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地球平面論者は証拠を無視していない、むしろ"証拠好き"だった意外な真実

「まさかあの人が陰謀論を信じるなんて」——身近な誰かの変化に、そんな戸惑いを覚えたことはないでしょうか。

実は、陰謀論を信じる人たちは、証拠を軽視しているわけではありません。むしろ人一倍、自分の目で確かめた事実を大切にしている人たちだったとしたら、少し見方が変わってきませんか。

今回は、地球平面説をめぐる最新の研究をもとに、専門家への不信とエビデンス重視という姿勢が、実は紙一重である理由についてお話しします。読み終える頃には、あなた自身の中にある「疑う力」との、ちょうどいい付き合い方が見えてくるはずです。


陰謀論者は「証拠を無視している」わけではなかった


地球は丸い。これは、疑いようのない常識のように思えます。

ところが、国際的なリサーチ会社が2018年にアメリカの成人8215人を対象に行った調査では、「地球は球体である」という考えを信じると答えた人は84%にとどまり、残り16%は同意しませんでした。5〜6人に1人が、明確には「丸い」と言い切らなかった計算です。

この事実を知ったとき、私は正直、驚きました。同時に、大阪大学大学院で科学論を研究する松村一志准教授の近著『科学否定論はなぜ人をひきつけるのか』(ちくま新書)を読んで、さらに考えさせられることがありました。

その本によれば、地球平面論者は、証拠を無視しているのではありません。むしろ、専門家の説明をそのまま信じるのではなく、自分の目で確かめた事実を重んじる姿勢が、結果として疑似科学や陰謀論を呼び込んでしまっている、というのです。

「証拠を軽んじる人たち」ではなく、「証拠へのこだわりが強すぎる人たち」。この視点の転換こそ、今日いちばんお伝えしたいことです。

疑似科学と陰謀論、なぜこの二つは手を組むのか


地球平面説の主張には、大きく分けて二つの柱があります。

一つは、地球が平らであることを「示そうとする」疑似科学的な観察です。たとえば19世紀の平面論者は、平坦な水路のそばで、水面すれすれの高さから遠くの目印が見えたという観察をもとに、地球は曲がっていないと主張しました。しかし、これは光の屈折という基本的な現象を考慮していない議論です。蜃気楼を思い浮かべれば分かるように、光は大気の密度差によって曲がります。仮に観察自体が事実だったとしても、それだけで球体説が覆るわけではありません。

もう一つは、球体説を広めてきたのは地位の高い科学者たちの欺きだ、とする陰謀論です。ここには、NASAが月面着陸の映像を捏造したという説なども組み込まれていきました。

一見ばらばらに見えるこの二つが、なぜセットになるのか。答えはシンプルで、「地球が平らなら、球体説を広めた誰かがいるはずだ」という論理的な帰結だからです。疑似科学的な"観察"が、陰謀論的な"犯人探し"を必然的に呼び込んでしまう構造になっているのです。

「証明の数」が多いほど、人は説得されてしまう


もうひとつ、興味深い指摘があります。それは、平面説が時代とともに「論証の数」を増やしてきたという事実です。

1885年、ある印刷業者が『地球が球体でないことの100の証明』という冊子を出版しました。それから130年後の2015年には、あるYouTuberが「地球が回転するボールでないことの200の証明」という動画を公開しています。

100から200へ。ただ数が倍になっただけではありません。この「数へのこだわり」こそが、説得の核心なのです。

普通、ある説を否定するには、周到に練られた反証がひとつあれば十分です。ところが平面説では、無数の「証明」が積み重ねられます。球体説を退けるという目的だけを考えれば、これはあまり意味がありません。けれど、人を説得するという点では、とても効果的です。なぜなら、ほとんどの人は、次々と繰り出される主張のすべてに、その場で即座に反論することなどできないからです。

実際、ある平面論者は、道行く人に声をかけて説を説いてまわる自分の活動を「平手打ち」と呼んでいたそうです。証明を突きつけることは、まさに情報の"平手打ち"なのだと思います。量で圧倒される感覚は、私たちが思っている以上に、人の判断力を鈍らせます。

エビデンスを求める姿勢と、陰謀論はどこで分かれるのか


ここまで読んで、こう感じた方もいるかもしれません。「専門家を疑うこと自体は、悪いことじゃないのでは」と。

その感覚は、正しいと思います。専門家も人間である以上、間違えることはありますし、専門家同士で意見が割れることも珍しくありません。だからこそ、私たちが放射線のリスクやワクチンの有効性について「エビデンスを見せてほしい」と思うのは、ごく自然なことです。

天文学者のカール・セーガンは、かつて「並外れた主張には、並外れた証拠が必要だ」という言葉を残しました。これは、疑うこと自体を否定するものではなく、健全な検証の姿勢を後押しする言葉だと私は理解しています。

地球平面論者と、そうでない私たちの間で違うのは、「証拠を求めるかどうか」ではなく、「疑いの矛先をどこまで広げるか」なのだと思います。専門家の言うことを部分的に疑うのと、専門家という存在そのものをまるごと疑うのとでは、行き着く先がまったく違います。すべての専門家を疑ってしまうと、今度はその疑いを提供してくれる別の情報源や、自分自身の判断力を、無防備なまま信じ込んでしまう。ここに、陰謀論の落とし穴があります。

陥らないために、心に留めておきたい3つの視点


ここまでお話ししたことを、日々の情報との付き合い方に落とし込むなら、大切な視点は3つあると私は考えています。

一つ目は、証拠は「量」より「質」で見るということです。100個や200個の"証明"が並んでいると、つい圧倒されてしまいますが、数の多さと正しさは無関係です。一つひとつの主張が、どれだけ検証に耐えるものかを見る癖をつけたいところです。

二つ目は、疑いの矛先を一点に絞らないということです。ある専門家の、ある発言だけを疑うのは健全な姿勢です。けれど「専門家全員が信用できない」というところまで広がってしまうと、そこにはもう検証の余地がなくなります。疑うこと自体を、チャレンジすべき悪者にする必要はありません。ただ、疑いの範囲だけは、常に意識しておきたいのです。

三つ目は、自分の目で見た実感を、過大評価しないということです。私たちの日常の感覚は、地球の丸さを体感できるようにはできていません。それでも地球が丸いのは、無数の人の観測やデータが積み重なった結果です。自分の実感と、集合知としての専門知は、対立するものではなく、本来補い合うものだと私は思っています。

おわりに


地球平面説は、多くの人にとって縁遠い話に見えるかもしれません。けれど、その根っこにある「専門家不信」と「自分の目で確かめたいという欲求」は、私たち誰の中にもある、とても自然な心の動きです。

大切なのは、疑う心を消すことではありません。疑いの矛先を、一点に絞ること。そして、量ではなく質で証拠を見極めること。この二つさえ意識できれば、あなたはもう、陰謀論に振り回されにくい人になっているはずです。

情報があふれる時代だからこそ、健全に疑い、健全に信じる。そのバランス感覚を、これからも一緒に育てていけたらと思います。

長文にもかかわらず、最後までお付き合いくださりありがとうございます。これからも、いい意味で"ちょっとだけマニアックな"情報を届けていけたらと思います。

#陰謀論 #フェイクニュース #情報リテラシー #ファクトチェック #フラットアース


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