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いい話ほど疑いにくい|『江戸しぐさ』が昭和生まれと知った日の話

傘かしげ」という言葉を、聞いたことはありませんか。

雨の日、すれ違うときにお互いの傘をすっと外側に傾ける。江戸の町人が育てた、思いやりのしぐさ。そんな説明とともに、道徳の教材やポスター、駅のマナー広告で目にした方も多いと思います。

私も長いあいだ、疑わずに受け取っていた側の人間です。美しい話でしたし、否定する理由がひとつも見当たりませんでした。

ところが調べてみると、この「江戸しぐさ」という名前が生まれたのは、江戸時代ではなく昭和四十九年、西暦でいえば1974年だという説明に行き当たります。江戸が終わってから、およそ百二十年後のことです。

今日は、この話を糸口に、私たちがどうして「いい情報」ほど検証せずに受け取ってしまうのかを、一緒に考えてみたいと思います。


何が「怪しい」とされているのか、まず整理します


はじめにお断りしておきたいことがあります。私は、江戸の人々が気遣いをしなかった、と言いたいのではありません。狭い道で身を引くことも、傘のしずくを相手にかけないよう気をつけることも、人が暮らしていれば自然に生まれる作法です。

問題になっているのは、そこではないのです。

争点になっているのは、それらが「江戸しぐさ」という名称のもとに、江戸町民共通の体系的な行動規範として、商人組織などによって秘密裏に受け継がれていた、という主張です。この三点セットを裏づける江戸時代の史料が、今のところ一つも見つかっていない。ここが核心です。

江戸時代に作られた教本も、日記も、商家の文書も、町触も、随筆も、根拠として提示されていません。名前も、体系も、伝承の物語も、同時代の紙の上に痕跡がないのです。

私が立ち止まった、三つの時系列


私がいちばん静かに驚いたのは、年表を並べたときでした。

江戸時代が終わったのが1868年。普及団体自身のサイトによれば、芝三光という人物が「江戸しぐさ」と命名したのが1974年一般向けの初期の書籍『今こそ江戸しぐさ』が出版されたのが1986年11月で、これは国立国会図書館の書誌情報でも確認できます。

古い伝統が近年になって再発見された、という筋書きなら、その空白を埋める何かが出てくるはずです。ところが出てくるのは、昭和の資料ばかりでした。

普及団体が展示している芝三光の文書についても、「昭和31年以降」「命名以降の資料」と説明されています。つまり、団体の公式説明そのものが、現存する具体的資料は江戸ではなく昭和のものだと示しているわけです。

対照的なのが、実在する礼法書の存在です。たとえば1759年に成立した『習礼抄』には、着座のしかた、発言のしかた、配膳の手順が具体的に記録されています。江戸時代の人々は、作法をきちんと文字にして残していました。残す文化があった時代に、数百から数千種類あったとされる規範の記録だけがまるごと消えている。この不均衡は、やはり見過ごせません。

「記録がないのは、抹殺されたから」という説明について


江戸しぐさをめぐる主張のなかで、私が心理職としていちばん注意を向けたのが、この一文です。

記録が残っていないのは、明治新政府が伝承者を虐殺したからだ、という説明

これは、証拠が存在しないという事実を、陰謀によって説明する構造になっています。この形をとった主張は、反証がきわめて困難になります。史料が出てこないこと自体が「隠された証拠」として再利用されてしまうからです。

たとえるなら、鍵のかかっていない部屋を「鍵がかかっていないのは、鍵の存在を隠すためだ」と説明するようなものです。どちらに転んでも主張が生き残る設計になっている。

こうした構造に出会ったときは、内容の是非よりも先に、「この話は、どうなったら間違いだと分かるのだろう」と自問することにしています。答えが出てこないなら、それは検証可能な主張ではなく、信念の領域に入っています。

批判的な検証を行った歴史研究家の原田実は、江戸しぐさを1970年代から80年代以降に芝三光が創作・体系化したものと結論づけ、『江戸しぐさの正体』という書籍にまとめています江戸文学・江戸文化を専門とする田中優子も、2015年の報道のなかで「想像」「空想」と評価しています。専門家の見解が一致しているわけです。

なぜ、いい話ほど疑えなくなるのか


ここからが、私がいちばんお伝えしたい部分です。

江戸しぐさが学校教材や行政、鉄道会社や大手新聞にまで広がったのは、誰かが悪意で仕掛けたからだ、とは私は思っていません。むしろ、私たちの心の自然なはたらきが、そのまま追い風になったのだと考えています。

そこには三つのクセがあります。

ひとつめは、いい話ほど真実に見えてしまうというクセです。教えの中身が道徳的に立派だと、その由来まで正しいように感じられる。「思いやりを大切にしよう」というメッセージに反対する人はいませんから、出典を確かめる動機そのものが生まれません。ここに「昔の日本人は今より礼儀正しかった」という理想化が重なると、検証の必要すら感じなくなります。

ふたつめは、話に合う証拠だけが目に入るというクセです。浮世絵に傘を傾けた人物が描かれていれば、「ほら、傘かしげだ」と感じる。けれど、雨のなかで傘を傾ける動作は、江戸に限らずどこの誰でもします。物語に合致する一例は、その物語の名前と体系を証明したことにはなりません。

みっつめは、紹介された場所で信じてしまうというクセです。教科書に載っていた、テレビで見た、駅に貼ってあった。掲載媒体の格式は、情報の正しさとは別の軸です。ここを混同すると、一度広まった話は自分の広がりを根拠に、さらに広がっていきます。

私自身、医療の現場で似た構造に何度も出会ってきました。「昔ながらの健康法だから体にいい」「病院では教えてくれない知恵」といった語り口です。中身が穏当で、善意にあふれていて、しかも古いとされている。この三拍子がそろった情報は、驚くほど検証されないまま人から人へ渡っていきます。

明日から使える、三つの問いかけ


では、どうすればいいのか。難しい史料批判の技術は必要ありません。私が自分に課しているのは、次の三つの問いだけです。

第一に、「その資料は、いつ作られたものですか」と尋ねること。江戸しぐさの場合、この問い一つで、答えが昭和にしか届かないことが分かりました。古さを売りにする話ほど、この問いが効きます。

第二に、「どうなったら、この話は間違いだと分かりますか」と考えること。反証の入り口が塞がれている話は、事実ではなく信念です。信念を持つことは自由ですが、他人に事実として教える資格はありません。

第三に、「この話が広まると、誰の何が助かりますか」と見渡すこと。これは相手を疑うためではなく、話の重心を知るためです。講演や研修、書籍や団体活動と相性のいい物語は、それだけ検証が甘くなりやすい。悪意の有無とは無関係に、構造としてそうなります。

この三つは、順番に唱えれば十秒ほどで終わります。それでも、私たちが誤情報に加担してしまう確率は目に見えて下がります。

全否定ではなく、置き場所を変える


最後に、大切なことを付け加えさせてください。

江戸しぐさが説く内容、つまり相手に体をよけること、雨のしずくを気にかけること、席を少し詰めて次の人を迎えること。これらの価値そのものは、少しも損なわれていません。

損なわれるのは、それを「江戸時代に実在した歴史的伝統」として教えたときです。歴史の事実として教われば、いつか誰かがその根拠のなさに気づきます。そのとき失われるのは、江戸しぐさへの信頼だけではありません。それを教えてくれた大人や、教材そのものへの信頼まで、まとめて崩れてしまいます。

だからこそ、置き場所を変えればいいのだと私は思っています。「江戸時代から伝わる作法」ではなく、「昭和に生まれた、現代人のためのマナーの提案」として。出自を正直に語っても、思いやりの価値は一ミリも減りません。むしろ、正直に語れる話のほうが、ずっと長く生き延びます。

終わりに


今日お伝えしたかったことを、三つにまとめます。

ひとつ、江戸しぐさという名称・体系・秘密伝承の物語には、江戸時代の同時代史料が確認されていません。命名は1974年、初期の一般書は1986年で、江戸の終わりからおよそ百二十年の空白があります。

ふたつ、「記録がないのは抹殺されたからだ」という説明は、証拠の欠如を陰謀で埋める構造であり、反証できない主張です。ここに気づけるかどうかが、大きな分かれ目になります。

みっつ、私たちがこの話を信じたのは、頭が悪かったからでも、うっかりしていたからでもありません。いい話を信じたい、合う証拠を集めたい、権威ある場所を信じたい。それは人として真っ当な心のはたらきです。

だから、もしあなたが江戸しぐさを誰かに教えたことがあっても、恥じる必要はまったくありません。私も同じでした。大事なのは、気づいた今から、伝え方を少し変えられるということです。

情報を確かめる力は、才能ではなく習慣です。「いつの資料か」「どうなったら間違いか」「誰が得をするか」。この三つを口ぐせにするだけで、あなたが誰かに渡す情報の質は、確実に変わります。

あなたは、変化を起こせます。しかもそれは、今日この記事を閉じた瞬間から始められます。

以上が、今回お伝えしたかった内容です。どこか一つでも「試してみよう」と思える点があれば幸いです。お読みいただき、ありがとうございました。

#江戸しぐさ #フェイクニュース #情報リテラシー #認知バイアス #ファクトチェック


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