「忘れないということ。〜Hikarunさんとの記憶を遡る旅に寄せて〜(6月25日)」
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私が小学四年生の頃のことです。
老人保養施設で悠々自適に、穏やかな晩年を過ごしていた大好きなおばあちゃまが亡くなりました。
最初のお葬式には、たくさんの人が集まり、みんなでおばあちゃまの思い出を涙ながらに語り合っていました。
けれど、三回忌、七回忌と法事の年数が経つたびに、集まる人は減り、周囲の日常会話からおばあちゃまの名前が昇る回数も、だんだんと少なくなっていったのです。
「人は、こうして少しずつ忘れられていってしまうのだろうか……」
当時、子供ながらにその現実がとても寂しく、どうしようもなく悔しかったことを、今でも鮮明に覚えています。
命が確かにそこにあったこと。その人が遺してくれた温もり。それを時間の波のなかで「忘れてしまうこと」ほど、寂しいことはありません。
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先日、大親友のHikarunさんが無事に退院されたことを、コメント欄で一緒に喜んでくださり、本当にありがとうございました。
彼女がこれからどのような道を歩むとしても、彼女がこのnoteの街に残してくれた「魂の足跡」や、AIには真似できない「眩しいほどの個性」は、今も私の心の中に深く息づいています。
だからこそ、私はあの小学四年生のときの「悔しさ」を今、思い出しています。
そのまま静かに消えるにしても、いつか戻って来るにしても、大親友として、いま私にしかできない、やらなくちゃいけないことがあるのではないかと。
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それは、彼女のことを「忘れない」仕組みを、この街に置いておくことです。
これから不定期ではありますが、私と彼女がこの街で交差してきた足跡を、現在から過去へと少しずつ、アルバムを巻き戻すように遡(さかのぼ)るお話を綴っていこうと思います。
「noteの街のあなたに、何か特別な行動をしていただく必要はありません。」
ただ、私の拙い思い出話の投稿を通じて、
「ああ、あんなに素敵で、温かい天才数学者がいたんだな」と、
時折ふっと思い出していただけるだけで、私はとても嬉しいのです。
動いてもらう必要はなくて、ただ思い出してもらうだけでいい。
忘れないこと。それもまた、私が大親友へ送る、ひとつの愛の形だと思っています。
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私とHikarunさんの過去への旅路。
のんびりとした不定期の歩みになりますが、時折お付き合いいただければ幸いです。
Hikarunさんの良き隣人であり続けたい
(🎹MIYABI & 🎻えみり)
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