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役に立たないが、いないと困る──そんな人間の未来とは?

AIの進化によって、働かなくても遊んで暮らせる社会が、現実味を帯びてきました。
誰もが自由な時間を手にし、経済的な不安からも解放される──そんな夢のような未来は、もうすぐそこまで来ています。
でも、本当にそれで、私たちは満たされるのでしょうか?
このエッセイでは、AI社会がもたらす変化と、人間の心に芽生えるかもしれない静かな問いを見つめていきます。


働かずに生きていくことが『普通』になる未来

近い将来、仕事なんかしなくても遊んで暮らせるようになる。しかも、経済的な心配もせずに。そんな未来が待っているとしたら、あなたはどう思いますか?

「まさか。いくら何でも、経済的な心配もなしに遊んで暮らせるなんて、そんな未来が来る訳がない。しかも、それが近い将来だなんて、ありえない」

そう思いますか? でも、そのための変化は、すでに始まっているのです。そう、AI。そう聞けば、何か思い当たるでしょうか。その通り、AIが私たちの仕事場に入り込み、そしてあなたの仕事を代わりに遂行することで、人間は遊んで暮らせるようになるかもしれません。

「だとしても、そんなのはまだまだ先の話だ」

もしかしたら、そんなふうに思っているかもしれません。でも、今、AIはものすごい勢いで私たちの生活に関わり出しています。それも、とても自然な形で。

例えば、朝、オフィスについてまずやることは、メールのチェックだという人も多いでしょう。職種にもよるのでしょうが、例えば営業職のマネージャーなんかだと、朝のメールチャックに数時間費やすなんてことも珍しくありません。もちろん、返信が必要であれば、返事も書かなくてはなりません。場合によっては、スケジュールなり進捗状況なり在庫なりを確認してから返事を書きます。午前中はメールの時間だ、なんて話も珍しくありません。

ところが、現在はどうでしょうか? メールは要約されたものをまず読みます。広告などの不要なメールは最初から優先度が低く設定されているので、目に入ることはほとんどありません。そして、要約だけでは十分でない場合だけ、本文を読めばいいのです。実際に経験してみれば分かることですが、それは意外なほど少ないものです。

返信が必要であれば、箇条書き程度に指示をすれば、AIが代筆してくれます。もし、スケジュールのチェックが必要であれば、AIに「スケジュールを見て、一番近い午前中の空き時間」と指示を出すだけです。進捗状況や在庫の確認が必要だとしても、同様です。簡単な指示で、フォーマルなビジネスメールを返信できます。メールというのは、往々にして装飾的な部分も多いのですが、そういったことはAIに任せればいいのです。

これだけでも、やる事がかなり減っているはずですが、AI技術の恩恵だとはあまり意識しない事がほとんどでしょう。これこそが、今までの技術的な革命と違い、AIがいかに自然な形で私たちの仕事場に入り込み、影響を与えていることの証左と言えるでしょう。自然な形がどうかは置いておくとしても、すでにこれだけでも、もともと人間がやっていた仕事をAIに任せるようになったということについては、異論はないはずです。

そう考えると、「近い将来」に、AIがあなたのやっている仕事の全てを代わりにやってくれるというのは、決して夢物語ではないのです。

AIが仕事を軽くする──その本当の意味

さて、先ほどの営業職のマネージャーの話を、もう少し具体的に見てみましょう。時間は、現在よりも少しだけ未来に進んでいます。

そのマネージャーはいつも、始業開始時間の30分前にオフィスに着きます。お気に入りのマグカップにコーヒーサーバーからコーヒーを注ぎ、席につきます。パソコンを立ち上げたら、まずはメールのチェック。現在、自分で抱えている案件、引き合い、部下からの報告、社内通達、それから広告メールと、メールボックスはかなりの数のメールで溢れています。
広告メールだからといって、全て無視していいとも限りません。情報として見ておきたいものもあります。その前に、どれが広告メールなのか判別するだけでも時間の掛かる作業です。だからといって、見るべきメールを見逃すわけにもいきません。また、適切な返信が必要なメールも多くあります。

この「メールを読む」、「返信を書く」という作業に、少なくとも2時間、多い時には午前中いっぱい費やすこともありました。もちろん、自分で処理する必要のないメールは部下やアシスタントに回す場合もありますが、そもそも、自分で処理するべきかどうかを判断するためには、メールを一読する必要があります。それに、部下やアシスタントに依頼する場合でも、依頼内容を伝えなくてはなりません。

とはいえ、それは少し前までの話。今では、まずはメールの内容をAIに要約させます。

ほとんどのメールは、要約に目を通せば事が足ります。それでも本文を読むと判断した場合だけ、少し時間をかけて本文を読みます。その本文を読むべきという判断も、AIが行います。とはいえ、本文をそのまま読むということも、実際のところほとんどありません。関連するメールは、一つの報告書にまとめられます。例えば、あるプロジェクトがあって、それに関する進捗報告やミーティングの予定、もちろん予定に変更があれば強調して表示されます。判断する必要のある項目には選択肢が表示され、クリックすれば決済されます。

では、そのマネージャーが部下やアシスタントに指示を与える場面を考えてみましょう。例えば「この案件についての進捗をまとめて、クライアント向けのプレゼン資料を作成してほしい」と依頼します。指示を受けた部下やアシスタントは、必要なデータを集め、資料の構成を考え、スライドを作り、仕上げた資料をマネージャーに送ります。

ただし、ここでも彼らがすべてを自分で作るわけではありません。彼ら自身がAIに指示を出し、AIに資料を作成させているのです。つまり、マネージャー → 部下 → AIという形で指示が伝わり、最終的にAIがプレゼン資料を作っています。

ですが、であればマネージャーが直接AIに指示を出してしまえばいいのではないでしょうか。部下やアシスタントを挟む意味はどこにあるのでしょうか?

もちろん、非常に有能で理解の早い部下やアシスタントであれば、指示の意図を的確に汲み取り、AIへの指示を洗練させるなど付加価値を生むことができるかもしれません。しかし、そうでない場合は、指示の意図を正しく理解してもらうのに時間がかかったり、誤解されたまま進められて見当違いの資料が上がってくるリスクもあります。

そう考えると、「マネージャーが直接AIに指示を出しても同じ」どころか、「直接AIに指示を出した方が手っ取り早い」状況が現実的に生まれます。つまり、特別に有能な人材を除けば、部下やアシスタントは必要なくなり、極論を言えば、一人の有能なマネージャーだけでチーム全体の仕事を完結できる可能性があるのです。

映画をつくるのに、人は何人必要だろう?──チームプレイの相手は誰?

映像制作の現場を思い浮かべてみましょう。映画やドラマ、CM、さまざまな映像作品は、多くの人々の情熱と専門性が結集して生まれています。そこでは、たくさんの「人間」が、自分の能力、経験、アイディアを活かし、役割を分担して作品を作り上げていくのです。

例えば映画の場合、まずプロデューサーが次の映画を企画します。プロデューサーは作品の方向性を練り、資金を調達し、監督をはじめとするスタッフを雇います。脚本家が脚本を書き、監督は脚本を読み込み、映像としてのイメージを膨らませます。そのイメージをもとに、キャスティング担当者が俳優を選び、役者たちを確保します。

ロケハン担当は全国各地を飛び回り、撮影に適した場所を探し出します。大道具係は舞台を作り込み、小道具係は物語に合わせた小物を準備します。俳優は脚本に沿って演技し、カメラマンが監督の意図を汲み取ってカメラを回します。音声係は俳優のセリフをクリアに録音し、必要に応じて効果音を収録します。そして編集係は膨大な映像や音声を組み合わせ、特殊効果を加えながら物語を完成形へとまとめていきます。

こうした制作と並行して、プロデューサーはマーケティング担当者を雇い、ターゲット層に合わせた広告戦略を練ります。マーケティング担当者は、映画をより多くの人に届けるため、予告編を作り、SNSを駆使し、イベントを企画します。こうして多くの「人間」が力を合わせ、一つの作品が世に送り出されるのです。

では、少しだけ未来に時間を進めてみましょう。AI技術がもう少しだけ発達した、そんな近い将来の映画制作現場を想像してみてください。

プロデューサーは変わらず次の映画を企画し、資金を調達します。ですが脚本は、AIにプロットやテーマを伝えるだけでプロデューサー自らがAIを通じて用意します。映像イメージも、AIに「夜の摩天楼」「雨に濡れる路地」といった指示を出せば、CGとして美しく緻密に生成されます。

キャスティングもAIに任せ、CGで俳優のビジュアルを用意できます。撮影場所、大道具、小道具──これらもAIに指示を出せばCGで完璧に再現されます。俳優は存在せず、AIが操るCGのキャラクターたちが脚本に沿って動き、感情を込めて演技をします。カメラマンは不要です。AIが撮影データとしてCGを記録します。

セリフや効果音も、AIが台本通りに音声データを生成します。プロデューサーはAIに指示を出しながら、映像や音声、特殊効果を自在に調整していきます。制作と並行して、マーケティングAIにも「20代女性向けにSNSで拡散を狙いたい」と指示を出すと、AIはターゲットに最適な広告素材を作り、SNS広告を自動運用します。

多くの人が関わってきた「映画制作」という仕事は、一人のプロデューサーがAIを駆使することで、ほとんどの工程を完結できる世界がすぐそこまで来ているのです。この変化は、かつて分業でしか成立しなかった仕事を、少数の人間で完結できるようにしてしまう──つまり分業そのものを崩壊させる可能性を秘めているのです。

一人で完結する世界──そのとき、あなたは?

営業マネージャーの業務や映画制作の現場を例に見てきたように、AIが人間の業務を代替するだけでなく、複数人で分担してきた作業を一人で完結できるようになる未来が、すぐそこまで迫っています。もともと人類は、農耕や狩猟の時代から「協力し、役割を分担することで大きな成果を得る」ことを学び、それを強みに文明を築き上げてきました。産業革命を経た現代では、世界のどこでも「人が多いほど多様な知恵や労力を集められる」という考えは当然の常識になっています。これは、人間にとって根源的な価値観と言っても過言ではないでしょう。

しかし今、AIがその常識を大きく覆そうとしています。かつて数十人、数百人を必要とした仕事でも、明確なビジョンを持ち、計画を描き、AIに適切な指示を出せる一握りの人材さえいれば、すべてを完結できてしまう時代が訪れようとしています。今までも、優れたリーダーやプロデューサーがいればビジネスを回すことはできましたが、実際にはその計画を実行に移すために多くの人材を必要としていました。しかしAIを高度に活用すれば、膨大な人手を必要とせず、一人の能力次第で計画から実行までを完結できるのです。ここでいうAIの活用とは、単にメールを要約させたり、返信を書かせるようなレベルではなく、ビジネスやプロジェクト全体を動かすための強力なツールとしてAIを使いこなすことを意味します。そんな世界が、すでにビジネスの最前線で動き始めているのです。

もし、この流れが止まらず進んでいけばどうなるでしょうか。企業は「少数の能力ある人間がAIを駆使して圧倒的な成果を出す」ことを前提に組織を設計するようになります。平均的な能力の人々は仕事を任されることすらなくなり、チャンスすら与えられません。必要なのは、ほんのわずかな「AIを使いこなし、ビジョンを描けるごく一部の人材」だけ。その人たちのもとに富と権力が集中し、多くの人々は単純に「必要とされない」存在になってしまう可能性があります。

もしかしたら「自分は専門性の高い職種だから、当面はAIに置き換わることなんてないだろう」と思っている人もいるかもしれません。しかし現実には、専門性が高く、豊富な知識や経験が求められる職種ほど、AIに置き換わる列の前方に並んでいる可能性があります。なぜならAIは、大量のデータとパターン認識をもとに専門性を再現・超越できる性質を持っているからです。専門知識をもとに論理を組み立てる仕事は、AIにとって極めて得意分野なのです。

逆に、工場や倉庫で手足を使い、物理的に物を運んだり組み立てたりする仕事の方が、AIだけでは完結せずロボット技術も必要になるため、置き換えが進む順序としては後になるかもしれません。しかし、そのロボットの開発や制御も、AIによって効率化されるのは時間の問題です。ロボットが普及するだけのコストと技術の壁が突破されれば、そうした「肉体労働」の仕事も相当近い将来、AIとロボットに取って代わられるのは目に見えているのです。

働かない人が必要になる時代──遊んで暮らすが美徳になる?

AIで極限まで効率化された生産現場。少数の能力のある人間とAIで展開されるビジネス。一見すると利益は極限まで最大化されそうですが、ここで大きな矛盾が浮かび上がります。一体誰が、それを買うのでしょうか?

AIによって労働の大部分を不要にできる社会では、働ける人が極端に少なくなります。大半の人が無職になると言ってもいいでしょう。働けない人々は収入を失い、お金を得られない。お金がなければ当然消費はできません。消費が減れば、生産した商品やサービスは売れなくなります。いくら効率的に高品質なものを作れても、買い手がいない社会においては、ビジネスは成立しないのです。AIで作り出した圧倒的な生産力は、消費者の存在があってこそ価値を持つのだという、当たり前の現実がAI時代には簡単に崩れてしまう危険性を孕んでいます。

しかし一方で、AIがもたらす超高効率な生産は、少数の人間と企業に桁違いの利益を生む可能性も秘めています。従来の何十倍ものスピードで商品を作り、ほとんど人件費をかけずに利益を生むビジネスモデルは、利益率を飛躍的に高めます。莫大な利益が得られれば、国家や社会に入る税収も必然的に増大します。つまり、AI社会は一見「多くの人が失業して困窮するだけの世界」に見えますが、その生産効率の高さによって社会全体で利用できる富はむしろ大きくなる可能性があるのです。

では、その富をどのように扱えば、消費を途絶えさせることなく社会を維持できるのでしょうか。例えばその方法の一つとして、富を一部の勝者が独占するのではなく、社会全体に再分配することで消費を持続させようとする仕組みであるユニバーサルインカム(UBI)が考えられます。

UBIがあれば、たとえ働く機会を失っても、人々は一定の収入を得られ、消費を続けることができます。消費が続けば商品やサービスの需要も生まれ、結果として生産者であるAI活用企業もビジネスを維持できます。ビジネスが極限まで効率化された社会では、その金額もそれなりのものになることが期待されます。UBIは、人類がAI社会で直面する「消費が途絶えるリスク」を回避するための方法の一つとして考えられているのです。

しかし、本当にお金を配ればそれだけで経済は回るのでしょうか。そして人々は「自分の力で稼ぐ」という生きがいを失っても幸せでいられるのでしょうか──。

必要とされているのに、期待はされない世界──遊んで暮らしていけますか?

ここまで見てきたように、AIによって極限まで効率化された社会では、生産はごく少数の人間とAIによって完結し、大多数の人は労働から解放される可能性があります。そして、その人々の消費活動を支えるために、ユニバーサルインカムのような再分配の仕組みが導入されるかもしれません。

理屈としては、うまく回る社会です。働かなくても一定の収入が得られ、衣食住が保障される。かつて夢物語とされた「働かずに暮らせる未来」は、現実のものになるかもしれません。

けれども、そこで立ち止まって考えるべき問いがあります──それは、人間は“働かずに生きる”ことに本当に順応できるのか? ということです。

私たちは、単に生存するために働いているのでしょうか。あるいは、働くことを通して「自分の価値」を確認し、「誰かの役に立っている」という実感を得ているのではないでしょうか。 給与明細の数字や評価の言葉以上に、「自分の力で何かを成し遂げた」という実感が、人間にとっての精神的報酬なのかもしれません。

もし、すべてがAIに代替され、人間の行動が「ただ与えられたお金で消費をするだけ」に変わってしまったとしたら──それは本当に幸せな状態なのでしょうか?
最初のうちは楽しく自由に思えるかもしれません。しかしやがて、「誰にも必要とされていない」「社会の一員として貢献できていない」という感覚に苛まれる人が出てくるかもしれません。人間は、自らの存在に意味や意義を求める生き物だからです。

つまり、AI社会において経済的な仕組みを整えるだけでは不十分であり、「心のあり方」まで含めた社会設計が求められるのです。どのようにして、人々が「働かずとも満たされる」心理状態にたどり着けるのか。それともやはり、何らかの「人間の役割」を社会の中に残していくべきなのか。

AIが仕事を奪う社会の先に、私たち人間はどんな生き方をするのか。これは、技術の問題ではなく、人間とは何かを問う哲学的な問題でもあるのです。

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