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なぜ真面目な人ほど陰謀論にはまるのか|統制感という心の落とし穴

「そのニュース、たぶんデマだよ」

そう伝えた瞬間に、相手の表情がすっと硬くなった。そんな経験はありませんか。

私は医療の現場で働きながら、公認心理師として情報と人の心の関係を追いかけています。カウンセリングを専門にしているわけではないので、私が接するのは「治療の場」ではなく「日常の場」の人たちです。だからこそ、ふつうに暮らしているふつうの人が、情報にどう揺さぶられるのかを見る機会が多くあります。

そこで何度も感じてきたことがあります。デマや陰謀論を信じてしまう人は、決して「頭が悪い」わけでも「特別に不安が強い」わけでもない。むしろ、心を健康に保つための正常な機能が、ほんの少しだけ暴走している。そう考えたほうが、はるかに説明がつくのです。

今日はその「心のクセ」を、統制感と楽観主義という2つの言葉から解剖してみたいと思います。


心には、私たちを守るための「3つの錯覚」が備わっている


まず、少し意外な話から始めさせてください。

社会心理学者のシェリー・テイラーとジョナサン・ブラウンは、1988年に発表した論文で「ポジティブ・イリュージョン」という概念を提唱しました。彼らが示したのは、精神的に健康な人ほど、現実をありのままには見ていないという事実です。

その錯覚は、大きく3つに分かれます。自分は平均的な人より少し優れていると感じる「自己評価の過大視」。自分は物事をある程度コントロールできていると感じる「統制感」。そして、未来は自分に味方してくれるだろうと期待する「楽観主義」。

この3つが、ちょうどいい強さでバランスを取っているとき、私たちは不安に押しつぶされずに朝起きて、家を出て、明日の予定を立てることができます。心のエアバッグのようなものだと私は思っています。ふだんは畳まれていて見えないけれど、確実に私たちを守っている。

ここが大事なところです。この錯覚は、欠陥ではありません。装備です。

統制感と楽観主義は、似ているようで見ている場所が違う


さて、この3つのうち今日の主役である「統制感」と「楽観主義」は、しばしば混同されます。どちらも前向きな感覚だからです。でも、この2つは焦点を当てている場所がまったく違います。

統制感が見ているのは、プロセスにおける自分の力です。「自分の行動が、この結果を引き起こしている」という因果関係の感覚。ハンドルを自分が握っている、という手応えだと言い換えてもいいでしょう。

一方、楽観主義が見ているのは、最終的な結果そのものです。自分がコントロールできているかどうかは関係なく、「とにかく結末は自分に都合よく転がるはずだ」という見通し。こちらはハンドルではなく、カーナビの到着予想時刻を信じている感覚に近い。

この違いは、暴走したときの形にもそのまま現れます。

統制感が過剰になると、客観的にはまったく制御できないランダムな出来事にまで「自分がコントロールできる」と錯覚します。これをコントロール幻想と呼びます。心理学者エレン・ランガーの有名な実験では、宝くじの番号を自分で選んだ人は、機械に割り当てられた人より、そのくじを手放すときに高い金額を要求しました。番号が当たる確率は、どちらもまったく同じなのに、です。

楽観主義が過剰になると、こちらは楽観性バイアスになります。客観的な確率を無視して、「他人はともかく、自分だけは災害にも病気にも詐欺にも遭わない」と信じ込んでしまう。

同じ「前向きさ」に見えて、片方は因果を、片方は結末を歪ませる。まったく別のバグなのです。

データが示した、スピリチュアルや陰謀論への入口


ここからが、私がこのテーマを追い続けている理由です。

『科学研究費助成事業 研究成果報告書』(課題番号22500850、平成25年)に収録されたパス解析の結果(Fig.1)は、この2つの心理特性の関係を数値で描き出しています。

まず、統制感と楽観主義のあいだには.41の正の相関がありました。「自分は世界に影響を及ぼせている」と感じている人ほど、未来にも期待を持ちやすい。ここは直感どおりです。さらに楽観主義は、自己評価の過大視と.54という、より強い結びつきを示しています。3つの錯覚が互いに支え合っている構図が見えてきます。

問題は、その次でした。

迷信や占いといったスピリチュアル信奉に直接つながっていたのは、楽観主義ではなく統制感(.40)と、随伴性にかかわるコントロール幻想(.27)だったのです。

未来に楽観的であること自体は、スピリチュアルへの傾倒を直接引き起こしてはいませんでした。引き金を引いていたのは、「世界には自分がつかめる因果関係があるはずだ」という側の感覚だった。私はこの結果を最初に見たとき、長年の違和感が一つほどけた気がしました。

ただし、ここは慎重に書いておきます。これは相関であって、因果を証明したものではありません。一つの研究のデータであり、対象や測定方法の限界もあります。それでも、「統制感」と「楽観主義」を分けて考える価値があることを示す、有力な手がかりだと私は受け止めています。

コントロールを失ったとき、人は黒幕を探し始める


では、なぜ統制感のほうが陰謀論やスピリチュアルの入口になるのか。

人間にとって、世界が純粋な偶然と不条理で動いていると認めることは、想像以上につらいことです。理不尽な病気、突然の災害、努力と無関係に決まってしまう結果。「これには理由がない」と受け入れるのは、実存的な恐怖を伴います。

だから、コントロール感が奪われたとき、脳はパターン認識機能をフル回転させて秩序を取り戻そうとします。心理学者スキナーが観察した、餌がランダムに出るだけの装置の前で特定の動作を繰り返すようになった鳩と、構造はそう変わりません。

そして、ランダムなノイズに対して「誰かの邪悪な意図」や「見えざる大きな手」を読み取ってしまう。ここが核心なのですが、黒幕がいると考えられれば、世界はカオスではなくなるのです。悪いやつが操っているのなら、少なくともそこには法則がある。歪んだ形ではあれ、統制感が回復する。

だから私は、陰謀論を信じ始めた人に「不安なんだね」と言うのは、少しずれていると思っています。奪われていたのは、不安への耐性ではなく、世界を理解できているという手応えのほうです。そして、その人を笑ったり論破したりする行為は、残っていた最後の手応えまで奪う行為になりかねません。だから頑なになる。当たり前のことなのです。

もう一つのバグ、「私だけは大丈夫」


一方で、楽観主義の暴走にも、まったく別の危うさがあります。

パンデミックや自然災害のような社会的な脅威に直面したとき、楽観性バイアスは「他人は被害に遭うかもしれないが、自分と自分の家族だけは大丈夫」という確信を生みます。根拠はありません。それでも、本人にとってはかなりの実感を伴います。

このバイアスが厄介なのは、公的機関が出す避難情報や公衆衛生上の対策を「過剰な煽りだ」「自分には必要ない」と退けさせてしまう点です。医療の現場にいると、この「私だけは」という言葉に出会う機会は本当に多い。しかもそれを口にするのは、決して無責任な人ではなく、日々をきちんと生きている人たちです。

陰謀論を信じるわけでもなく、デマを拡散するわけでもない。ただ、リスクの数字が自分の話として届かない。これもまた、立派な情報災害の一形態だと私は考えています。

私たちに必要なのは、「わからない」に耐える力


ここまで読んで、少し気が重くなった方がいるかもしれません。錯覚は装備で、外すこともできない。ではどうすればいいのか。

私が大切にしているのは、ネガティブ・ケイパビリティという考え方です。詩人ジョン・キーツが1817年に弟へ宛てた手紙のなかで使った言葉で、事実や理由を性急に求めず、不確実さや疑いのなかにとどまっていられる能力を指します。のちに精神分析家のウィルフレッド・ビオンが臨床の概念として引き継ぎました。

答えを出す力ではなく、答えが出ないことに耐える力。私はこれを、情報社会を生きるうえでの筋力だと思っています。

そのうえで、私が日常で意識している練習を3つだけ書かせてください。

一つめは、判断を24時間だけ保留すること。強い怒りや強い納得を感じた情報ほど、その場でシェアしない。感情が動いているときこそ、統制感を取り戻したい脳が働いています。

二つめは、「今はわからない」と口に出すこと。わからないと言えるのは、負けではありません。むしろ、白黒つけたがる自分の心のクセをメタ認知できている証拠です。

三つめは、相手の統制感を奪わない話し方をすること。「それはデマだよ」ではなく、「その情報、どこで見たの? 一緒に元をたどってみない?」と誘う。判断の主導権を相手の手に残したまま、事実を確認する道に並んで立つ。実際、これに切り替えてから、会話が途中で終わってしまうことは明らかに減りました。

おわりに


最後に、今日お伝えしたかったことを整理します。

一つめ。統制感も楽観主義も、心を守るための正常な装備であり、それ自体は否定すべきものではありません。

二つめ。統制感は「自分の影響力」を、楽観主義は「未来の結末」を見ています。焦点が違うので、暴走したときに現れるエラーもまったく別物です。

三つめ。データが示したのは、スピリチュアル信奉や不合理な因果への傾倒に直接つながっていたのは楽観主義ではなく、統制感の側だったということでした。

四つめ。楽観主義の暴走は「私だけは大丈夫」となって、リスク対策から私たちを遠ざけます。

五つめ。だからこそ必要なのは、世界には自分に制御できない複雑さと偶然が満ちているという事実を、そのまま引き受ける知的な忍耐力です。

デマや陰謀論を信じてしまう人を、私は一度も「弱い人」だと思ったことがありません。あれは、世界を理解しようとする力が強すぎた結果です。そして、その力の向け先を変えることは、誰にでもできます。

わからないまま持ち帰る。決めつけずに一日置く。相手の手からハンドルを奪わない。この3つを意識するだけで、あなたが受け取る情報の景色は確実に変わります。変化を起こせるのは、専門家でも大きなメディアでもなく、目の前の一つの情報に対して立ち止まれるあなた自身です。

長文にもかかわらず、最後までお付き合いくださりありがとうございます。これからも、いい意味で"ちょっとだけマニアックな"情報を届けていけたらと思います。

参考文献・出典

  • Taylor, S. E., & Brown, J. D. (1988). Illusion and well-being: A social psychological perspective on mental health. Psychological Bulletin, 103(2), 193-210.

  • Langer, E. J. (1975). The illusion of control. Journal of Personality and Social Psychology, 32(2), 311-328.

  • 『科学研究費助成事業 研究成果報告書』(課題番号22500850、平成25年)Fig.1

#フェイクニュース #陰謀論 #情報リテラシー #心理学 #ネガティブケイパビリティ


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