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+1.56という数字に隠された、著者も明確に否定した誤読の正体

最近、Xで「すごい論文が出た。HPVワクチンを義務化したバージニア州では、若い世代の子宮頸がんが減るどころか逆に増えていた」という投稿を見かけて、心がざわついた方はいらっしゃいませんか。長年、娘さんに勧めてきたワクチンが、まさか逆効果だったなんて。そう思うと、これまでの判断が間違っていたのではと、不安になるのも当然のことだと私は思います。実は私も、この投稿を見た瞬間、真っ先に原著論文を開きました。そして分かったのは、論文の数字自体は確かに本物である一方、その意味がSNS上で大きくねじ曲げられていたという事実です。今日は、そのねじれがどこで生まれたのかを、一緒に丁寧にほどいていきたいと思います。

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2213538326000780


話題になった投稿と、論文が本当に語っていること


先日、X(旧Twitter)で見かけたその投稿には、こう書かれていました。「すごい論文出た。HPVワクチンを義務化したバージニア州では若者の子宮頸がんは減少せず逆に増加していた」。

医療の現場に身を置く者として、そして公認心理師として、私はこの手の投稿を見るたびに、まず一つ深呼吸をしてから原著論文を開くことにしています。今回もそうしました。そして見えてきたのは、投稿そのものが真っ赤な嘘ではないという、少し厄介な現実でした。

論文は確かに実在します("Causal inference, cancer registry data, and a single state policy change: Evaluating Virginia's HPV vaccine mandate", PubMed ID: 42442540)。米国バージニア州が2008年に導入した、女子の学校入学時HPVワクチン接種義務化について、その後の子宮頸がん罹患率への影響を検証したものです。義務化の対象となった最初の世代が20〜24歳になる2016年以降を分析期間とし、州別のがん登録データをもとに、複数の統計モデルで効果を推定しています。

主要な解析モデル(合成対照法を用いたトリプル・ディファレンス、専門的にはSC-DDDと呼ばれる手法です)では、確かに「対照群と比べて10万人あたり+1.56例、子宮頸がんが多い」という結果が出ています。ここだけを切り取れば、投稿の主張は数字としては間違っていません。

けれど、私がこの論文を読んで一番心に残ったのは、その少し先で著者自身が書いていた一文でした。これはワクチンそのものの効果を否定するものではない、と。この一言に、今回のすり替えの正体がすべて詰まっていると、私は感じています。

なぜ「半分だけ本当」なのか――3つのすり替え


一つひとつ、丁寧にほどいていきましょう。私がこの論文を読みながら見つけたのは、大きく3つのすり替えでした。

一つ目は、「ワクチンの効果」と「義務化という政策の効果」のすり替えです。この論文が検証したのは、HPVワクチンという医薬品そのものの有効性ではありません。バージニア州が導入した「学校入学時の接種義務化」という制度が、実際に接種率を押し上げ、その結果として将来のがんを減らせたかどうか、という政策評価です。実はバージニア州の義務化は、保護者の判断による幅広いオプトアウト(免除)を認めていたため、別の研究(Pierre-Victor D, et al. J Womens Health. 2017)でも、義務化の前後で接種率に有意な変化が見られなかったことが報告されています。つまりこの論文が示したのは「制度が絵に描いた餅で終わっていた可能性」であって、「ワクチンを打った人にがんが増えた」という話では、まったくないのです。ワクチンそのものの子宮頸がん予防効果は、世界各国の別の大規模研究で繰り返し確認されています。

二つ目は、数字の一人歩きです。実はこの研究、解析モデルによって結論が変わります。単純な比較(通常のsynthetic control DD)では、義務化による効果は認められませんでした。年齢群ごとの州内トレンドまで加味した、より精緻なモデル(SC-DDD)で初めて、この+1.56という数字が現れます。しかも著者自身が、政策導入前の時点ですでに群間のトレンドに差があった可能性(いわゆる並行トレンドの前提の一部違反)を認め、単一州のデータだけで因果関係を断定することの難しさを、繰り返し注記しています。加えて20〜24歳という年齢層の子宮頸がんはもともと非常に稀な疾患で、バージニア州では罹患数が0例だった年すらあります。少数例を扱う統計は、ちょっとしたブレで数字が大きく動くことも、論文を読み解く際に私がいつも肝に銘じていることの一つです。

三つ目は、文脈の欠落です。20〜24歳の子宮頸がん罹患率そのものは、バージニア州でも、他の州でも、時間とともに着実に減っています。今回問題になった+1.56という数字は、「もっと減っていてもよかったはずなのに、その分だけ届かなかった」という、あくまで期待値との差を表すものです。「がんが増えた」ではなく「期待された追加の予防効果を示せなかった」――この二つは、似ているようで、まったく違う話です。以前の記事でも、「接種後に亡くなった」と「接種のせいで亡くなった」がまったく別の意味を持つとお伝えしましたが、それと同じ構造の混同が、今回も起きています。

なぜ私たちは、こうした投稿を信じてしまうのか


正直に言うと、完全なデタラメより、こうした「半分だけ本当」の情報のほうが、ずっと厄介です。本物の食材を使いながら、レシピの手順だけを大きく間違えた料理のようなもの。数字も論文も本物だからこそ、私たち自身の目で細部を確かめない限り、簡単には見抜けません。

ある統計学者の有名な警句に、こんな言葉があります。嘘には三種類ある、嘘と、大嘘と、そして統計だ。この言葉が長く語り継がれてきたのは、正確な数字であっても、切り取り方ひとつで印象がまったく変わってしまうという、人間の心理の弱さを的確に突いているからだと、私は思います。

私たちの脳は、シンプルで感情を揺さぶる物語のほうを、複雑で慎重な物語より好んで受け入れてしまう傾向があります。「ワクチンが子宮頸がんを増やした」という一文は、恐怖と怒りをまとった、拡散力の強い物語です。一方で「単一州の政策実装が、期待された効果を発揮できなかった可能性がある」という正確な結論は、地味で、思わずシェアしたくなるような刺激もありません。SNSのアルゴリズムは、残念ながら後者よりも前者を、はるかに遠くまで運んでしまうのです。

デマに振り回されないための3つの視点


こうした投稿に出会ったとき、私が実際に自分自身へ問いかけている視点を、3つだけ共有させてください。

一つ目は、これは物そのものの話か、それとも制度・運用の話かを分けて考えることです。ワクチンという物質の有効性と、義務化という制度の実行力は、まったく別の問題です。

二つ目は、その数字は、どの前提・どのモデルに基づくものかを確認することです。同じデータでも、モデルの取り方次第で結論が変わることは、決して珍しくありません。

三つ目は、絶対数は増えているのか、減っているのかを見ることです。今回のように、絶対数は減っているのに、期待値との差だけを切り取って「増えた」と表現される例は、少なくないのです。

この3つを意識するだけで、SNS上の「半分だけ本当」の情報に振り回される場面は、驚くほど減っていきます。

終わりに


情報を疑うことは、決して後ろ向きな行為ではありません。むしろ、大切な人を守るための、前向きなチャレンジだと、私は捉えています。

最後に、今日お伝えしたかったことを整理させてください。

・バージニア州の研究は、HPVワクチンが子宮頸がんを増やしたことを示したものではありません。
・研究が示したのは、義務化という政策が、期待された追加の予防効果を発揮できなかった可能性です。
・20〜24歳の子宮頸がん罹患率そのものは、バージニア州でも他州でも、時間とともに減少しています。
・単一州・短い観察期間・希少疾患というデータの性質上、結果の解釈には慎重さが必要です。
・HPVワクチンそのものの子宮頸がん予防効果は、これまでの多くの研究で確認されています。

拡散されているその投稿を、そのまま信じる必要はありません。かといって、頭ごなしに否定する必要もないと、私は思います。数字の意味を、一緒に一つずつ確かめていく。その姿勢さえあれば、あなたはもうデマに振り回される側ではなく、正しく問い直せる側に変わっているはずです。

■参照元(検証可能性のために)

・本論文:"Causal inference, cancer registry data, and a single state policy change: Evaluating Virginia's HPV vaccine mandate"(PubMed ID: 42442540/ScienceDirect掲載) https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/42442540/ https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2213538326000780

・義務化と接種率の関係を検証した先行研究:Pierre-Victor D, Page TF, Trepka MJ, Stephens DP, Li T, Madhivanan P. "Impact of Virginia's School-Entry Vaccine Mandate on Human Papillomavirus Vaccination Among 13-17-Year-Old Females." J Womens Health. 2017. https://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1089/jwh.2016.5869

気になる点やご質問があれば、コメント欄でお知らせください。ここまで読んでくださったことに感謝いたします。ありがとうございました。

#HPVワクチン #子宮頸がん #ファクトチェック #情報リテラシー #医療デマ


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