友人が出るミュージカルの観劇と私が自分を大切にする時間
先日の私は久しぶりに活発に動いたので、その話を残しておこうと思う。
アテネで携帯が盗まれるとか、4年間やってきたコーチングを手放して占いの世界に踏み出すとか。今年はちょっと大変な年だったというのは、先日のnoteでも振り返ったところだった。
今年は向き合う内面のテーマが、特に絶えなかった。それに集中するためなのか、ここしばらくの私は、生活に必要なこと以外は、安心安全な家に引きこもって過ごしていた。
その私からコンフォートゾーンを一歩出てみて、自分との時間を大切に味わった日の話。こういう時間は、「私が私のことを幸せにできる」ことを思い出せてとてもいい。
この日の私はまず、私の大好きなお店でランチを食べることにしていた。……と言いながら、実はこの日は家を出るまで、本当に私は出かけるのだろうか?と、ギリギリまで気持ちの乗らなさを感じていた。というか、家を出てからもモヤモヤがあった。
それはなぜかといえば、この日のメインイベントが関係している。私にとって、快適な世界のあまりにも外で、不安になっていたのだと思う。
移動をしながら、電車のなかで、そうやってモヤモヤを言葉にしていた。大好きなお店に着いて食べた麺は、やっぱりこの日も美味しいけれど、誰かと来て「美味しいね」と言いながら食べることには及ばないことも理解するなどした。

ところで最近の私は、あまり家から出ないので、ドイツチケット(ドイツ全土の鈍行が乗り放題のチケット)を買わなくなった。この数か月は回数券を買って、必要な分だけ消費することにしている。
この日もそれで移動をし、1回分のチケットで移動できるのは2時間まで。家を出てから麺を食べ、今日の目的地に着くまでを2時間でいきたい。チラチラ時計を気にしながら食べて、移動の仕方を考えながら、けれど十分に余裕をもって、目的地の近くへ着いた。
今日のメインイベントは、ミュージカルの観劇。このミュージカルに友人が出るということは、今年の夏頃に聞いていた。そこからしばらく、気になりながらも特に詳細を聞いてもいなかったけれど、つい数日前、インスタでタグ付けされた投稿が流れてきた。

開催される日程のうちのいくつかは、ちょうど私が休みの日。それも、ホリデー直前の金曜日、午後に開催される枠があった。ここに出かけることに恐れのあった私は、少しでも空いていそうな枠で行こうと、この日程でチケットを買った。
何が恐れかと言えば、今回は英語で開催されるミュージカルで、私にとってはドイツ語よりも苦手な英語。英語話者である恋人と一緒に行けたらよかったけれど、恋人はここのところ忙しい。一声かけてみたけれど、乗り気ではなさそうだったので、ひとりで行くことにした。これも心には決めたけれど数日悩み、やっと開催の前日にチケットを買ったのだった。
そうして当日。途中で思いつき、ドイツの文化も確認をしてから、バラを一本買って持って行った。
というのはたとえば、第1アドベントに行ったコンサートのこと。コンサートの最後に、出演者には大きなバラが1本ずつ手渡されていた。
私の人生で自分に花を買うことは少ないけれど、たとえばいまの恋人から、バラを1本もらったことがある。いまのところ2回。それぞれとっても思い出深く、たくさんの愛を受け取ったと感じた。
その時の私はとても幸せな気持ちになれたし、今回ミュージカルに立つ友人にも、幸せな気持ちを渡したいと思った。ランチからの移動途中に花屋に立ち寄って、黄色いバラの花を1本買う。大切に持って歩いた。

最近の私が学んだことの1つとして、私たちが人に何かをするとき、「相手の反応に自分の感情を決めさせる」のではなく、「相手を思ってした動作に湧く愛を感じればそれで良い」のだということがある。
この時の私も、最終的に無事に花を手渡せてよかったという安心感だけでなく、「私はこの花を買うという行為で友人への愛を再確認できた」ことにとても満足した。私が自分の感情に自由で、いつでも人生に感動できるということを、また1つ体感として知れた体験になった。
この機会をくれた友人に、最大の感謝を。ミュージカルで友人という大切な存在の誰かに花を手渡せるなんて、それもこのベルリンで初めて体験できるだなんて。私の人生に、こんな幸せなことがあったのだなと、初めて出会った瞬間でもあった。

それと、もう1つ。この日の席はテーブル席で自由席だったのだけど、演者と友人であろう若者が集まっていただけでなく、おじいちゃんおばあちゃんの集団がいたことにも夢をもらった。
私は今日こうして恐る恐るきたけれど、将来の私には、友人たちとテーブルを囲んで観劇する未来もあるのかもと。そんな時間の過ごし方、大切な人との付き合い方をしていたいと思った。
言葉の問題もあって、いまはすっかり恋人と出かけるのがコンフォートゾーン。けれど、30年後40年後には、それくらいに現実が大きく変わっているかも知れない。とっても楽しみになった。
そして、この日の観客であるみんなが、思い思いの形で愛を贈っていたことにも感動した。目の前で演じている役者に対して、それぞれにこうして声や拍手でリアクションをとり、愛を送るのだなと思った。
「観劇」というもの自体が、私の人生では、たぶん大学卒業直前の宝塚の観劇以来だったから。10年以上も前のこと。あれも大切な体験として覚えているけれど、まったく違う国での今回の体験も、とってもよかった。

さて、観劇が終わり、劇場を出たあと。そのまままっすぐ帰るつもりだったけれど、予定を変更して、クリスマスマーケットへ行ってみることにした。
まずは近くのところを探して、20分ほど徒歩で。過去にはこのあたりに住んでいたのに、なぜ来なかったのだろう?と思う私に出会う。けれど人は、完璧な時に場や機会へ導かれるから、過去を悔やむ必要はない。ただイマココだけ味わえばいいのだと思う私もいる。
行ってみると人があまりにも多かったので、入り口から出口へ一直線に、歩いて見て楽しんだだけで出ることにした。せっかく冬のベルリンを20分も歩いたけれど、だからと言って悔しがったり元を取ろうとしたりする必要もなく、ただ「行けてよかった」の感情を選択することも、私には自由に許されていることを知っているから。
途中で通った道では、いまの恋人との大切な思い出の場所を見れた。そのおかげで当時の彼への深い愛が湧いたから、それだけでいいのだ。十分なことだ。

そうしてササっと、次のクリスマスマーケットへ向かう。今日の最後の目的地としての、私の大好きなクリスマスの仮設遊園地。
トラムを降りて、入り口へ向かうと、日本人の知り合いがキーボードを演奏していた。暗いなかで確信はなかったけれど、きっとそうだ!と道を引き返し、声をかけてみた。
時間はあまり長くはなかったけれど、久しぶりに会えて声を掛け合えたことと、「大切である」という思いを込めてお金を置けたことがまた、私には意味のあることだった。

何を買うでもなく、乗り物に乗ることもなく、ただただ写真と動画を撮って歩いた。道はぐるっと一本だけ。半分を過ぎたあたりでお店を撮っていると、アジア系の人に話しかけられた。
昔から旅行中に、中国系の方に中国語で話しかけられることが何度かあった。ベルリンに住むようになってからは、ベトナム系の方にベトナム語で話しかけられる。海外にいると、案外お互いに、何人かの区別は難しいものである。
日本にいる時には、ベトナムの人たちのイメージはあまりわからなかったけれど(いまもさして詳しくはないけれど)、ベルリンに暮らすようになると、案外たくさんのベトナム系の方が外の国で暮らされているのだなと知るようになった。今回の方たちは、ベルリンとロンドンに暮らしている方らしかった。
少しだけ言葉を交わして別れた。それぞれにドイツ語と英語で、たわいもないことを。けれどそれだけで、誰かとつながれたという感覚を得ることができた時間となり、大切な体験となった。最初は警戒したけれど、話しかけてくれてありがとう。

こうして過ごした1日は、私が私と過ごす時間として、とっても大切な日になった。私はやっぱり私を幸せにできると、また実感した時間でもあった。
恋人と関係を始める前の私は、自分が自分を幸せにできている実感があって、だからもう何の心配もなくひとりで生きていけると思った。そこで恋人が急にできて、少しずつふたりの時間へと比重が移っていたけれど、やっぱり自分との時間も定期的に持ちたいと思う。
私が私を街へ連れ出し、私が満足する体験をする。何も特別なことはせずとも、ベルリンを歩くだけで、私は20年も憧れた国に住んでいるのだと、そのありがたさを思い出せるけれど。でもっぱり、私が私の手のうちにある力を思い出すために。何か特別なことを、定期的に自分とやっていきたいと思った日だった。
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