。

小間部分

また、天井に関しては、炉が切ってあるものの、釜を吊るすためのフック型の釘(蛭釘)がなく、天井の中心は竹の竿縁天井でるものの、板のサイズは大きなもの。奥側は落ち天井になっているものの、殆ど高さは変わらない意匠になっています。

小間 落天井側から臨む

Ⅲ:広間部分:
広間に関しては、開口部は大きく設けられ、明るく開放的な室内には随所に竹が使用されています。竹を大量に使う部分でも、煎茶趣味的であり、また天井板は杉板の木目を浮き上がらあせたウヅクリ仕上げになり、護摩竹を挟み、竿縁にはクリ材を使用しナグリが施されています。

広間部分

また、床の間と、地袋の上の板は、どこかの邸宅ないしは寺院のにあった古材を使用しています。

床の間部分

また、竹材の床柱には、長押と落とし掛けが鋭角に刺さる意匠になっており、この部分にもこの邸宅に関わった職人の方のスキルを感じることができます

床柱に刺さる長押と落とし掛け

≪編集後記≫
旧松本剛吉邸について知ったのも2020年頃のこと。
この邸宅についても、記載しようにもなかなかかけずじまいで、やっと、今回記載しましたが、そういった意味でも、自身としても思い入れ深い邸宅の一つになります。
小田原には、まだまだ魅力的な邸宅があり、改めて記載したいと感じます

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