「正義中毒」に気づかないまま、あなたも加害者になり得る理由
あの日、あなたはニュースを見て、何を思いましたか。「上級国民だから逮捕されないんだ」——2019年に起きたある高齢ドライバーの事故で、多くの人がそう感じ、怒りをぶつけました。正直に言うと、私自身もその一人でした。けれど、この事故を長年追い続けた記者の著書を読んで、あのとき自分が抱いていた「正義感」の正体に、少しぞっとしたのです。今日は、あの事故を通して見えてくる、私たち自身の心の仕組みについてお話ししたいと思います。
「上級国民だから逮捕されない」という物語
2019年4月、東京・池袋で一台の車が暴走し、母子お二人の尊い命が奪われました。運転していたのは、当時87歳の元高級官僚です。「逮捕されない」という事実だけが独り歩きし、ネット上には「地位があれば人を死なせても捕まらないのか」という怒りが渦巻きました。私も当時、ニュースを見ながら似たような感情を抱いた記憶があります。
ですが、その後の丁寧な取材で明らかになった経緯を知ると、私たちが信じていた「物語」とはかなり違う実態が見えてきます。捜査を担当した警視庁は、千ページを超える刑事訴訟法の解説書を読み込み、「逃亡や証拠隠滅の恐れがなければ逮捕できない」という法律上の原則と向き合っていました。東京地検の方針も不逮捕であり、これは検察・警察という捜査機関が組織として下した、法に基づく判断だったのです。
さらに意外なことに、当時の政治家たちは「なぜ逮捕しないのか」と警視庁に迫っていたと伝えられています。「上級国民だから守られた」どころか、政治的な圧力はむしろ「逮捕せよ」という方向に働いていたわけです。私たちが信じ込んでいた構図は、事実とはむしろ正反対だったのかもしれません。
矢面に立たされたのは、加害者本人ではなかった
この事故で本当に苦しんだのは誰だったのか。それを考えると、胸が痛みます。実際に激しい非難を浴び続けたのは、事故を起こした本人ではなく、その息子さんでした。自宅の住所や電話番号がネット上に晒され、深夜に鳴り止まない電話。ある夜、受話器を取ると、見知らぬ声がひとことだけこう告げて切れたそうです。「上級国民は逮捕されなくて良いですね」。
このエピソードを知ったとき、私は臨床の現場でよく耳にする「二次受傷」という言葉を思い出しました。事件そのものの当事者ではない人が、周囲からの反応によって深く傷つけられてしまう現象です。加害者家族もまた、事故を選んだわけではありません。それでも社会は「わかりやすい怒りの矛先」を求め、身近にいる人へと攻撃を向けてしまうことがあるのです。
なぜ人は、確かめずに叩いてしまうのか
ここからは、公認心理師としての視点で、この現象を少し整理してみたいと思います。ポイントは大きく3つあると、私は考えています。
一つ目は、「正義中毒」と呼ばれる状態です。脳科学の分野では、他者を罰する行為そのものが快感を伴うことが知られています。「許せない相手を叩く」という行為は、正義感という美しい言葉をまといながら、実は脳にとっての報酬でもあるのです。厄介なのは、この快感を得ているあいだ、本人には「自分は正しいことをしている」という確信しかなく、疑う余地がほとんど残らないという点です。
二つ目は、匿名性が生む「没個性化」です。顔の見えない場所では、人は普段よりも攻撃的になりやすいことが、心理学の実験で繰り返し示されてきました。一人ひとりは決して冷酷な人間ではなくても、集団の中に匿名で紛れ込むと、個人としての抑制が外れやすくなります。六百件を超えたという抗議電話も、一件ずつは「私だけは正しい指摘をしている」という感覚から発せられていたのかもしれません。
三つ目は、確証バイアスです。「上級国民だから逮捕されない」という物語は、非常にわかりやすく、感情的にも納得しやすいものでした。人は一度そのストーリーを信じると、それを裏づける情報ばかりに目が向き、反する事実には関心を向けにくくなります。捜査機関側が丁寧に説明を重ねても、その声が届きにくかったのは、この心理が働いていたからだと私は考えています。
私たちは、あの時の「電話をかけた側」になれる
正直に告白すると、この事故が報じられた当時、私も「上級国民」という言葉に感情を動かされた一人でした。今振り返ると、事実を確かめる前に、わかりやすい怒りに乗ってしまっていたのだと思います。これは特別に冷たい人間だけが陥る話ではなく、条件さえ揃えば、誰の心にも起こり得ることなのだと、今は感じています。
大切なのは、「自分だけは絶対にしない」と思い込むことではなく、「自分も、条件が揃えばしてしまうかもしれない」と知っておくことです。臨床の現場でも、自分の弱さやクセを知っている人ほど、いざという時に踏みとどまれる様子を、私は何度も見てきました。
まとめ
ここまで、池袋の事故を入り口に、私たちの心の中にある「正義中毒」の仕組みについてお話ししてきました。最後に、大切なポイントを振り返っておきたいと思います。
一つ目は、「逮捕されない」という事実の裏側には、私たちが想像していた以上に複雑な法律上の判断があったということ。二つ目は、実際に苦しめられたのは事故の当事者ではなく、その家族だったという事実。三つ目は、匿名性や確証バイアスといった心の仕組みが、誰の中にもある「叩く側」への入り口になり得るということです。
ニュースやSNSで強い怒りが湧いたとき、それ自体を否定する必要はありません。怒りは、理不尽さに気づくための大切なセンサーでもあるからです。ただ、その怒りを誰かにぶつける前に、一呼吸だけ置いてみてほしいのです。「自分は今、事実を確かめただろうか」「この怒りは、本当に届けるべき相手に向いているだろうか」——その一瞬の間が、誰かを、そしていつか自分自身を守ることにつながるはずです。
あなたにはきっと、その一呼吸を置くだけの強さが、もう備わっています。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。
#公認心理師 #集団心理 #正義中毒 #池袋暴走事故 #SNSとの向き合い方
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