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GWの静寂 抽象と間 -「岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク」

 春の大型連休。

 目黒川。

 川沿いの道を歩いて、

 目黒区美術館。

 何処もかしこも混みあう、大型連休であるけれど、

 このあたりではグラウンドや遊歩道に、まばらに人がいるだけだ。遠くから子供たちの声が風に乗って聞こえてくるくらい。とても静か。


岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク

 岡田謙三展。

 このポスターに使われている作品を観て、気になっていた。

1920年代のパリと1950年代以降のニューヨーク、この二つの都市で創作活動をし、さらに1935年には目黒区自由 が丘にアトリエを構えて活動した画家・岡田謙三(1902-1982)。その作風はこれらの都市での経験に影響を受けながら形作られていきました。

岡田は、東京美術学校(現 東京藝術大学)入学から約2年後の1924年にパリへ渡ります。第一次世界大戦終結により、世界各国から芸術家が集い、活気に満ちたパリでの日々は、若き日の岡田にとって全てが新しく、視野の広がる経験となりました。モンパルナスのカフェなどに集まって議論していた芸術家たちの仲間に加わり、後に確立する抽象的な作風の基礎となる考え方にも触れ、さながら「心の訓練のようだった」と振り返っています。

1927年の帰国後は、戦前から戦後にかけての時代のうねりの中で、これまで培ってきた技巧や様式から離れ、新たに実験の日々を積み重ねていきます。戦後早々に見据えていた渡米を1950 年に実現させると、ニューヨークでは抽象表現主義の画家と交流を持ちながら、やがて、淡い色面を組み合わせる独自の作風を確立させました。自身の根源的な感性への回帰の中に築き上げた静謐で力強い表現は、パリとニューヨーク、そして目黒のアトリエでの模索の日々を抜きに語ることはできないでしょう。 本展は、岡田の画風の変遷を三つの都市での経験からたどります。

同上

 説明にもあったように、作家は第一次大戦後、ごく若い頃にパリに渡り(そこで、フジタらと交流した)、そのあと目黒区の画廊で制作をつづけ、

 第二次大戦後に、米国に渡る。

幽玄と「ユーゲニズム」

 ニューヨーク時代の作品の展示には、会場のほぼ半分が充てられていて、

 その大型作品たちは、広い空間にのびやかに展示されていた。

 ポスター等にあった、この作品。伝わってくる静謐さ。

 岡田の造語、「ユーゲニズム」。

 おさえた色調、やさしげな線と図形。

作品と対話する静かな時間

 2階展示室の採光は、電気と自然光のミックスのようだ。朝の日の光のような白い光線が、絵にやさしく射し込む。

 決して人を避けて、ではなく、どこを撮ってもこんな感じ。

 行きつ戻りつしながら、時折、絵のほうに近づき、また離れて。

 そんな、あたかも絵と対話しているかのような観かたがとても好きだ。

 気まぐれに進み、「あれ?」と思ったら、気になる作品の前まで、また戻ることも繰り返して。

 連休の都内はたいてい何処も混みあい、連日のことだからその人の多さに、ちょっと疲れてもいたのだけど、探せばやはり、こうした静かな空間には出逢えるのだ。

 よい出逢いをすることができた。その幸運に感謝を。

1階展示とラウンジ

 十分に満足するまで作品を鑑賞して、1階展示に移動した。

 こちらは、デパートの包装紙デザインや、コラージュ作品の展示。ワークショップの案内もあった。

 ミュージアムショップと、

 併設のラウンジ。ここにも人はおらず、展示の雰囲気が続いているかのようだ。

 読書会用の本を持っていたので、ここで、最後まで読み切ることにした。

休日の午後を愉しむ

 隣接した、まだオープン前のプール(気候そのものは、プールに入っている子供たちがいても不思議はないくらい暑いけれど)、

 点在するアート作品などで寄り道しながら、来た道を戻る。

 まるで夏のような、のんびりとした1日。



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