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20億円が消えた1973年|女子高生の雑談が信用金庫を潰しかけた話

スマホが震えて、家族のグループLINEに一通のメッセージが届く。「知り合いの医療関係者から聞いた話です。拡散希望」。

――そのとき、あなたの指はどう動きましたか。

私は医療の現場で働きながら、公認心理師として情報と心の関係を追いかけています。カウンセリングは行っていませんが、だからこそ「人が不確かな情報にどう反応するか」を、少し離れた場所から観察する機会が多くありました。

そこで痛感したのは、デマを広げるのは悪意のある人ではないということです。むしろ、家族思いで、心配性で、誰かの役に立ちたいと願う「優しい人」ほど、静かに、確実に転送ボタンを押します。

今日は、その優しさがなぜハックされてしまうのか。そして、連鎖をあなたの手元で断ち切るために何ができるのかを、一緒に考えてみたいのです。


「回してください」は、情報のウイルスである


まず言葉を整理させてください。ここが曖昧だと、議論がすべてぼやけてしまうからです。

流言(うわさ)は、確かな証拠がないまま口コミのように連鎖して伝わる情報です。発信者に悪意があるとは限りません。一方でデマは、政治的意図や金銭的利益といった明確な目的をもって、意図的に流される虚偽情報を指します。フェイクニュースは、ニュースの体裁を模して組織的に作られた嘘。廣井脩さんの『流言とデマの社会学』では、これらが厳密に区別されています。

そのなかでチェーンメール(チェーンメッセージ)は、少し特殊な位置にいます。定義はシンプルで、メッセージの中に「他の人にも回してください」という転送の指示が組み込まれている連鎖的情報のことです。

つまりチェーンメールは、内容の真偽以前に、構造として「自己複製の命令」を内蔵している。ウイルスが自分のコピーを作らせる遺伝情報を持っているのと、まったく同じ設計です。

そして恐ろしいのは、この設計が100年以上変わっていないこと。紙の「幸福の手紙」に10枚のコピーを同封させていた時代から、電子メールを経て、いまのLINEやWhatsAppに至るまで、「回さなければ不幸になる/回せば大切な人を救える」という骨格は一ミリも進化していません。進化したのは、増幅装置のほうだけです。

デマの量は、足し算ではなく掛け算で決まる


心理学者ゴードン・オールポートとレオ・ポストマンが提唱した「流言の公式」を、私は情報リテラシーの話をするときに必ず紹介します。

流言の流布量(R)≒ 話題の重要さ(i)× 情報の曖昧さ(a)

拡散量は、その話題が自分にとってどれだけ重要か(i)と、公式情報が欠けていてどれだけ曖昧か(a)ので決まる。ここが決定的に大事なところで、足し算ではなく掛け算なのです。

どちらか一方がゼロなら、答えはゼロになる。逆に両方が跳ね上がれば、拡散量は爆発します。

チェーンメールを一度、この目で読み直してみてください。驚くほど、二つの変数を同時に最大化するように書かれています。

重要さ(i)を上げるために、「回さないと大切な家族に災いが降りかかる」「これを食べれば感染症を防げる」と、生命や家族の安全に直結する話題を選ぶ。曖昧さ(a)を上げるために、「テレビでは報道されない真実です」「厚生労働省の関係者から聞きました」と、その場では絶対に確認できない出どころを用意する。

不安を煽り、同時に確認手段を奪う。まるで、火をつけてから消火器を隠すような設計です。誰が意図したわけでなくとも、生き残ったメッセージだけがこの形に「進化」してきた、と言ったほうが正確かもしれません。

伝言ゲームで、物語は「磨かれて」しまう


もうひとつ、オールポートたちが明らかにした重要な発見があります。情報は人から人へリレーされる過程で、ただ劣化するのではなく、より伝わりやすい形に洗練されていくのです。

そこには三つの作用が働きます。

ひとつめは平坦化。転送されるたびに、複雑な背景や但し書き、「ただし〇〇の場合に限る」といった例外条件が削ぎ落とされ、話はどんどん短く、単純になっていきます。

ふたつめは強調。物語の中で最もショッキングな部分――「致死率〇〇%」「毒物が混入」といった刺激的なディテールだけが誇張されて残ります。

みっつめは同化。受け手の既存の知識や偏見、不安に合わせて、内容が都合よく書き換えられていきます。

この三つのフィルターを通過したメッセージは、脳にとって最高に消化しやすく、他人に話したくてたまらない「完璧なパッケージ」に仕上がります。

私はこれを、川を流れる石にたとえています。角の取れた丸い石ほど遠くまで転がる。事実の複雑さという「角」は、リレーの途中で必ず削り落とされるのです。だから、いちばん流暢で、いちばんスッキリした説明が回ってきたときこそ、私は身構えるようにしています。

犯人は悪人ではなく、優しさだった


ここが、この記事でいちばんお伝えしたいことです。

チェーンメールを広げる人の大多数は、悪意に満ちた扇動者ではありません。「大切な家族を守りたい」「みんなに早く危険を知らせなければ」という、まっすぐな利他的動機に突き動かされています。

心理学には「情動の社会的共有」という概念があります。人は強い恐怖や不安を感じたとき、それを誰かに話し、共有することで自分の緊張を和らげようとする。これは病理でもなんでもなく、人間の正常な機能です。

つまりチェーンメールは、受け取った人の不安を刺激したうえで、「誰かに送る」という行為を通じて安心とコントロール感という報酬を与えている。優しさに餌をやって、その優しさを燃料にして走っているのです。

だから私は、「デマを広げる人はリテラシーが低い」という言い方には、はっきり反対します。あれは正確でないうえに、何の役にも立たない。むしろ人一倍、家族を大事にしている人ほど転送してしまう。皮肉ですが、それが現実です。

さらに厄介なことが二つあります。ひとつは真実性の錯覚効果。最初は「怪しい」と思っていた話でも、何度も接触するうちに脳が処理に慣れ、「馴染みがある=正しい」と錯覚してしまう。もうひとつは継続的影響効果。一度入力された誤情報は、後から公式に否定されても記憶の底に残り、判断を縛り続けます。

訂正が届いても、完全には上書きされない。だから同じデマが、姿を変えて何度も浮上してくるのです。

1973年、雑談が20億円を引き出した


抽象論だけでは腹落ちしないと思うので、日本の事例を一つ。豊川信用金庫事件です。

1973年、愛知県で女子高生3人が電車の中で交わした「信用金庫って危ないんじゃない?」という、まったく他愛のない冗談から始まりました。それが人づてに伝わる過程で、「危ないらしい」になり、「危ないそうだ」になり、やがて「潰れるらしい」という断定に変わっていきます。

先ほどの平坦化・強調・同化が、教科書のようにきれいに起きているのがわかるでしょうか。

当時はオイルショックで、社会全体に経済的な不安が広がっていました。曖昧さ(a)も重要さ(i)も高い状態です。そして噂を伝えた人たちには、悪意が一切ありませんでした。「親戚の預金を守ってあげたい」という、純粋な善意だったのです。

結果、わずか数日で預金者が窓口に殺到し、約20億円が引き出される取り付け騒ぎに発展しました。

誰も嘘をつこうとしていない。それなのに、20億円が動いた。私はこの事例を知ったとき、背筋が寒くなりました。悪意を取り締まっても、この現象は防げないということだからです。

災害が、いちばん残酷に構造を暴く


2016年の熊本地震では、「有害物質を含む雨が降る」「動物園からライオンが逃げた」といった未確認の情報が、SNSを通じて爆発的に拡散しました。多くは「近くの人を守りたい」という被災者自身の善意から広がったものです。しかし結果として現場は混乱し、公的機関が本当に伝えるべき避難情報の通り道を塞いでしまいました。

2024年の能登半島地震では、より現代的な問題が起きました。Xのインプレッション収益化という仕組みの隙を突き、救助要請の文面をコピペして貼り続けてアクセスを稼ぐ、いわゆる「インプレゾンビ」が大量発生したのです。本当に助けを求めている人の声が、ノイズの海に沈みました。

災害時、情報は文字通り命綱です。その回線を、善意と収益欲が別々の理由から同時に詰まらせる。私はこれを「善意の渋滞」と呼んでいます。一台一台の運転手に罪はなくても、渋滞は起きるのです。

デジタルという、巨大な増幅器


なぜ現代でこれほど加速したのか。構造側の要因も三つ挙げておきます。

ひとつは、シナン・アラルが『デマの影響力』で「ハイプ・マシン」と呼んだ仕組みです。SNSのアルゴリズムは、穏当で正確な事実よりも、目新しく感情を揺さぶる情報のほうが高いエンゲージメントを得るように設計されています。人間の脳は社会的な承認シグナルに抗えないため、この機械の上では嘘のほうが速く走れてしまう。

ふたつめは、クローズドな通信網です。LINEやWhatsApp、非公開グループのメッセージは、見知らぬ他人ではなく「信頼している家族や友人」から届きます。この瞬間、疑うという心理的な免疫システムが劇的に下がる。しかも外部のファクトチェッカーからは中が見えないので、訂正情報が届かないまま「恐ろしい真実」として固定化していきます。密閉された部屋で、反響だけが大きくなっていく状態です。

みっつめは、ブランドリーニの法則。「デタラメを作るのに必要なエネルギーに比べて、それを否定するのに必要なエネルギーは桁違いに大きい」という非対称性のことです。コピペと転送は3秒。それが誤りだと科学的に示すには、何日もの検証がいる。この差がある限り、対抗策は構造的に後手に回ります。

連鎖を断ち切る、三つの手順


では、どうすればいいのか。私が実際にやっている手順を、そのままお伝えします。難しいことは何もありません。

第一に、自分の感情を自覚すること。 「許せない!」「早くみんなに知らせなきゃ!」――そう感じた、まさにその瞬間が危険信号です。強い情動が湧いたときこそ、脳がハックされている可能性を疑う。オールポートは、デマに騙されにくい人の最大の特徴として、自分の内面(偏見や不安、認められたい欲求)に自覚的で、素直に反省できることを挙げています。「自分は騙されない」という知的な過信こそが、いちばん大きな穴なのです。

第二に、別のタブを開くこと。 これはラテラル・リーディング(水平読み)と呼ばれる方法です。メッセージの中身をどれだけ睨んでも真偽はわかりません。「お医者さんから聞いた」「テレビが報じない真実」という文言をそのまま信じず、ブラウザで別のタブを開き、公的機関や一次情報にあたる。所要時間は30秒ほどです。書かれた文章の中を深く読むのではなく、その外側へ横に出ていく。この発想の転換が効きます。

第三に、そこで留める勇気を持つこと。 「みんなに送って」と書かれていても、自分の手で止める。これが最強にして最もシンプルな防御です。あなたが転送しないという選択をした瞬間、そこから何千人へと広がるはずだった連鎖が、完全に終了します。

流れを止めるものを、ダムと呼びます。私は自分が情報のダムになると決めました。何も発信しないことが、ときに最大の貢献になる。この感覚を、ぜひ持ち帰ってほしいのです。

なお、送ってくれた人を責めないでください。相手は悪人ではなく、あなたを心配してくれた人です。「心配してくれてありがとう。ちょっと調べてみたら、公式にはこう出てたよ」――この一言のほうが、正論をぶつけるより何十倍も連鎖を止めます。

終わりに


最後に、今日お伝えしたかったことを整理します。

一つ、チェーンメールは「転送の指示」を内蔵した情報のウイルスであり、その基本構造は100年以上変わっていません。

二つ、拡散量は「話題の重要さ×情報の曖昧さ」という掛け算で決まり、悪質なメッセージほどこの二つを同時に最大化するように書かれています。

三つ、広げる主役は悪人ではなく、大切な人を守りたいと願う優しい人です。だから「リテラシーが低い人の問題」として片づけると、永遠に解決しません。

四つ、豊川信用金庫の20億円も、熊本や能登の混乱も、悪意ではなく善意が引き起こした部分が大きい。これは他人事ではありません。

五つ、対策は三つだけ。感情の自覚、別タブを開く、そしてそこで留める勇気です。

情報が汚染される時代に、私たちが「受け流すだけの消費者」でいることをやめる。それは決して、疑い深く冷たい人間になることではありません。むしろ、自分の優しさが誰かを傷つける道具に使われないよう、その優しさを守る行為です。

シェアボタンから、そっと指を離す。たったそれだけの動作が、あなたの家族と、顔も知らない誰かを守ります。連鎖は、あなたのところで止められる。どうか、その力を信じてください。

以上が、今回お伝えしたかった内容です。どこか一つでも「試してみよう」と思える点があれば幸いです。お読みいただき、ありがとうございました。

#情報リテラシー #フェイクニュース #心理学 #メディアリテラシー #チェーンメール


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