ヘッセの☆『人は成熟するにつれて若くなる』☆を読む #45詩「日本の森の渓谷で風化してゆく古い仏陀像」
高校生の頃よく読んだヘルマン・ヘッセの小説。青春の光と影、孤独感や甘美とも切ないともいわくいい難い心情を抱えて持て余し気味でもいたあの頃。そんな自分の心理状態への慰撫を求めてか、小説の登場人物に自分の人生を投影、仮託してか何冊かの本を読んで親しんだことを覚えています。
数十年を経て立派な?年寄りになった私が、ヘッセにまた目が向いたのは、うれしい贈り物を見つけたからです!詩文集『人は成熟するにつれて若くなる』。なるべくていねいに読んでいき、感じたことや思ったことのあれこれを紡いでいくことにしましょう。
詩「日本の森の渓谷で風化してゆく古い仏陀像」は、1958年ヘッセ81歳の作品で、1連14行からなります。
ズバリ、日本の、石仏でしょうか仏像が対象の詩です。冒頭です。
やわらげられ やつれて 多くの雨と
多くの霜にさらされ みどりに苔むして
さて、石仏とは、どのようなものでしょうか?仏陀像、つまり如来像として有名なものに、国宝臼杵石仏があります。
古園石仏大日如来像に代表される臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われています。
その規模と、数量において、また彫刻の質の高さにおいて、わが国を代表する石仏群であり、平成7年6月15日には磨崖仏では全国初、彫刻としても九州初の国宝に指定されました。その数は、60余体にもおよび、このうち59体が国宝となりました。
時の人々は、子孫のことも頭に置いて、歓びすすんで像の建立に勤しんだことでしょう。ヘッセのこの詩では、磨崖仏のような大規模ではなく、もっと素朴で単独の、立像や坐像としての彫刻をイメージしているようです。
あなたの穏やかな頬 あなたの大きな 伏せられたまぶたは 静かに目標に向かって行く
すすんで朽ち果て 無に帰するという目標に
形あるもの、いつかは壊れたり崩れたりして、原形をとどめなくなります。風雪にさらされる石仏などは、その最たるものでしょう。ただ、それは相当長い年月の後のことです。永遠ではないにせよ、人の一生よりははるかに長い旅路です。
ヘッセのまなざしは、さらにその先に注がれています。
一切の中に 形のない無限の中に
消えかかっているその身振りは今も告げている
あなたの王者としての使命の高貴さを
「そしてやはり早くも求めている 湿り気とぬかるみと土の中に」「形にとらわれぬ身振りの意味の完成を」
ヘッセが「身振り」という言葉を、この詩で2回出しています。東洋思想にも造詣が深がったヘッセです。これは、仏像のいわゆる印相(手印)のことでしょうか。
如来像の手や指の身振り・ポーズは「印相(いんそう)」と呼ばれ、悟りの境地や、人々を救うためのメッセージ、各如来の特徴を表現しています。
ありがたくも、私たち衆生を救うために仏は、使命として身ぶり手ぶりで、メッセージを送ってくれているといいます。
「明日は根となり 木の葉のざわめきになる」「水となって 空の清浄さを映し」
「蔦になり 藻になり 縮れた羊歯となる――」
この仏陀像こそ永劫不変の統一体の中での一切のものの変転の象徴だ
「細石(さざれ石)の厳(いわお)となりて苔の生(む)すまで」ではありませんが、雨と霜にさらされ、苔むして、朽ち果て、一切無に帰するという仏陀像の「目標」は、衆生救済をも包含しながら、永劫不変の統一体、全体と一つになること、がヘッセの謂(いい)です。
すべて一切が「転変」すればこその永劫「不変」なのか。一見矛盾するようで、私にとっては難解に感じられもしますが、新鮮な響きも感じられます。ヘッセのいう「無常」へ、一歩近づくことが果たしてできているでしょうか。
※JunSus さんの画像をお借りしました。
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