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きこえない私の勘違い

きこえる友人が何人かいる。
ある友人は、
きこえない私とやりとりをするとき、
メモアプリを活用する。
自分の伝えたいことをメモアプリに打ち込み、
私に見せる。
私はそれを読み、声で友人に返す。

私はろう者であり、友人は聴者である。
私はきこえにくさによって、
音声でのやりとりには時間がかかり、
相手の意図を理解するのにも苦労する。
一方、友人は手話を知らないため、
何をどう伝えればよいのかわからず、
メモアプリに打ち込むこと自体に
戸惑っているのだと思う。
つまり、私は受信面に困難があり、
友人は発信面に困難がある。

ドラマ『silent』のある場面が、
今でも印象に残っている。
聴覚障害のある想と、聴者の湊斗が、
メモアプリや音声認識アプリのUDトークを
使いながら、
時間をかけてやりとりをする場面である。
会話は決してスムーズではないが、
互いに伝えたいことを
諦めずに伝え合っている。
その姿を見て、理想的な関係だと感じた。
そして、メモアプリでやりとりを
してくれる友人の顔が、ふと頭に浮かんだ。

その友人とは、中学校の同級生である。
仲良くなったきっかけは覚えていないが、
漫画やゲームを貸し合ったり、
一緒に遊んだりしていた。
当時はスマートフォンがなかったため、
私は友人の口の形を読み取り、
内容を推測して理解していた。
いわゆる読唇術である。
しかし、すべてを理解できるはずもなく、
わかったふりをすることも多かった。
会話そのものを楽しむというより、
その場にいること自体が
大切なのだと思い込んでいた。

中学二年生の頃、
友人と距離ができた時期があった。
話しかけても反応がそっけなくなり、
一緒に行動することも減った。
原因がわからず、
どのようにかかわればよいのか悩んでいた。
中学三年生になると関係は元に戻ったが、
私は長い間、「なぜあの時、
冷たくなったのだろう」という疑問を
抱えたままだった。

数年後、久しぶりに友人と
食事をすることになり、
パスタと寿司が美味しい店に入った。
その少し不思議な組み合わせはさておき、
もちろん会話はスマートフォンを
介して行った。
近況報告や中学時代の思い出を
やりとりしていると、友人が突然、
こう言った。
「あの時は、ごめんね」

何のことかわからず、
理由を尋ねると、友人はこう続けた。
「自分の伝えたいことを、
どうやって伝えればいいのかわからなくて、
悩んでいた時期があった」

友人は私に冷たくなったのではなかった。
きこえにくさのある私と、
どうかかわればよいのかわからず、
立ち止まっていただけだったのだ。
私はずっと勘違いをしていた。
その真意を知ったとき、
胸を強く突かれたような感覚になった。
同時に、友人を疑っていた
自分の浅さにも気づかされた。
忘れられない出来事である。

これは、きこえにくさのある私だからこそ
体験できたことだと思う。
音のない世界は、
人とつながりにくい世界だと
思われがちである。
だからこそ、人とのかかわりに対する感覚が
研ぎ澄まされるのではないだろうか。
きこえないことを、ただポジティブか
ネガティブかで捉えるのではなく、
そこにどんな意味があったのかを
考えていきたい。

今、その友人は何をしているのだろうか。
LINEで「またご飯に行こう!」と
連絡をしてみようかな。

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