波の音|シロクマ文芸部
波の音がする。
海から、何十キロも離れているのに。
祖母の家の、下駄箱の上にずっと置いてあった、握りこぶしほどの巻貝。
今は、独り暮らしの僕のアパートを海へとつなぐ。
「耳に当ててごらん。海の音がするよ」
小さいころ、祖母がそう言って、聞かせてくれた。
ざざあ、ざざあ。
こんな小さな貝の中に、海が閉じこめられているのだと思った。
海の音を、貝が覚えているのだと。
大人になって、知った。
あれは、波の音ではない。
貝の中で反響しているのは、自分の血が流れる音や、まわりの空気の音だ。海は、関係ない。
私の棚に移ってきて、貝は故郷の海から、ますます遠くなった。
私は、ときどき、耳に当てる。
ざざあ、ざざあ。
今夜も、波が寄せている。
波に交じって、祖母の声がする。
——聞こえるよ。
私は、心の中で答える。
貝は、覚えている。
波の音が、する。
小牧幸助さんのシロクマ文芸部に参加します。
