ラジオに夢中で、万引きを見逃した午後
あれはもう30年くらい前。
大学1年、夏休み前。
駅の構内にある、小さな個人経営の書店でアルバイトを始めた。
営業時間中はずっとラジオが流れていた。
朝晩は通勤通学の客でとにかく忙しくて、ラジオを聴く余裕なんてなかった。
だけど日曜の午後だけは、のんびり店番ができた。
ラジオを聴きながらのレジ番は、ちょっとしたご褒美だった。
ある日曜の午後。
ラジオから、今も大好きな少年隊の新曲「FUNKY FLUSHIN'」(山下達郎さんのカバー)が流れてきた。
ノリノリで、つい聴き入ってしまった。
曲が終わり、我に返った瞬間。
視線の先、レジから真っ直ぐ奥の漫画コミック棚が、ぽっかり空いていた。
心臓が跳ねた。
(しまった。やられた!)
レジを飛び出し、棚の前に立つ。
やっぱり、ない。
当時、少年ジャンプで人気連載中だった「ろくでなしブルース」の既刊9冊。
いわゆるヤンキーの話。
(犯人は絶対ヤンキーだ)
頭の中でレジが鳴る。
ちょうど値段改定のタイミングで、1〜8巻(各370円)と9巻(390円)、合計3,350円。
(時給550円、6時間分。今日のバイト代、丸ごと消えた…)
さっきまでの幸せの絶頂から、わずか数分でどん底へ。
本棚の前に、つい座り込んでしまった。
数分前の自分に教えてあげたい。
ラジオに夢中になりすぎるな、と。
「もう店長に連絡するしかないか」
そう覚悟を決めて立ち上がったとき。
「すいません。レジお願いします」
「はい」
冷静を装いながら、レジに戻る。
カウンターに積まれていたのは、漫画コミック9冊。
さっき空になった、あの棚の本だった。
「これ…」
持ってきたのは、ヤンキーとは真逆の、真面目そうな青年だった。
「夏休みに一気読みしたくて。今出てる分が全部そろってるの、ここだけだったんで、思い切って買っちゃいます」
青年が通った通路と、私が駆けつけた通路。
ただ、別ルートを通っただけだった。
万引きなんて、はじめから起きていなかった。
「3,350円です」
レジを打つより早く、値段が口から出た。
「はやい!」
「ありがとうございました」
この人は漫画に夢中で、私はラジオに夢中だった。
同じ時間に、お互い違うものに夢中になっていただけ。
今でもラジオを聴くと、あの日のことを思い出す。
今となっては、笑い話だ。
そしてあのときラジオから流れてきたあの曲は、いまでもずっと私の大好きな曲のままだ。

