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BLが好き。でも申し訳なさを感じてしまう理由

(表現の自由と“笑っていいの?”という違和感の話)


中国でBL作家が逮捕されたというニュースが、SNSで話題になっていました。
「台湾のPixivのようなサイトでBL作品を投稿していた人が、中国当局に検挙された」という話や、「未成年に18禁作品を見せたことが理由だった」という説も出ているようです。

ただ、あくまで中国の話ということもあり、情報がはっきりせず、真相はよくわかりません。
でもひとつだけ強く感じたのは、表現の自由って、当たり前じゃないんだなということでした。

そして、腐女子としてBLを読んできた私も、これを他人事とは思えなかったんです。


腐女子としての“後ろめたさ”

私は、BLを読む側でもあり、書く側でもあります。
PixivにR-18の二次創作を投稿したこともあるし、思い返せば小学生の頃からこっそりエロ漫画を見たりしていました。

もちろん、未成年が18禁コンテンツに触れていいとは思っていません。
でも、それを「こっそり見る」中で、良い悪いの判断が身についていくこともあると思うんです。

こっそり見る、隠れて読む、その“こっそり”にこそ、倫理観って育つ。
逆に「ダメなことはダメ」と教えてくれる大人が周囲にいないまま、大人になってしまったら…と想像すると、怖くなる出来事もあります。


エロ表現と性犯罪は、まったく別の問題だと思う

知人から、こんな話を聞いたことがあります。
小学生の頃から女の子のスカートをめくったり、下着を盗む癖があった子がいたそうです。
親も知っていて、その都度謝っていたけど、警察沙汰にはしてこなかった。

その子は高校で退学処分になり、その後に性的な事件を起こし、新聞に名前が出るような形になってしまったそうです。

もちろん、この話はBLやエロコンテンツとは直接関係ありません。
でも、「どこかで止められなかった」「きちんと叱られなかった」ことが、後の大きな問題につながるという意味では、無関係とは思えません。

「性表現を見たから性犯罪に走る」という単純な話ではないし、
大切なのは、**コンテンツを見ることではなく、“見たあとにどう受け止めるか”**なんじゃないかなと私は思っています。


ゲイの当事者に対する、申し訳なさ

BLが好きで読むたびに、どこかで申し訳なさが湧いてくる瞬間があります。

自分の中で、“フィクション”として楽しんでいるつもりでも、
ゲイの人たちにとっては、現実に“消費されている側”かもしれない。
BLはあくまでファンタジーだと分かっていても、現実と地続きなもののように思えるときがある。

過去には、実在の芸能人に関するBL二次創作を本人に送りつけて、相手が激怒したという話もありました。
それに対して、TMレボリューションの西川貴教さんが「俺は受けがいい」と笑って返したという逸話もあります。

たしかに、それを“笑い”に変えられる人もいる。
でも、それが許されるのは、その人が「そうしてくれた」からであって、誰にでも適用される話ではありません。


野獣先輩のノリ、私は全然笑えない

ネットミームとして有名な「野獣先輩」。
ゲイビデオをもとにした“笑い”のコンテンツとして、長く消費され続けていますが、私は全然笑えません。

ゲイビデオを見るゲイの人たちは、それをどう感じているんだろう?
ネタにされる側の気持ちは?
10人に1人が同性愛者とも言われる中で、「ゲイ=笑いの対象」として扱う感覚に、私は強い違和感があります。

BLと野獣先輩はまったく別物ですが、どちらも“当事者不在”の中でコンテンツ化されるという点では似ているのかもしれません。


私たちは、どう「好き」と付き合うか

星野源さんと松坂桃李さんがゲイカップルを演じた正月ドラマ『スロウトレイン』の感想を語ったとき、
「あ、もうこのふたりの絡みを“エロい”としか見れない自分が嫌だ」と思ったことがあります。

それはどうしようもない部分でもあるし、自分の性的嗜好の一部でもある。
でも、せめて「それを無神経に表に出さない」くらいの配慮は持ちたい。

“BL=エロい”と公言することが、誰かを傷つけるかもしれない
その感覚を忘れないでいたいし、せめて自分は線引きをしたい。


「笑っていいの?」が増えてきた感覚

年々、自分の中の“ポリコレ感度”が高まっている気がします。
それを窮屈だと感じるときもあるけれど、今はこう思っています。

いろんな視点に気づけるようになった自分、まあまあいいじゃんと。

自分の価値観に閉じこもって、「昔はよかった」とか言い出すよりずっとマシ。
それこそ老害への一本道ですしね。


創作コンテンツを楽しむということ

BLを楽しむとき、私はいつもどこかで「ごめんね」という気持ちがある。
でもそれは、楽しんではいけないという意味ではなくて、“勝手に楽しんでいる”ことへの自覚みたいなものです。

それくらいの後ろめたさを忘れないほうが、
もしかしたら創作コンテンツとの“健全な距離感”を保てるのかもしれません。


あなたは、創作コンテンツを楽しむときに、考えたことはありますか?
もしあれば、ぜひコメントで教えてください。


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■この番組について
猫だって吠えたいは、リアルではちょっと話しにくい本音や違和感を、自由気ままに語るひとりラジオです。
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