雨女は、運が悪いんじゃなかった
出かけようとすると、雨が降る。
わたしは昔から、そういうことがよくありました。
傘を持たずに家を出た日にかぎって降り出したり、楽しみにしていた予定の日だけ空が重くなったり。
「また降った」 そのたびに、心のどこかで思っていました。
わたしがいるから降るのかな、と。
雨女という言葉は、なんとなく申し訳ない響きがします。
自分のせいで誰かの予定をくずしてしまったような、そんな気持ちになる言葉です。
でも、ある日をきっかけに、わたしの中で雨の意味が変わりました。
やんでくれた雨のこと
もう何年も前のことです。
大切な友人の回復を願って、京都の神社へ向かった日がありました。
その道中、とんでもない雨に降られたんです。
電車の窓がまっ白になるくらいの、どうしようもない雨でした。
これはもう、行かないほうがいいのかな。
そんなことを考えながら、やっとの思いで最寄り駅にたどり着きました。
そして電車を降りて、神社まで歩き出そうとしたそのタイミングで。
雨が、あがったんです。
偶然です、と言われればそうかもしれません。
気圧の変化で、たまたまそうなっただけかもしれません。
それでも、あのとき傘をたたみながら、わたしは「行っていいよ」と言われたような気がしました。
邪魔をされていたのではなくて、ちゃんと見守られていたのかもしれない、と。
雨があがったことより、あんなに降ったのに、歩くところだけやんでくれたこと。
その順番が、わたしにはうれしかったのだと思います。
次男が家を出るタイミングで、強くなる雨
もうひとつ、最近よく思うことがあります。
次男は自転車で学校に通っているのですが、彼が家を出るまさにそのタイミングで、雨が強くなることがあるんです。
少し前でも、少しあとでもなく、ちょうどそのとき。
急いでいるときほど、そうなります。
次男は雨によくイライラする子です。
必要以上の荷物を持つのも嫌いで、カッパも極力持ちたがりません。
だから雨に降られると、機嫌が目に見えて悪くなります。
そして最近、自転車が続けてパンクしました。
それも、困る話のはずなんです。
でもよく見てみると、夏休み中だったり、たまたま学校行事の日で近くに自転車屋さんがあったりと、なぜか一番こまらないタイミングばかりで起きていました。
普段、わたしの言うことはあまり聞かない年ごろです。
「気をつけてね」と言っても、返事は短い。
雨具の準備も、注意も、聞き入れてはくれません。
だからでしょうか。
あの雨も、あのパンクも、わたしの代わりに「ちょっと待ちなさい」と言ってくれているように感じるのです。
走り出そうとする足を、いったん止めてくれる合図。
聞かない次男を、わたしの言葉の届かないところで、何かが守ってくれている。
そう思うようになってから、玄関で雨宿りしている数分が、前ほど惜しくなくなりました。
雨が心地よいのは、たぶん
わたしは6月、梅雨の時期に生まれました。
関係があるのかはわかりません。
でも、雨の音を聞いていると、ほっとするんです。
空気が洗われて、余計なものが流れていくような感じがします。
晴れの日は、なんとなく「動かなきゃ」という気持ちになります。
天気がいいのに家にいるなんて、もったいない。
そんなふうに、お天気にまで急かされてしまう日がある。
雨の日は、その声が静かになります。
今日はいいよ、と言ってもらえたような気がして、少しゆるむ。
だからわたしにとって雨は、浄化なのだと思います。
「わたしのせいで」と思ってしまう癖
ここまで書いて、気づいたことがあります。
雨女という自覚って、よく考えると不思議なんです。
天気は、わたしにはどうにもできないものです。
それなのに「わたしが出かけるから降る」と思うということは、自分にはどうにもできないことまで、自分の責任にしているということになります。
これ、雨だけの話ではないなと思いました。
場の空気が悪いと、わたしのせいかなと思う。
誰かの機嫌がよくないと、何かしてしまったかなと考える。
うまくいかないことがあると、まず自分のどこがいけなかったかを探す。
自分を後回しにしてきた人ほど、この癖を持っています。
まわりを気にして生きてきた分だけ、いろんなことを引き受けるのが上手になってしまったのだと思います。
だから、雨の意味を変えてみるのは、小さな練習になるのかもしれません。
わたしのせいで降った雨、ではなく。
今日はゆっくりしていいよ、という合図の雨。
同じ雨でも、受け取り方は選べます。
あなたにとって、雨はどんな日ですか
スピリチュアルな意味があるのかどうか、本当のところはわかりません。
歓迎のしるしだと言う人もいるし、ただの偶然だと言う人もいます。
わたしは、どちらでもいいと思っています。
大事なのは、思いどおりにいかないことが起きたときに、自分を責める側に立つのか、ちょっと立ち止まらせてもらったと受け取るのか。
そこだけなのかもしれません。
次に出かける日に雨が降ったら、少しだけ観察してみてください。
そのとき、自分がどんな顔をしているか。
「またか」とため息をつくのか。
「今日はゆっくりでいいのか」と思えるのか。
その反応の中に、普段の自分の癖が、けっこう素直に出ています。
自分を後回しにしてきた方へ向けて、「お金の不安をやさしく手放す講座」をつくっています。
お金の不安も、もとをたどると「わたしのせいかもしれない」という、この感覚と地続きでした。
同じような雨の受け取り方をしてきた方に、届いたらうれしいです。
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