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第15話 合鍵、出番なし『がんばれ!すみのとちゃん。』

 すみのとの部屋には、ときどき人がいる。
 正確に言うと。
 すみのとが帰る前から、いる。



 夜だった。

 すみのとはコンビニ袋を片手に、オートロックの自動ドアを抜けた。
 袋の中には、カフェオレと、おにぎりと、買った時は食べる気だったけれど、今はもう食べる気力が半分くらいなくなっているスイーツが入っている。

 レシートはなぜか袋の外に出ていた。
 財布はバッグの中。
 バッグのチャックは、少し開いていた。
 いつものことだった。

 エレベーターを降りる。
 廊下を歩く。
 自分の部屋の前に立つ。
 そのままドアノブを回した。

 開いた。

 いつもどおり開いた。

「ただいま」

 すみのとは、まだ誰も返事をしていない部屋に向かって言った。
 すると。

「おかえり」

 返事があった。

 部屋の床に、女の人が座っていた。
 白いオーバーサイズのパーカーを着ている。
 袖が長くて、手の先が少し隠れていた。
 すみのとの部屋なのに、完全にくつろいでいる。

 膝の上にはスマホ。
 足元にはトートバッグ。

 その周りに、服、トレカケース、アクスタ、小さいぬいぐるみ、謎の充電コード、コンビニ袋が散っていた。

 知らない人が見たら、だいぶ事件だった。
 しかし、すみのとは一度だけそちらを見た。

「いる」

「いるよ」

「いつ来たの」

「さっき」

「さっきっていつ」

「さっきはさっき」

「そう」

 会話が終わった。

 事件性も、緊張感も、なかった。



 すみのとは靴を脱いで、コンビニ袋を机に置いた。
 床に座っている女の人は、スマホから目を離さない。

 そのまま、すみのとの部屋の充電器を使っていた。
 差し込み口の位置まで完全に把握している動きだった。

「それ着てる」

 すみのとが言った。

「借りた」

「返して」

「寒い」

「こっちも寒い」

「暖房つけなよ」

「電気代」

「変なところで生活防衛しないで」

 女の人は、袖の中に手を引っ込めた。

 その白いパーカーは、すみのとが一番よく着るやつだった。
 洗濯して、乾いて、取り込んで、畳まずに椅子の背に掛けていたやつ。

 だから取られた。
 置いた方が悪い、みたいな速度で取られた。

「それ、僕の一番着るやつ」

 すみのとは言った。
 女の人は、少しだけ顔を上げる。

「知ってる」

「知ってるなら返して」

「今、私の体温であったまってる」

「じゃあもう返せないじゃん」

「そういうこと」

「そういうことじゃない」

 すみのとはカフェオレを取り出した。

 ふたを開ける。
 一口飲む。
 机に置く。
 その瞬間。

 白パーカーの女の人が、ひょいと手を伸ばした。

「ひと口」

「だめ」

「もう飲んだ」

「早」

 ひと口と言いながら、三口くらい飲んでいた。
 すみのとは少しだけ目を細める。

「みなも、そういうところある」

「すみのとも鍵閉めないところある」

「今その話?」

「今その話」

 みなもは、カフェオレを机に戻した。

「ていうか、鍵閉めなよ」

「オートロックだし」

「部屋の鍵は別」

「でも建物には入れないし」

「私、入ってるけど」

「みなもは入っていい人」

「泥棒も同じテンションで入るかもしれないでしょ」

「泥棒はたぶん、もっとやる気ある」

「防犯意識の問題」

 みなもは呆れた顔をした。

 すみのとはカフェオレをもう一口飲もうとして、すでに量が減っていることに気づいた。
 少しだけ悲しそうな顔になった。

「僕のカフェオレ」

「飲み物も鍵も、守る意識が弱い」

「カフェオレは関係ない」

「ある」

「ない」

「ある」

 みなもはそう言って、またスマホに視線を戻した。



 みなも。

 すみのとの二卵性双生児の姉。
 と言っても、一目見てそっくりな双子、という感じではない。

 髪型も違う。
 服の選び方も違う。
 今つけているピアスも違う。
 ただ、耳に開いているピアス穴の数だけは同じだった。

 昔の名残みたいに、そこだけ揃っている。
 今はもう、同じものをつけているわけではない。

 それでも穴だけは残る。
 そういうものだった。



 すみのとのスマホが鳴った。
 ひまりからだった。

『今なにしてる?』

 すみのとは片手で返信する。

『私は帰ったとこ。みなもいた』

 送ってから、コンビニ袋の中のおにぎりを取り出す。
 まだ食べるか迷っている顔をしていた。

 すぐに返事が来た。

『みなもちゃんまた泊まり?』

「ひまりちゃん?」

 みなもが画面を覗く。

「うん」

「なんて?」

「また泊まり?って」

「泊まる」

「たぶんじゃなくて?」

「泊まる」

 すみのとは返信した。

『泊まるらしい』

 ひまりからまた返事が来る。

『白パーカー取られてる?』

 すみのとは、みなもの着ている白パーカーを見る。

『取られてる』

「借りてるって打って」

 みなもが言う。
 すみのとは少し考えて、打ち直した。

『借りられてる』

 ひまりから、

『平和』

 と返ってきた。
 たぶん、だいぶ平和だった。



 少しして、ひまりから通話が来た。
 すみのとはスマホを立てかける。

 画面にひまりが映った。

「やっほー」

「やほ」

「みなもちゃん久しぶりー」

 ひまりが画面の向こうで手を振る。
 みなもも、白パーカーの袖から指だけ出して手を振った。

「久しぶり。すみのと、今日も鍵開けっぱなしだったよ」

「また?」

「また」

「オートロックだから」

 すみのとは言った。
 ひまりは一瞬で顔をしかめた。

「出た」

 みなもも頷く。

「ずっとこれ」

「強い建物」

 すみのとは真面目に言った。
 ひまりが即答する。

「弱い住人」

「ひどい」

「いや弱いよ。防犯が」

「オートロックなのに」

「だから部屋の鍵は別だって」

 みなもとひまりの声が、少しだけ重なった。
 すみのとは不服そうにカフェオレを飲もうとして、また量が減っていることを思い出した。
 みなもの方を見る。

「飲んだ」

「飲んだね」

「認めるの早」

「事実だから」

 ひまりが画面の向こうで笑った。

「相変わらずだね、みなもちゃん」

「ひまりちゃんも相変わらず元気そう」

「元気ではある。でもみなもちゃん見ると、双子なのにほんと似てないなって毎回思う」

「二卵性だし」

 みなもが言う。

 すみのとはおにぎりの包装を開けるのに失敗していた。
 海苔が変なところで折れている。
 ひまりはそれを見ながら言った。

「でも耳の穴の数だけ同じなの、なんかすごいよね」

「そこ見る?」

 すみのとが言う。

「そこしか一緒じゃなくない?」

「そんなことない」

「他になに一緒?」

 みなもが少し考えた。
 すみのとも少し考えた。
 二人とも黙った。

 ひまりが笑った。

「ないんじゃん」

「生活リズムが終わってるところ」

 みなもが言う。

「それは一緒かも」

 すみのとも頷く。

「そこ揃えなくていいんだよ」

 ひまりは呆れながら笑った。



 通話の途中で、みなもはすみのとの部屋の棚から勝手にブランケットを取り出した。迷いがなかった。
 どこに何があるか分かっている人の動きだった。

「それ、なんで場所知ってるの」

「前も借りたから」

「僕より部屋に詳しくない?」

「すみのとは物を置いた場所を忘れるから」

「たしかに」

「納得しないで」

 ひまりが突っ込む。
 みなもは床にブランケットを敷いた。

 その上に、トレカケースとアクスタを避難させる。
 まるで神棚だった。

「今日泊まる」

 みなもが言った。

「知ってる」

 すみのとが言った。

「布団」

「そこ」

「床じゃん」

「床に布団」

「まあ、私の部屋より広い」

「服の箱の上で寝るよりまし?」

「まし」

「部屋っていうか倉庫じゃん」

「人が寝られる倉庫」

「倉庫に人が寝てるんだよ」

「細かい」

 みなもは全然細かいと思っていない顔で、床に座り直した。
 ひまりが画面の向こうで笑っている。

「みなもちゃんの部屋、まだそんな感じなんだ」

「今はだいぶ良くなった」

「どのくらい?」

「生活スペースが一畳くらいある」

「良くなってそれ?」

「前は半畳だった」

「悪化と改善の基準が怖い」

 すみのとはおにぎりを食べながら頷いた。

「すごいよ。服とグッズの地層がある」

「地層って言うな」

「発掘できる」

「言い方」

「前、去年のアクスタ出てきたじゃん」

「出土品みたいに言わないで」

 みなもは不満そうに言ったが、否定はしなかった。



 ひまりとの通話が終わる頃、夜は少し深くなっていた。
 部屋の明かりは白く、カーテンの向こうは暗い。

 床には、みなもの荷物。
 机には、すみのとの飲みかけのカフェオレ。

 コンビニ袋。
 開けかけのおにぎりの包装。
 ぷっくりシールの台紙。
 誰のものか分からない充電コード。
 生活が、二人分に増えていた。

 ひまりから最後にLINEが来た。

『鍵閉めなよ』

 すみのとは返信する。

『みなもがいるから大丈夫』

 すぐに返事。

『みなもちゃんも住人じゃないよ』

 すみのとは少し考えた。

『たしかに』

 みなもはその画面を見て、静かに言った。

「たしかにじゃなくて、閉めなよ」

「今?」

「今」

「もう部屋にいるのに?」

「防犯は、部屋にいる時もするものです」

「正論」

「正論を珍しいものみたいに言うな」

 すみのとは立ち上がった。
 玄関まで行く。
 鍵を閉める。
 カチャ、と小さな音がした。

「閉めた」

「えらい」

「えらい?」

「えらい」

 みなもは雑に褒めた。
 すみのとは少しだけ満足そうな顔をした。



 翌朝。

 と言っていいのか分からない時間に、すみのとは目を覚ました。
 カーテンの隙間から、薄い光が入っている。

 スマホを見る。
 充電は18%。
 寝る前より減っていた。
 充電した記憶はなかった。

 床を見る。
 みなもは、まだいた。
 布団の中で、スマホを見ている。
 すみのとの白パーカーも、まだ着ている。

「帰ってないの?」

 すみのとはかすれた声で言った。

「帰るタイミング逃した」

「何時から起きてるの」

「分かんない」

「生活リズム終わってる」

「すみのとに言われたくない」

「それはそう」

 二人とも、あまり否定できなかった。
 みなもは布団から少しだけ起き上がり、トートバッグを探った。
 中から、小さな鍵を出す。

「そういえば、これ」

「なに」

「合鍵」

「持ってたんだ」

「渡したのそっちでしょ」

「そうだっけ」

「そう」

 みなもは鍵を指でつまんだ。
 すみのとはぼんやり見ている。

「使ったことある?」

「ない」

「なんで」

「毎回開いてるから」

 すみのとは黙った。
 朝の部屋は静かだった。
 除湿機の音だけが、低く鳴っている。

 みなもは当然みたいな顔をしている。
 すみのとは、しばらく合鍵を見た。

「……合鍵、出番ないじゃん」

「だから鍵閉めなよ」

「オートロックだし」

「部屋の鍵は別」

「でも建物には入れないし」

「私、入ってるけど」

「みなもは入っていい人」

「その理屈、昨日も聞いた」

 みなもは合鍵をトートバッグに戻した。
 すみのとは、また布団に顔を沈めた。
 白パーカーは、まだ返ってこなかった。

 カフェオレも減っていた。
 鍵は閉まっていた。
 でも、たぶん。

 次にみなもが来る時も、合鍵の出番はない。
 そんな気がした。

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