上に向かって走る【大切なのは戦い方】
今の世の中で生きていくことは、それだけで十分に大変だと思う。
特別な夢を追っていなくても、毎日仕事に向かい、生活を回し、人間関係を保ちながら生きている。それ自体が、もう立派な努力だと思っている。
僕の周りにいる人たちも、みんな本当によく頑張っている。
会社で働いている人、起業に挑戦している人、家庭を持ち子育てに向き合っている人、家を買い、責任を背負って生きている人。それぞれが自分の人生を必死に生きている。
まずこの前提は、絶対に忘れてはいけないと思っている。
「自分だけが大変」なんてことはない。みんなそれぞれの場所で、それぞれの重さを抱えている。
ただ一方で、この世界は競争の世界でもあることを忘れてはいけない。
努力しているかどうかと、成果が出るかどうかは、必ずしもイコールではないし、全員が頑張っている世界の中で、もし他の人よりも抜きん出た成果を出したいと願うなら、どこかで差を生まなければならない。
その差は、努力量はもちろんだが、だけではなく、努力の「方向性」から生まれるものだと、僕は思っている。
よく頭の中でイメージするのは「山」だ。
大きな山が一つあったとして、その周りをぐるぐる走り続けるのも、間違いなく努力だ。毎日体力を使い、汗をかき、必死に走る。その途中では、同じように走っている人たちの姿が常に視界に入る。
周りに仲間が見えると、人は安心する。
「自分もちゃんとやれている」「みんなと同じくらい頑張っている」
この感覚は、精神的にはとても楽だ。
でも、山の周りを回り続けている限り、景色は大きく変わらない。
努力していないわけではない。でも、圧倒的な差も生まれにくい。
一方で、山を登るという選択肢がある。
上に向かって走る。足元はきつく、息も上がる。何より、登っていくにつれて、周りを走っていた人たちが徐々に見えなくなっていく。
これは、正直かなり苦しい。
「自分は正しい方向に進んでいるのか」
「ただ無謀なことをしているだけではないか」
そんな不安が、常に頭をよぎる。

人と比べることすらできなくなると、孤独を感じる。
誰にも評価されていないような感覚になる日もある。
それでも、山を登る理由があるとしたら、その先にしか見えない景色があるからだと思う。
雲の上に出たとき、これまでとはまったく違う世界が広がっているはずだ。
そこは決して「孤独」ではなく、「孤高」と呼べる場所なのかもしれない。
誰とも比べず、自分の足で、自分の選んだ道を登ってきたという事実が残る場所。
僕自身、今はまだ雲の下にいる。
正直に言えば、頂上は見えていない。先がどれだけ続くのかもわからないし、この登り方が本当に正解なのかも断言はできない。

それでも、僕は山を登ると決めている。
起業も、経営も、組織づくりも、楽な道ではない。でも、周りを回るだけでは辿り着けない場所に行きたいという気持ちは、年々強くなっている。
努力すること自体は、誰にでもできる。
でも「どこに向かって努力するのか」を選ぶのは、自分しかいない。
もし今、息が切れていたり、周りが見えなくなって不安を感じている人がいるなら、それはもしかすると、ちゃんと上に向かって走っている証拠なのかもしれない。
今日もまた一歩、上に向かって走ろうと思う。
雲の向こうの景色を信じて。
