私は『モモ』に会いに来た
『時間』に惹かれて手に取った物語でしたが、最初は読み切れませんでした。
当時はまだ灰色紳士に会ったことを忘れていたからなのかもしれません。
結局、ミヒャエル・エンデが書いた『モモ』は私にいくらか読まれた後、積読本に戻っていました。
灰色紳士には驚かなかったので、少なくともそこまでは読んでいたのだと思います。
今読んでみると、モモの登場時に『共助』を感じたり、親友の2人に考えさせられたりと、冒頭だけでお腹いっぱいになりそうでした。
物語に集中できず読み進められなかった当時とは違い、すぐに虜となってしまいました。
まだ登場したばかりなので読後の印象と変わるかもしれませんが、登場する灰色紳士は『効率化』の擬人化という気がしてなりません。
名前も型番みたいな数字ですからね。
当時は1冊読み通す事に価値を感じていました。読み通さないと読書ではないと考えていたほどに。
そういう中で、読書の速さ、本の分厚さ、物語への没入度といった総合値を時間と比較して、読む本を決めていたところがありますから、私も時間倹約の実践者のひとりだったのです。
今、灰色紳士に気づけたのは、量よりも感情の機微を大切にしたいと思って読んでいたからでしょう。
そして、灰色紳士を今語る上で外せないのが、AIという名の白色執事の存在だと思うのです。
白色執事は、人がどれだけ効率化しても敵わない能力を持ち、誰の相談でも聞いてくれます。
今の灰色紳士は「何でも白色執事に任せてしまいなさい」と言ってくるような気がします。
私自身、白色執事に助けられることも多く、相談しないなんて考えられません。
とはいえ、何でも任せてしまうのにはまだ抵抗があります。
これだって熱心な時間倹約家であれば、白色執事に要約依頼を選ぶことでしょう。
私は次の言葉が含まれた一節を素通りすることができませんでした。
彼はだんだんとおこりっぽい、落ちつきのない人になってきました。
初めてこの本を手に取った頃の自分の空気感を思い出したからです。
ここで私は書かずにいられなくなりました。
▼ このエッセイに登場する書籍
ミヒャエル・エンデ(作・絵)、大島かおり(訳)「モモ」(岩波文庫、1976年)
▼ このエッセイが含まれているマガジン
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最後まで読んでいただきありがとうございました。