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白い百合の花

僕が働いている店は、1950年に創業した。
ほんとうはその前に満州で小さなコヤを建てて始まっていたが、戦争が終わって日本に帰ってきた初代の夫妻が、このアーケードに店をかまえた。

僕は大学一年生のときにここでアルバイトを始めて、ちょうど9年が経った今もお世話になっている。

店の前の張り紙を見て、駆け込んだ日を忘れもしない。
千と千尋のように「ここで働かせてください」と頭を下げた。
「うちはとても厳しいけど、ここで働けたらどこでも働けるようになるから」と言われて、がんばりますと意気込んだ。

だけど本当に厳しくて、すぐに泣いては、涙ひっこんだらまた出てきい!と言われて、倉庫で洗濯機の底を見つめてひくひく泣いた。
帰りはローソンでおにぎりを眺めながらまた泣いた。

だけどやめたくなかった。
誰も間違ったことを言ってないと思ったし、仕事が終わると優しく勉強や家族の話を聞いてくれたし、みんなとてもかっこよくて、僕はこの店を愛してしまった。
ここに立っていたいと思った。

車椅子に乗せられた創業者の"ママ"と、御所の桜の木の下で会ったことがある。
ずっと見守ってもらっている。
そして僕が見守られてきたよりも長く、この店はこの街を見守っている。

おじいさんやおばあさんが、何十年ぶりに来たと、学生時代に通っていたと、よく話しかけてくれる。
なんにも変わってないとすごく嬉しそうに話してくれるのを見て、涙があふれそうになる。
泣き虫なのだ。僕は。

僕は今までに見たこと聞いたことをかきあつめて話す。
学生運動のたまり場になってたことや、バーのマスターはとても寡黙だったこと、昔は水餃子が売りだったこと、などなど。

もっとお客さんが増えたら、水餃子を復活させようかと話しあうときがある。
そしたら僕は定休日に餃子を包む。楽しみだ。

何年からやってるんだっけ?と聞かれて、1950年からですと答えると、昭和25年か!とすぐに出てくる。
なんとなくだけど、昭和を生きた人たちはその時代を好きだったんだなと感じる。

僕は母の話を聞いていても、学生時代なんかは本当に楽しそうだ。
みんながシブがき隊に夢中なときに一世風靡セピアの写真を下敷きに挟んでいた話と、生徒指導の先生にテニスラケットで思いっきりおけつをぶたれた話がお気に入りだ。
あれは今やったら大問題だとよく話している。

いっぽう僕がそのくらいだったころはインターネットが一般に普及した最初の時代で、僕はその真っ只中で育った。
あの頃はよかったなんて言いたいわけではないが、けっこう面白い、稀有な時代だったと思う。
儚く過ぎ去ってしまったから。

今は生まれたときからデジタルに囲まれる。
友達との間に、画面が挟まることは当たり前だ。
あっという間にここまで来た。

このあいだ、令和は嘲笑の時代ではないかと思った。("冷笑"という言葉が好きではないのであえて。)

人が人を少し離れたところからうっすらバカにしている。
そんなことが多いような気がする。
僕も例外ではないと思う。

一生懸命になることが、熱く語ることが、夢を追うことが、政治の話をすることが、ダサいとか、変だとか笑われて、マトモにとりあってもらえない。
もしそんなことをしたくてもだんだんと勇気が出なくなってくる。

人を見下しながら、人からの見え方は気にする。
なんでも知ることができるから、すべて知っていないと話すことすら許されないような雰囲気がこわい。

人と人の間に、対話の力がたしかにあった時代が恋しい。
日々ここに立っていて、いつの日かぎゅうぎゅう詰めになって人々が語り合っていた光景を、知らないはずの頭に鮮明に思い出すことができる。
それはたくさんの人が僕に話してくれたからだ。

ここは変わらないねと懐かしむおじいさんおばあさんの、変わらない景色の一部に僕はなれているだろうか。
その人たちがいつかいなくなり、ここもなくなれば、人々は本当に忘れ去ってしまうのではないか。
それは忘れていいものなのか。

昭和25年か!
戦後すぐだねと言われた。

戦後はもう、終わってしまった。
僕は今、もはや戦前だとすら思っていない。
そしてまた戦後が訪れるのかもわからない。

僕の稼いだお金の一部が、武器の一部になり、どこかで誰かを殺している。
そのことに反対するのをどうして笑われないといけないんだろう。

数年前は不買運動などをしている人たちを見て、正直やりすぎじゃないかと思っていた。
本当に僕はアホだったと思う。

パレスチナでは、この3年間で4万2000人以上の子どもたちが四肢を切断されたそうだ。
9月の初め、新学期を迎えたばかりの子どもの足を、モノのように放りなげる大人たち。
左腕以外を失った男の子が、左腕で柵をつかんで、にこにこ外を眺めているのを見た。

遠い国のことだと思えてしまうけど、どうして自分の身に降りかからなければ、考えることすらしないということになるのだろう。
どうしてこのことについて、目を背けることができたのだろう。

こんなことを考えていると自分自身の日々の出来事への意識は薄れていきそうなほどであるけど、ちゃんと歩く。
ちゃんと歩くこの足が、仕事に向かい、そこで稼いだお金が今も誰かを殺しているかもしれないけど。
それでもちゃんと歩くのだ。

僕は今、泣きながらこれを書いている。
それだけは、伝えたい。

僕はこの場所で、人としての尊厳を守り続ける。
そのような覚悟を胸に秘めて立っている。
ママが好きだった白い百合の花が、まいにち僕を見守っている。




⬆️ちょっと元気が出ますよ。

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