その怒り、本当にあなた自身の意志ですか。アルゴリズムが仕掛ける罠とは
「許せない」と思った次の瞬間には、コメント欄に書き込んでいた――そんな経験、ありませんか。
ニュースやSNSを見ていて、こみ上げてくる怒り。それは正義感の表れのようでいて、実は誰かに"利用"されているだけかもしれません。
公認心理師として、日々ひとの感情のメカニズムと向き合ってきた私が、いま世界中で起きている「怒りのポピュリズム」という現象について、心理学の視点からお話しします。政治学の研究と、心の仕組みを重ね合わせてみると、見えてくる景色があります。読み終えるころには、その怒りとの付き合い方が、少しだけ変わっているはずです。
2016年、アメリカ大統領選でのトランプ氏の勝利と、イギリスのEU離脱、いわゆるブレグジット。この二つの出来事をきっかけに、世界中の研究者たちがある事実に気づかされることになりました。人は「正しい情報」よりも「強い感情」によって動かされてしまう、という事実です。
その中でもとりわけ危険視されているのが、「怒りのポピュリズム」と呼ばれる現象です。単なるネット炎上ではありません。放っておくと、民主主義という仕組みそのものを壊しかねない力を持っていると、専門家たちは警鐘を鳴らしています。
怒りは、静かに"利用"されている
ポピュリズムというと、扇動的な政治家を思い浮かべる方が多いかもしれません。政治学者のカス・ミュデは、「汚れなき民衆」と「腐敗したエリート」という二つの陣営に社会を分け、"民衆の声こそが正義だ"と訴える考え方だと説明しています。
こうした政治家たちは、複雑な政策論争を避け、代わりに「あなたたちの権利や富は、エリートに奪われている」という剥奪感を刺激します。そして自分自身も"エリートに本気で怒っている一人"として振る舞う。理路整然と話す既存の政治家より、よほど"本音"に見えてしまうのです。心理職の視点から見ると、これはとても巧妙な設計です。人は論理よりも、感情をむき出しにした人間に、つい共感してしまう生き物だからです。
歴史学者のウィリアム・レッディは、「感情のレジーム」という考え方を提唱しました。ざっくり言えば、"この社会では、どんな感情を表に出すのが正しいとされているか"という、目に見えないルールのことです。近年の欧米社会では、政治への不信や諦めを背景に、この"空気"の中で「怒り」が主役の座についてしまいました。すると、SNS上のさまざまな反応が「これは怒りだ」と解釈され、共鳴し合いながら、どんどん大きなうねりへと膨らんでいきます。一人ひとりの小さな苛立ちが合流して、社会を揺るがす奔流になっていくのです。
"燃えやすい薪"のような感情
ここに、もう一つ厄介な仕組みが重なります。SNSを運営する企業にとって、私たちが画面を長く見てくれることは、そのまま広告収入につながります。だからこそアルゴリズムは、正確だけれど退屈な事実よりも、感情を激しく揺さぶる投稿を優先的に届けるよう設計されています。
そして数ある感情のなかでも、怒りはずばぬけて拡散力が高いことが、複数の研究 (Fanらによる2014年の研究など)で示されています。喜びや悲しみよりも、怒りのほうが速く、遠くまで伝わる。まるで乾いた薪のように、ひとたび火がつくと一気に燃え広がってしまうのです。穏やかな意見は埋もれ、過激な言葉ばかりが目立つ。これは偶然ではなく、仕組みそのものがそう"設計"している結果なのです。
なぜ、脳はこんなにも簡単に怒りに乗っ取られるのか
ではなぜ、私たちの脳はこれほど簡単に怒りに乗っ取られてしまうのでしょうか。ここには、心理学的に説明できる理由が大きく三つあります。
一つ目は、怒りが"思考の質"そのものを変えてしまうことです。強い怒りを感じているとき、人は物事をじっくり検証する力を働かせにくくなります。代わりに、自分がもともと信じたい結論に飛びついてしまう。いわゆる確証バイアスが暴走してしまうのです。
二つ目は、いわゆる"アミグダラ・ハイジャック"と呼ばれる状態です。脳の扁桃体が強く反応すると、理性を司る前頭前野の働きが一時的に抑えられてしまいます。これは太古の昔、命の危険から身を守るために備わった仕組みですが、SNSの投稿ひとつでも簡単にスイッチが入ってしまうのが、現代ならではの厄介さだと感じています。
三つ目は、「本当かどうか」より「それらしいかどうか」で情報を受け入れてしまう傾向です。研究者のローゼンブラムとミュアヘッドは、こうした風潮を"新しい陰謀論"と呼びました。丁寧な説明や証拠の代わりに、SNSでの"繰り返し"と"言い切り"だけで人を納得させてしまう。エリートへの怒りにぴったり合致する話であれば、それがどれほど根拠薄弱であっても、驚くほどの勢いで広まってしまうのです。
怒りが壊すのは「共有された現実」
こうして膨らんだ怒りは、最終的にどこへ向かうのでしょうか。
ポピュリストや陰謀論を唱える人たちは、その怒りの矛先を、報道機関や大学、裁判所、行政機関といった"社会の共通認識をつくる場所"に向けていきます。これらを"闇の政府の手先"などと決めつけ、敵として名指ししてしまうのです。
そうした機関への信頼が失われると、社会は「いま、実際に何が起きているのか」について、共通の土台を持てなくなります。事実にもとづく話し合いも、説得も、歩み寄りも機能しなくなり、政治は力と感情のぶつかり合いへと退化していきます。
そして実際に、痛ましい事件も起きています。ヒラリー・クリントン氏の陣営が児童売買に関与しているという偽情報を信じ込んだ男性が、ピザ店で発砲した事件。"選挙が盗まれた"という主張に煽られた群衆が、2021年、アメリカ連邦議会議事堂に押し入った事件。どちらも、怒りが現実の暴力へと転化してしまった、極端な実例として記録されています。
怒りを消す必要はありません
ここまで読んで、怒りという感情そのものが悪者のように感じられたかもしれません。ですが、私はそうは思いません。
不公正なことに対して怒りを感じるのは、とても健全な反応です。その怒りがあったからこそ、社会が前に進んだ場面もたくさんあります。がまんして飲み込む必要はありません。むしろ、その怒りとどう向き合うかという"チャレンジ"だと捉えてみてください。
大切なのは、「許せない」「裏で誰かが操っているに違いない」という強い感情がこみ上げてきた、まさにその瞬間です。そこで一歩立ち止まり、"いま自分は、アルゴリズムや誰かの思惑によって、都合よく怒らされていないだろうか"と、自分自身に問いかけてみる。この、自分の感情を一歩引いたところから眺める力を、心理学では"メタ認知"と呼びます。
エイブラハム・リンカーンには、腹の立つ相手への手紙をあえて書き上げたうえで、投函せずに引き出しにしまっておく習慣があったと語り継がれています。書くことで気持ちを吐き出し、頭が冷えてから、本当に送るべきかどうかを考え直す。SNSで"即返信""即投稿"が当たり前になった今だからこそ、見直したい知恵ではないでしょうか。
そしてもう一つ、複雑で割り切れない現実を前にしたとき、すぐに"敵"を作らずに耐える力があります。これを"ネガティブ・ケイパビリティ"と呼びます。メタ認知とネガティブ・ケイパビリティ、この二つこそが、怒りと分断があおられ続けるこの時代を生き抜くための、いちばん実用的な武器になると、私は考えています。
まとめ
最後に、今日お伝えしたことを整理します。
怒りは、喜びや悲しみよりも速く、遠くまで拡散する感情であること
SNSのアルゴリズムは、その拡散力を利用するように設計されていること
強い怒りは、確証バイアスやアミグダラ・ハイジャックを通じて、冷静な判断力を奪ってしまうこと
ポピュリズムと偽情報は、この"怒りやすい脳"の仕組みに巧みに寄り添っていること
大切なのは怒りを消すことではなく、"いま自分は操られていないか"と一歩引いて眺める視点を持つこと
タイムラインを開いて、心がざわついた瞬間。それは、あなた自身の感情とあらためて向き合う、ちょうどいいタイミングなのかもしれません。あなたには、その怒りに振り回されるのではなく、乗りこなしていく力が、ちゃんと備わっています。
長文にもかかわらず、最後までお付き合いくださりありがとうございます。これからも、いい意味で"ちょっとだけマニアックな"情報を届けていけたらと思います。
#公認心理師 #心理学 #ポピュリズム #認知バイアス #SNSとの付き合い方
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします。いただいたチップは、執筆のための書籍購入や、AIのために使わせていただきます。