人は理由さえあれば、驚くほど素直に動く
「これ、あとでやっといてね」
そう連絡したあと、数日後に「あ、忘れてました」と返されたときの、あの何とも言えないモヤモヤと絶望感。
「なんで言ったことができないのか」
「どうしてこんな簡単なことがすぐできないんだ」
昔の私は、そうやって相手のモチベーションや能力のせいにし、心の中でイライラを募らせていました。
しかし、あるとき心理学や脳科学の仕組みを知って、衝撃を受けたのです。
相手がサボっていたわけではなりません。
逆に原因はすべて、相手の脳を動かすためのクッション(理由)をサボっていた自分にあったのです。
人間は、決して合理的な生き物ではありません。私たちは誰もが、脳の深部になるべく考えたくない」という愛おしくも厄介な性質を抱えて生きているのです。
1. 一日に数万回もパンク寸前になる脳の省エネモード
そもそも、私たちの脳は非常に燃費の悪い臓器です。
体重のわずか2%しか占めないにもかかわらず、全身のエネルギーの約20%を食いつぶしています。
もし、日々の生活で目に入るすべての情報や、下すべき無数の決断に対して、毎回本当にそれは正しいのかと論理的に検証していたら、人間の脳は数時間でキャパシティオーバーを起こしてフリーズしてしまいます。
そのため、私たちの脳は進化の過程で、極力エネルギーを使わないためのショートカット(ヒューリスティック)をデフォルト機能として手に入れました。
深く考えない。疑わない。直感とパターンで処理する。
私たちが日々下している意思決定のほとんどは、この脳の省エネモードによって自動処理されています。
つまり、私たちは思っている以上に、自分の頭でちゃんとした思考をしていないのです。
2. 脳をハックする理由(Because)という名のマスターキー
この省エネモードで生きている私たちの脳は、ある特定の言葉を聞いた瞬間、思考のスイッチを完全にシャットダウンします。
それが「〜だから(Because)」という理由(形式)の提示です。
ふだん、人に何かをお願いするとき、私たちはついつい要件だけをシンプルに伝えがちです。
「この資料、確認しといて」
「このデータ、消しといて」
しかし、省エネモード全開の相手の脳にこの言葉が届くと、脳はこう判断します。
「なぜそれ今やらなきゃいけないの? めんどくさいから後回しでいっか」
一方で、そこにほんの一言、「〇〇という背景があるため」「明日会議で使うため」という理由を添えた瞬間、どうなるか。
脳は中身の正当性を厳密に吟味する余裕すらないまま、「あ、ちゃんとした理由があるんだな。じゃあOKだ」と、無意識のうちに納得し、思考のブレーキをスッと緩めてしまうのです。
私たちは論理的な中身に納得しているのではありません。
理由という形式(枠組み)が置かれたことそのものに安堵し、思考を放棄しているのです。
これが、人間の認知システムに潜む納得のエラーの正体です。
3. 相手が動いてくれないと嘆く前に、自分がサボっていなかったか
この人間のバグに気づいたとき、私は自分のこれまでの振る舞いを激しく恥ずかしく思いました。
私は、自分の頭の中にはこれを今やるべき必然性(理由)が完璧に分かっていたからこそ、それを省略して相手に投げていました。
しかし、受け取る側の相手からすれば、背景も文脈も分からないまま、ただ面倒なタスクを放り投げられただけの状態です。
相手は意図的にサボっていたわけではありません。
ただ、脳が動くためのスイッチを押すための燃料(理由)が与えられていなかっただけなのです。
それなのに、どうして動いてくれないんだと相手を責めていたのは、他でもない、文脈を説明することをサボっていた自分の方でした。
理由を添えることは、相手への優しさである
人間は、思っている以上に不完全な生き物です。
もし今、あなたが仕事やSNS、日常の人間関係で伝わらない、動いてくれないと悩んでいるのだとしたら。
それはあなたの言葉の価値が足りないからでも、相手の能力が低いからでもありません。
ただ、相手の脳がスッと納得するための翻訳(=なぜならというクッション)が、ほんの少し抜け落ちているだけなのです。
お願いやオファーの言葉に、ほんの一言、理由を添えること。
それは決して、相手を思い通りにコントロールするための小手先のテクニックではありません。
省エネモードで必死に生きている相手の脳に負担をかけないための、最低限の優しさであり、コミュニケーションの補助線なのだと思います。
明日、誰かに何かをお願いするときに要件の前に、ほんの一言、背景という名の体温を添えてみませんか?
それだけで、あなたのお願いは相手に届くはずです。
