君を知らない / Mrs.GREEN APPLE
こんにちは。藍です。
ご覧いただきありがとうございます。
今回は、Mrs.GREEN APPLEの楽曲「君を知らない」について、歌詞を僕の人生観と重ねて記したいと思います。
昨年12月に、Mrs.GREEN APPLEのドームライブ「BABEL no TOH」に参加しました。
⇩ライブレポ⇩
ライブ全体の雰囲気や、
セットリストごとに情景、解説をまとめてます!
ありがたいことにとても好評で、
JAM'S(ミセスのファンダム)の方々の
温かさをとても感じます。
まだの方はぜひご覧ください。
ミセスに興味を持ったのは、
昨年配信されたRADWIMPSのトリビュートアルバムに収録された「狭心症」という楽曲のカバーからでした。
その後公開されたミセスの映画「FJORD」と「THE ORIGIN」を拝見し、熱が高まった状態でライブ参戦が急遽決まったので、僕としては突然のめり込むように彼らを知ることができたので嬉しく思います。
そのドームライブ「BABEL no TOH」にて、僕が初めて知った&とても惹かれた楽曲があります。
本題の前に、その楽曲について。
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「君を知らない」
Phase-2
2022年7月8日リリース
ミニアルバム「Unity」収録曲
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ライブ中、初めて聴いた僕にはあまりにも衝撃的な楽曲で。
楽曲全体を通してとても切ない雰囲気が漂い、ただどこか諦めきっていないような力強さも感じる。
歌詞、歌唱、演奏、演出どれをとっても唯一無二の雰囲気で、ちゃんとメンバー3人の鳴らす音がはっきりと感情を抱えてるように聴こえる。
「あ、ミセスってこういう歌あるんだ」
「大森さんってどこまでも孤独な人なんだろうな」
と率直に感じる楽曲でした。
共感したのにはもう一つ理由があります。
それはこの楽曲の歌詞が、僕の人生観、特に恋愛的な意味での経験に基づく思考にとても似ていると思ったからです。
ライブ中に僕の思考をはっきりと言語化されたような気持ちになり、勝手ながら「同じ人がいた」とどこか報われた気になっていました。
歌唱中は今までのこともたくさん思い出しましたし、大切だった人のことも、今大切に想える人のこともたくさん考えました。
ライブが終わり、その後暇さえあればこの楽曲について調べる様になりました。
そこであるパフォーマンスのライブ映像をYoutubeにて発見しました。
2022年7月8日に
神奈川・ぴあアリーナMMで行った
一夜限りの復活ライブ
『Mrs. GREEN APPLE ARENA SHOW “Utopia” supported by PIA 50th Anniversary』より、
当日WOWOWにて生放送された
ライブ映像
「BABEL no TOH」の時の歌唱とは若干違った演出、表現ですが、限りなく近い雰囲気を感じていただけると思います。
年で言うと約4年前ですから、みなさんとても幼く見えますね。
そう考えると、最近のミセスは色々な意味でとても大きい存在になったんだなと改めて思います。
「BABEL no TOH」の時とは表情や佇まいがまるで別人。
今を背負うミセスの覚悟と、これまでを抱えて強く生きるその姿勢を、アーティストとしてではなく1人の人間として誇らしく、そして生き様をうらやましく思います。
知ることができて、出逢うことができて、見つけることができて大変嬉しいです。
(大森さんがFJORDの最後に言っていたセリフみたい...)
※01/12追記

多くの方に愛されていますね。
さて。長くなってしまいましたが、本題に入ります。
ここからは歌詞と共に、僕の人生観、思想と重ねて解説します。
少しでもいいなと思ったり、共感していただけましたら
ぜひ「スキ」や「コメント」で一言だけでも良いのでお知らせください。
同じ想いの人と出逢えるのを楽しみにしています。

最初に、この楽曲は自らを個とし、その個が抱く感情を切実に願う様に歌っていると僕は考えます。
誰かに「こうしてほしい」とか「こうであってほしい」という願いを伝えるのではなく、
あくまでも「こうありたい」や「こうすればよかった」、「自分はこう思う」と、どこか我儘のような、起こってしまったことを受け入れられず、自らを責め後悔に飲み込まれそうな心情を描いている。
きっとその個は、「君」という対象のことを本当に愛していたのでしょう。
だけども愛しすぎるが故に、大切で本質的な部分を見つけられず、失ってしまった。
この歌は今のミセスが歌う「悪くても何とかなるから紛らわして生きよう」や、「人生一度きりだから楽しいほうがいい」なんて人生を謳う楽曲ではなく、はっきりと恋についてだけ歌っている。
そんな楽曲だと思っています。
分かり合える事はない
そう気づいてしまったよ
分かち合うのならと泳ぐ
誰かがしてる縄跳びの中に
僕も入れたなら変われるかな
まずは冒頭部分。
分かり合えることはない、そう気づいてしまった。
これは初っ端からかなり重たいメッセージです。
ですが、早速僕の思いと通じる言葉でもあります。
僕はnoteやThreadsを始めるにあたり考えたプロフィールにこう記載しています。
「分かり合えることなどないこの世界で、少なからず関わった人の一部になれます様に。」
そうです。僕も同じことを思っています。
人間が本質的に根本の部分で分かり合えることはないと本気で思っています。良い意味で。
現在noteに様々な経験を記している最中ですが、現在投稿してる 第1章〜第4章 までで、僕はそのことに既になんとなく気づいてしまっていました。
分かり合えることは決してないと。
誰かを好きになり、恋に落ち、愛を育み、死を迎えようが。
誰かに好かれ、誰かに振られ、愛を信じずに、生を真っ当しようが。
分かり合えることは決してないのです。
これは"理解できない"という意味ではなく、
僕は人間はそれぞれが個性を持った生物であって、100人いれば100通りの考えがあると思っています。
その個性を、大森さんは「呪い」と表現されていますね。
その「呪い」が無くなってしまったら、それは私じゃないと。
卑屈は絶えないが、そんな自分を本当は嫌えないと。
わかりやすく言えば、人間が生活している上で起きる全ての分岐点を、100連続で一致させる相手などいないわけです。
そういう意味で、人間はとても孤独な生き物だと考えています。
僕はその100連続で一致させる相手を探しているわけではなく、お互いが寄り添いあって、選択を共に決め、"100連続以上で一致させていける人"を探しているのです。
そのために、もし分かち合えるのであれば、僕はどんな孤独だって嫌に思いません。
いつかくるその日のために、孤独を生きる。(泳ぐ)

次に、ここでいう「誰かがしてる縄跳び」とは何なのか。
僕はこの縄跳びとは、自分以外の人間の生き様や、自分にはない考え方で卑屈にならずにいる人のことを表してると考えます。
人は孤独であるが故に、どうしても他人と比べてしまう。
ですが世の中には、そもそも比べないという人もいれば、比べたとしても影響されない人がいるのです。
僕は比べてしまう側の人間なので、常日頃思います。
「僕もあの人みたいに生きれたら、こんなに卑屈にならなずに済んだのかな」
と。
「僕もあの人のように考えられたら、今何か変わっていたのかな。これから何か変わるのかな。」
そう当たり前のように思っています。
そう思ったところで、どうにもならないのに。

君を知っている
悪いのは僕の方だ
わかった気になってた
君の一部を全部として
でも僕を知って欲しい
手を離したのは君の方だ
時間が経てば忘れる
そう思って今日も引き摺ってる
サビ。
君の一部を全部として、全部だと勘違いしてわかった気になってた。
君を知っているつもりになっていた。
だから悪いのは僕の方。
そんなことに今更気づいた。
でも、君も知らない、僕の一面がある。
そのことを知らずに、君は手を離した。僕から離れた。
何でも時間が経てば忘れるけど、そう思うけど、君のことは忘れられそうにない。
だって、お互いの知らない部分を知ることができたら、正直になれてたら、こんなことにはなってなかったから。
僕はこの歌詞を組み直すと、上のように表現することができると思っています。
きっとお互い何かを我慢して、正直になれずにいたことがたくさんあったのかな。
2人が進んでいく上で必ず必要なのは、内面的な部分で寄り添っていくこと。
お互いを知り、それを抱き合い、慰め合うこと。
そういう時間が必要だったのに、あまりにも君のことを愛していたから、ずっと表面的に愛を見せることしかできなかった。
本当の僕を受け入れてもらえる自信がなくて。
本当の僕を伝えたら、君を失ってしまうと思って。
それが怖くて。
この歌ででてくる「僕」という存在は、僕みたいにとっても愛情深い人間なんだと考えます。
失うことに恐れず、失望されることにも恐れていなかったら、こんな気持ちは湧いてこないと思うからです。
僕は少なくともそうです。
僕はいつも恋愛において、自らが抱く強烈な独占欲や嫉妬を言い出せずにいます。
嫌われるのが、失ってしまうのが怖くて怖くて。
この歌に出てくる「僕」という存在が抱えていて伝えられなかったことが僕と同じとは思いませんが、考え方そのものは同じです。
でも、後半の歌詞で分かりますが、ニュアンスは同じだと思っています。
だから引き摺ってるんです。
いつまでも。

伝えられるはずなのに伝えられないから。
伝えるべき人なのに、恐れることでそれが結果的に後悔となり。
伝えて嫌われるよりも、伝えずに失うことの方がどれだけ寂しいことか理解した。
そのもどかしさが漏れるように表れている部分です。
大体そうさ、みんな良い人でも無いし
後ろから刺されてしまうのを恐れてる
いい加減無理をするのを辞めたい
愛されていたいだけだから それだけだから
とってもパンチのある言葉ですよね。
「大体の人は、みんな良い人でも無い」
"愛する君を失ったこと"が僕に与えた精神的ダメージがどれだけ大きいのかを知れる文章。
みんないい人でも無いと言い切ってしまうほどに落ち込んでいたのでしょう。
他はどうでもいいと諦めてしまっています。

「後ろから刺されてしまうのを恐れてる」
この後ろから刺されること、というのは、先ほどの解説にあった「伝えて嫌われること」や、「伝えずに失うこと」
を表現していて、
その考えが僕だけじゃ無いはず、他の誰でもそうであってほしいと縋っているようにも聞こえます。
人は孤独であると言いましたが、もし他のみんなも同じ考えで何もかも恐れていたとしたら、こんなに安心できることってこれ以上ないと思うんです。
同族嫌悪の逆ですね。
同族を嫌うのではなく、安心できる存在として好かなければならない。
そうしなければならないのが、社会のルールです。
生き抜く術です。
さらにここで「僕」が抱く最大の我儘、望みがわかります。
いい加減無理をするのをやめたい。
愛されていたい、ただそれだけなのに。
「僕」は、散々無理をしてきた経験があるんでしょう。
僕も無理をするということが当たり前になってしまっているので、分かります。
単に無理をしたくない人は、「いい加減」という単語を合わせたりしません。
「いい加減」と付けたのは、そんな自分に嫌々しているからです。

そしてその無理をするという行為は癖になり、気づけば当たり前のように自分の一部になってしまう。
ただ一つだけ言えること。
それは愛されていたい。
ただそれだけ。
愛する人に愛されていたい。
僕の考えと深く一致する言葉です。
「BABEL no TOH」の時、大森さんはこの部分をとても緩急をはっきりつけて歌われており、「それだけだから」の力強さに圧倒されたと共に、この言葉が身に染みるように聴こえ、深く深く共感しました。

君は知っている
せめて今日なら生きれる術を
辿り着けて良かったね
僕の一部を全部にして
でもこれは知っていて欲しい
夢を未だに見るんだ僕は
写真の中で息をしてる
あの頃の君に会いたい
君は知っている⇨今日を生きる術を
ここでのポイントは、"せめて"と最初についていることだと思っていて、
他は知らないけど、せめて今日を生き抜く方法だけは知っている、と捉えられます。
その後の歌詞にも繋がっていて、「僕の一部を全部として、そこに辿り着いて良かったね」と嘆く。
最初のサビに比べ、さらに「僕」を知ってもらえなかったことへの後悔が、もはや憎しみにも聞こえるような口調で表現されています。
なんていうんですかね、僕も抱く感情ですがとっても説明しづらい感情なんですよね。
こう、「君」という対象から一歩引いているような、「僕」を知れなくて残念だね、と言っているような。
言葉を選ばずに言うと、
僕を知る権利があったのに、知れなくて残念だね。
僕のことを知ることができれば、君は誰よりも愛されていたのに。
みたいな。
若干上から目線?とも取れる言葉だと思います。
僕はお別れした女性には全員にこのことを思っています。
あぁ残念だなと。愛されることができたのに。
きっと僕以上に愛してくれる人なんていないから、知ることができなくて本当に残念だなと。

話が逸れてしまいましたが、
僕の一部を全部として辿り着いた場所や答え
⇩
僕の居ない今日を生きる方法、を知っている
⇩
せめてそれくらいは知っているんでしょう。
だから手を離した。
つまり、「僕」は今日を生きる方法を知らないのです。
だって「君」が居ないから。
でも「君」は「僕」が居なくても大丈夫だから、なんとかなると思ってる。
でも「僕」には「君」が居ない毎日なんて過ごせないよ。
と嘆いているのです。
僕も第1章、最大の傷シリーズの真っ只中で同じように思っていました。
いくら浮気されたとはいえ、とっても好きでいた人が突然いなくなった毎日なんて、どう過ごせばいいか僕には到底分かりませんでした。
その後の歌詞。
僕はここが1番好きです。
僕が未だに夢を見ることは知っておいてほしい。
写真を見るたびに、幸せだったあの頃の君が恋しくなる。
どうか、あの頃に戻れたらな。
あの頃の君にまた会えたらな。
そしたら今度は僕の全部を知ってもらいたいな。
こんなに寂しい歌詞あるんでしょうか。
この歌詞に関しては、破局を経験した誰しもが思えることです。
手を離された後に写真を見返してる時、あれほど恋しくなる瞬間ってないですよね。
吹っ切ることのできる人なんているんですかね。
いるとは思いますが、やっぱり後悔とまた会いたいや寂しさが溢れる方が多いと思います。
夢にまで見るんですもん。
相当寂しいです。きっと。
僕も本当に愛してる人に会えなくて寂しい時、かなりの高確率で夢を見ます。
それほどまでに愛していた存在に手を離されたら、余計夢を見るに決まってます。
なんとも切ない歌詞ですね。
要約すると、ヨリを戻したいってよりかは、時間が戻ればいいのに、あの頃に戻って今度はちゃんと全てを知り合えるようにしたいと願う未練で溢れているのです。

君を知っている
悪いのは僕の方だ
わかった気になってた
わかった気にさせて
でも君も知っていて欲しい
手を取っていたあの日の僕ら
時間が経てば忘れる
そう思っていても
わかった気にさせて、わかった気になってた。
僕ばかりそう思ってるけども、君も同じ様に思ってくれてるかな。
あの頃の僕らの愛は確かに本物だったと思う。
だからこそ、どれだけ時間が経とうとも、やっぱり忘れることなんて僕にはできないよ。
愛や恋が終わった時って、辛かった記憶よりも楽しかった記憶が思い出される瞬間が多いですよね。
特に振られた方は尚更です。
僕は誰かにお別れされる時、又はお別れしなければいけなくなった時に真っ先に楽しかった思い出で頭がいっぱいになります。
嫌な部分なんて、その回想が終わった頃には全く見えなくなってしまうもんでした。
同時に楽しかった記憶を思い出し寂しく思うのが、僕だけじゃなく相手にも一緒であってほしいと思いますね。
その思い出を噛み締めているうちに、やっぱりあの頃幸せだった頃に戻りたいと思ってくれないかな、僕はずっとそう思えるけど、君は違うのかな。
やり直せないのかな。と溢れんばかりに未練を抱えてしまいます。いつも。
さらにここの歌詞では、最初のサビで謳われた「時間が経てば忘れる、そう思って今日も引き摺ってる」というフレーズが、今度は「そう思っていても」に変わり再登場しています。
再登場するということは、"強調"です。
「僕」にとって、時間と共に「君」を忘れることなんて絶対にできない。
そういう意志の固さを感じます。
なんだかんだ僕もこれまでの恋愛で大切に思ってきた人達のことは忘れられてないですね。
散々嫌な思いをしましたが、それでも忘れられないです。
"時間が経ったり、また別の恋をすることで未練がなくなった"
というのが正しいかもしれません。
決して忘れることなんてできないのです。
それほど全て全力で愛していたからだと思います。

届いて欲しいこのラブソング
僕を知らない君とどうか
その日々の不可欠で在りたい
痛い 出会うまではジッと ギュッと
君にこの想いが届いて欲しい。
もし僕のことを知らない君にまた出会えたとしたら、今度はその日々に不可欠な存在でありたい。
そうあれるようにするから、どんなに時間がかかっても、どんなに辛くて痛くても、あの頃の君にまた出会えるのなら僕は耐えれるよ。
やはりこの楽曲はラブソングだということが分かりました。
「君」へ向けた懺悔とも受け取れるほど生々しい切なさを歌っているのです。
"どうか"は縋る時に出る言葉。
"痛い"は胸が苦しくなる様子。
どうか僕にその日々の不可欠でいさせて。
そうするためなら何だってする。
痛くても構わないから。

んーとても重たくて寂しい気持ちになってしまう。
過去のことをたくさん思い出しますね。
僕が愛したのだから、同じように愛していてよと縋ったあの夜のこと。
君のためなら何だってするから、どうか僕にもう一度チャンスをくださいと願いを込めたあの涙。
でも、「僕」はどんなに願ったってもう戻らないことを心のどこかで悟ってしまっている。
だからこんなラブソングを謳えるのだと思います。
まだ吹っ切れられていない。
諦められない。
悟ってしまっているからこそ、次の歌詞にその無情さが表れます。

でももはやこれは素晴らしい
そう信じなきゃ やっていけないな
全て繰り返しで出来てる
泣けてしまうけど、
悔しいけど、
君を思っていたい
でも。こんな苦しい気持ちですらもはや笑ってしまうほどに素晴らしいと信じていなきゃ、この先やっていけないわ。
吹っ切れているかのように聞こえますが、僕は同じように感じていたこともあり、この「僕」はきっとまだ吹っ切れていないのだと思います。
お恥ずかしながら、どれだけ愛しても報われる経験をしたことがないので。
なんていうか、この先やっていけないってよりかは、
こんなに愛されない自分、こんなに愛しているのに君だけに素直になれない自分は本当に笑えるほど惨めで呆れるばかり。
だからそんな自分をもはやこの世から消してください。
と僕には聞こえます。
だって結局全て繰り返すだけだし。
相手が変わってるだけで、僕も同じことを繰り返してるだけなので。
本当に無意味で残念な人生だと、もはや笑えてしまうほどに素晴らしいなと、持ち得る最大の皮肉を込めて自分にいつも言い聞かせています。
でも、時間が経っても、僕が消えようとも忘れることは決してない。
愛していた分本当に悔しくて悲しくて涙が出る。
やっぱり僕には、君が忘れられない。
君をいつまでも想っていたいし、君に愛されていたい。
君を愛すのは僕がいい。愛せるのは僕だけだよ。
同時に「悔しいけど君を思っていたい」という言葉からは、お互いを分かり合えない寂しい世界でも、誰かと人と関わって生きていかなければいけないというメッセージ性も感じますね。
人間の本質です。
君を知っている
最後にこの言葉で終わるのですが、実はこの楽曲には登場するべき、登場するはずだけど1度も登場していない言葉があります。
みなさんどんな言葉か分かりますか?
それは、タイトルになっている
「君を知らない」
です。
実は1度も「君を知らない」とは言ってないんですね。
本当は全てを知らない、一部しか知ることができなかったはずなのに、楽曲中終始「君を知っている」と嘘をついているのです。
「BABEL no TOH」で聴いた時、共感とともに抱いた違和感の正体はこれでした。
この楽曲の「僕」は、愛していた君のことを一部しか理解していなかったけど、それが結果失うことに繋がり、その事実が、自分にはとても悔しくて辛くて、最後の最後まで嘘をついてしまっている。
君を忘れられたら「あ一君のことなんも知らなかったな」と切りかえられるけど、どうしても忘れられないから「君のことを知っていたよ。僕は君の全てを理解しているんだよ。知っているよ。」
と強がってる。
この楽曲が持つエネルギーは、君を知らないという事実から目を背け、どこまでも強がるその姿勢から湧いている、あるいはそこに宿っている感情から成るものであると僕は思うのです。

実はこの楽曲について調べていくうちに、大森さんがまさにこのことについて語っていたということを知りました。
大森さん
「"君を知っている”というタイトルだと
違うんですよ。
誰しもが知った気にも
知られた気にもなってるし、
結局独りなんだけど、
誰かと繋がっているっていう感覚が
やっぱり欲しいし。
寂しさもあるけど、
でもそれが本当に生きていくって感情というか。
僕にもなんで"君を知らない”っていう
タイトルで"君を知っている”
で終わらせてるのかわかんないんですよ。」
やはり聡明で宇宙のように広がる思考をお持ちの方ですね。
そして大森さんはなにより複雑な感情を言語化する能力に長けている。
"孤独"と"1人で寂しい"は全然別物です。
何をしていても誰かと居ても、結局人は孤独さを抱えて、それを何かや誰かで紛らわして生きていかなければならない。
だからこそ、孤独が強ければ強い人ほど誰かとの繋がりを求める。
僕も孤独が強いタイプなので、誰に対してもお別れは意識したくない。
自分と同じ誰かがいれば、こんな寂しい時代でも生き抜くことができる気がするのです。
だから僕はnoteやThreadsを始めました。
その誰かに出会えるといいな。
最後までご覧いただきありがとうございました。
「君を知らない」は、
他人は自分の全てを知ることが出来ない、
自分は他人の全部を知ることは出来ない、
そして他人にとって、自分はただの一部に過ぎないことにもどかしさを感じる心情を思い出させてくれ。
美しいほどに我儘で、狂おしいほどの愛に溢れ、妬ましいほどの憎悪に飲み込まれた、狂気的なラブソングでした。
大森さんはこの楽曲に対して、
「色々な解釈ができる。」
「楽曲は自由でいい」
と仰っていました。
なので今回の解説では、敢えて僕という言葉が楽曲の中の僕なのか、それとも今記している藍という僕なのかをぼかしています。
何一つ隠すことのない、そして何一つ違うと思わない楽曲なので。
僕が抱く感情そのものの。
ありのままの楽曲との出会いでした。
奇跡は本当にあるのですね。
ミセスがいる時代に生まれてよかった。
実はまだ他にも反応せざるを得ない楽曲がいくつかあって!
もしご要望があればその楽曲についても残したいと考えていますので、ぜひコメントくださいませ。
さらにさらに。
僕が今の思ってしまうようになったきっかけにもなっている、過去の恋愛経験談を " 人生で初めて " 誰かに聞いてもらおうと思い、noteにて包み隠さずに記しています。
現在第4章まで投稿していますが、物語はまだまだ続きます。
ぜひそちらも読んでいただけると、僕の全ての投稿に深みが増すので、よろしくお願いいたします。
改めまして、最後までご覧いただきありがとうございました。
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⇩自己紹介⇩
⇩第1章 最大の傷シリーズ⇩
