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本当の気持ちに会いに行く

― 私が問いを書き続ける理由 ―


最近気づいたことがある。

私は答えを見つけるために、ノートに思いや問いを綴っているわけではないらしい。

むしろその逆で、

ジャーナリングで自分の中から出てくる問いに向かい合っていると、
自分でも気づいていなかった気持ちに出会う。


先日もそうだった。

感情が大きく揺れていて、うまくコントロールできなかった。

最初は何にこんなに反応しているのか、自分でもよく分からなかった。

怒り。
苛立ち。
モヤモヤ。

表面には確かにそんな感情がある。

でも、どこかはっきりしない。

だからといって誰かにぶつけて対話を重ねても、
きっと解決しない気がしていた。



そんな時、ノートを開く。

自分の思いや感情を書き出しながら、問いを重ねていく。

ーなぜ私はこんなにイライラするのだろう。

ー何がそんなに嫌だったのだろう。

ー本当は何を感じているのだろう。

そうやって書き続けているうちに、

表面に浮かんでいた感情の奥から、別の声が聞こえてくることがある。

ー怒っていると思っていたのに、本当は悲しかった。

ー焦っていると思っていたのに、本当は不安だった。

ー誰かに認めてほしかったわけではなく、自分で自分を認めてほしかった。

そんなふうに。


私はずっと、問いは答えを出すためのものだと思っていた。

でも最近は少し違う気がしている。

問いは、自分を深く知るための入り口なのかもしれない。

すぐに答えが出なくてもいい。

むしろ出ないままでもいい。

問いを持ったまま暮らしていると、
ある日ふとした瞬間に、思いもよらない場所から
答えのかけらがやってくることがある。

だから私は、答えを急がない。

その代わりに、問いと一緒に過ごしてみる。

ノートに向かう時間は、何かを解決する時間というより、
自分と再会する時間なのかもしれない。

そしてそれは、

本当の気持ちに会いに行く時間でもある。


忙しい毎日の中で、私たちは案外、自分の気持ちを置いていってしまう。

大丈夫なふりをしたり。

平気な顔をしたり。

前へ進もうと急いだり。

でもノートを開いて問いを書いていると、

「本当は悲しかった」
「本当は怖かった」
「本当は寂しかった」

そんな小さな声が聞こえてくることがある。

だから私は問いを書き残す。

それは答えを探すためではなく、

本当の気持ちに会いに行くためなのかもしれない。


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