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んだ、夫婦ん廻し

「ってことで、『ん』で二周目お願いします。」

むう。
うっかりマイキーさんのnoteにコメントしたら、見事に返り討ちにあってしまった。僕のところに回ってきたお題は、まさかの「ん」である。

いや、今noteで開催されている、マイキーさん主催の「#エッセイしりとり」コンテスト2026夏の陣のバトンの話である。

普通のしりとりなら、ここで「はい、負け!」と終了である。ところが今回は、その「ん」からエッセイを一本書き上げなくてはいけない。なんという無茶振りか。

そんなわけで僕は、リビングに持ってきたノートパソコンの前で腕を組んで唸っていた。
「ん」から始まる言葉か……。

ンジャメナ、ンゴロンゴロ、ンブシー。
とりあえず画面に三つ並べてみたものの、チャド共和国からタンザニアを経由して沖縄まで一気に飛んだだけで、エッセイは一行も進んでいない。

しりとりの敗北を回避するためだけに、僕の視野は一瞬にして地球規模に広がった。世界は果てしなく広い。そして僕の引き出しは絶望的に浅い。

ンゴロンゴロについて、一体何を語ればいいというのか。

仕方がないので、僕は「ん」の付く言葉を集めはじめた。しりとりの頭が無理なら、せめて「ん」まみれの文章でも書いてやろう。方向性としてはもう半分やけっぱちである。

そこへ、妻のトラ子さんがやってきた。手芸の道具をガサゴソと取り出しながら、僕の背中越しに声をかけてくる。

「何してるの?」

「いやね、しりとりエッセイで、『ん』が来ちゃったんだよ。どうしようかと思って」

トラ子さんは布を机に置きながら、しれっと言った。

「んだのか」

僕は思わずキーボードから手を離した。

「……何?」

「んだのかって。」

「いや、今ものすごく真剣に相談してるんだけど」

「んだすか」

なんで急に秋田なの。

トラ子さんは、秋田弁のバイリンガルである。といっても、普段から秋田弁で日常会話をしているわけではない。僕と一緒に何度も秋田へ行き、仕事関係者と会話をしているうちに、簡単な言葉くらいなら少し喋れるようになった。

でも、家で使ったことはない。横浜の我が家で「んだ」が必要になることなどなかったのである。それが、なぜ今日に限って、なぜ秋田弁の引き出しを全開にしているのか。

「だからさ、『ん』から始まる題材を探してるんだって」

「んだすなぁ」

「そうじゃなくて」

「んだか?」

「なんでふざけてんの?」

「んだねぇ」

会話が一向に前へ進まない。
トラ子さんはなぜかずっと秋田の方言で返してくる。相槌だけで、僕の相談を封じている。

ここで僕も本格的にイラッときてしまった。

「さっきから『ん』ばっかりじゃないか!」

すると、トラ子さんは布の端を揃えながら言った。

「だからだよ」

「何が?」

「ん廻し」

「……何それ」

聞けば、「ん廻し」という落語があるらしい。
田楽には味噌がつく。「味噌をつける」といえば失敗することの例えで縁起が悪い。

そこで、運をつける。
運。うん。ん。

「ん」の入った言葉を言い、その数だけ田楽を食べるのだ。「れんこん」なら二本。ずいぶん強引である。江戸の人は、暇なのか、粋なのか。なんとも楽しそうである。

トラ子さんは、僕が「『ん』で困った」と言った瞬間から、わざと方言で遊び始めていたわけである。困っている夫に答えを教えず、横で遊びを始める。トラ子さんはときどき、救助より祭りを優先する。

そうかい、そういう愛情表現か。

それではここから一席。
「夫婦ん廻し」の始まりである。

「じゃあ、やってみよう」
「田楽ないけどね」
「そこは気分で」

最初は素朴に始まった。

「にんじん」
「れんこん」
「みかん」
「あんぱん」
「しんぶんし」

序盤は平和だった。
八百屋とパン屋の店先をうろついている程度である。

ところが、こういう遊びは勝敗が見え始めると人間性が出る。

「半纏。玄関。勘弁。南瓜。」

「んだね」

僕の口から「ん」が連射される。

「新幹線!」
「アンパンマン!」

どうだ!

「んだのかぁ」

僕はついに、日本の大動脈である交通機関と、国民的ヒーローまで動員した。もはや国を挙げての総力戦である。

しかし、トラ子さんは強かった。語彙が多いからではない。秋田弁には、最初から「ん」が標準装備されているのである。

こちらが「新幹線」だの「アンパンマン」だの、大物を一人ずつスカウトしている横で、「んだ」と返事をするだけで一点が入る。労働量が違いすぎる。

「まんず、甘いな。こっちはきりたんぽさじゅんさいのどんぶりで──」

「待て、名産品と方言のコンボはずるいだろ! こっちは新幹線でロンドン行って、カンガルーとフラメンコ踊るぞ!」

何の話だ。

「ん」を増やすためなら、地理も生態系も文化圏も、すでにどうでもよくなっていた。

くそっ、全然勝てない。

ここで僕は、禁じ手に手を出すことにした。
AIである。

夫婦二人の言葉遊びに、人類が二十一世紀まで積み上げてきた技術を投入する必要など、もちろんない。だが、人は負けそうになると文明を持ち出す。

僕がキーボードに手を伸ばすと、トラ子さんは糸をつまんだまま、こちらを見た。

「やめとけば?」

この人は、ときどき未来を知っていることがある。

僕はチャット欄に打ち込んだ。

「『ん』がたくさん入る言葉、出せる?」

「できます」

AIが即答した。さあ、人類の英知を見せてみろ。

僕がエンターキーをターンッ!と押した瞬間、画面がものすごい勢いで文字に埋め尽くされた。

「先年、神泉苑の門前の薬店、玄関番……」

ちょっと待て。スクロールが止まらない。
画面の奥から「ん」が這い寄ってくる。

「待って待って待って」

AIは止まらない。

「金看板、銀看板、万金丹、反魂丹……」

「ん」が出るわ出るわ。
さっきまで一個の「ん」を拾って喜んでいた僕の立場がない。
道端で十円玉を拾っていたら、隣に造幣局が建ったような気分である。

僕の「アンパンマン」が、一瞬で霞んだ。向こうは神泉苑から薬屋を一軒、玄関番ごと連れてきた。

「『ん廻し』では有名なくだりです」

と、AIは涼しい顔で言う。顔はないけど。

「こっちはアンパンマンで喜んでたのに!」

僕がAI相手に本気で悔しがっていると、トラ子さんが画面をのぞいた。

「もう勝負にならないね」

トラ子さんが呆れたように笑う。

「AIを呼んだの誰だよ」

「自分じゃん」

返す言葉がない。
最強の刺客を招き入れたのは、紛れもなく僕自身である。

「ほかにもありますよ。蓮如上人が御建立、八棟造りの総本陣、本玄関の玄関番……」

「もういい。田楽屋が倒産する」

気がつけば、ずいぶん時間が経っていた。

「……ところで、エッセイどうしよう」

「何の?」

「『ん』から始まるエッセイ」

トラ子さんは、少し間を置いてから言った。

「今の書けば?」

「……これ?」

「んだよ」

秋田弁から始まり、田楽を食べた気になり、新幹線でロンドンへ行き、最後にはAIに連れられて神泉苑まで来てしまった。

「ん」だけで、ずいぶん遠くまで廻ったものだ。それに、エッセイ一本分くらいは、もう十分に遊んでいる。

そこで僕は、最初の根本的な問題を思い出した。

「でもさ」

「何?」

「しりとりなんだから『ん』から始まらないと意味ないじゃん」

トラ子さんは手芸の手を止め、少し考えてからこう言った。

「んだすね」

 
  
相生エッセイ



今回のエッセイは、マイキーさん主催の企画「#エッセイしりとり 2026夏の陣」のバトンを受け取って書いたものです。僕がこの企画に参加するのは、今回で二度目になります。

▽「#エッセイしりとり」コンテスト2026夏の陣

そして、この楽しい企画を開いてくださった主催者のマイキーさん、審査員のまきさん、諏訪貴信さん、天界記録さん、コハクシスさん、ありがとうございます。

 
▽ 今回のバトンを回していただいたコメント

 
本来なら、書き終えた人が次の人へバトンをつないでいくのですが、締め切りは今月末。そろそろ残り時間も少なくなってきました。

このタイミングでどなたかを指名してしまうと、受け取った方に「急いで書かなきゃ」とプレッシャーをかけてしまいそうなので、二周目となる僕のバトンは、いったんここに置いておこうと思います。

もし「まだ間に合うならやってみたい!」という方がいたら、ぜひコメントで声をかけてください。

そのときは、喜んでバトンをお渡しします。



 

▽ note創作大賞2026に応募したエッセイ作品はこちらに収録しています。ぜひ読んでみてください。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました😌

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他にも、創作大賞にも応募している 日々の何気ない瞬間を切り取ったエッセイを綴っています。よかったら覗いてみてください。

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