フリック!フリック!
電器屋で僕は、親指二本に負けた。
その日は買いたいものがあったのだが、どうにも目当ての商品が見つからない。広い売り場をうろうろした挙げ句、さっきから同じ炊飯器の前を三回通っていることに気づき、これはもう自力捜索を打ち切ったほうがいいと判断した。
結局、通りかかった若い店員さんに声をかけた。すると彼は、実にさわやかに「あ、在庫確認しますね」と言って、ポケットからすっとスマホを取り出した。
最近の電器屋さんは便利なもので、店員さんがその場で端末を操作すると、在庫やら売り場やらがすぐにわかる。昔なら「少々お待ちください」と言い残して店員さんが売り場の向こうへ消え、こちらは大型テレビでも眺めながら帰還を待ったものだが、今は全部その場で済む。
でも、僕が驚いたのはそこではない。店員さんはスマホを両手で持つと、左右の親指を動かし始めた。
右、左、右、下、左。
速い。速すぎる。
彼の親指二本が猛スピードで画面を滑る。いや、滑るという生やさしいものではない。親指が残像を残していた。
親指ピアノと呼ばれる「カリンバ」という楽器があるが、まさにそれだ。音のしないカリンバを恐ろしい速さで弾き、そのたび文字が次々と現れていく。そのうち摩擦で画面から煙でも出るんじゃないかと思った。
「在庫ありますね」
検索結果が出る前に、僕はもうその神業みたいな入力速度に完全に目を奪われていた。思わず見惚れてしまうほどのスピード。
「最近の若い人はフリック入力が速いなあ」なんて悠長な感心じゃない。
……いや待てよ。
今の、僕より速いんじゃないか?
僕は普段、文章を書く仕事をしている。在宅ワーカーで趣味もPCの中だ。ほぼ起きている間中キーボードを触っているといってもいい。だからキーボードに関してはそれなりのこだわりもあるし、文字入力にはそこそこ自信がある。
noteを書く時も、仕事の文章も、Notionのメモも、なんならLINEの返信でさえ、基本的にPCの物理キーボードを使っている。
それなのに。
電器屋の若い店員の親指二本に、完全に敗北した気がした。
こちらは両手で八本くらいの指を総動員してカチャカチャカチャッと打つ。親指はスペースキー担当なので若干ヒマそうだが、組織としてはなかなか優秀である。ところが店員さんは親指二名である。
八名の熟練スタッフを揃えた我が社のタイピング部署が、親指二名の新進気鋭ベンチャーに生産性で完敗したようなものである。社長である僕としては、この圧倒的な生産性の差を前に、しばらくショックで買い物の目的すら忘れそうになった。
そういえば以前から、フリック入力は慣れるとかなり速いとは聞いていた。あの二本の親指を僕も使いこなせるようになれば、僕の執筆スピードも神の領域に達するのではないか。
実をいうと、僕はこれまで何度もフリック入力に挑戦し、そのたびに挫折を繰り返してきた。
僕がそれほどまでにスマホの入力に苦戦している理由は、わかっている。「ガラケーの記憶」だ。
僕の親指には、「文字は押して打つもの」というガラケー時代の強固な思想が、ほとんど身体記憶として刻み込まれている。「お」を出したければ、「あ」のボタンを五回連打する。うっかり六回押してしまって「あ」に戻り、絶望しながらもう一周する。
ワープロから始まり、PCキーボードへと進化した僕の文字入力の歴史は、なぜか携帯電話の領域に入った途端、「ケータイ打ち」のところで進化をやめてしまい、そこから一歩も進んでいないのだ。
スマホになっても、僕は必死に「あ」を五回ポチポチポチポチと叩いて「お」を出している。一方、フリックは「押す」のではなく「払う」のだ。ここに圧倒的な文化の違いがある。払うって、人間関係に置き換えると、なかなか怖い。
そもそも、フリック入力というのは文字を書くというより、小さな交通整理みたいにも見える。「あ」を中心に、「い・う・え・お」が四方に待機している。
「はい、『い』がきました~。左へどうぞ~。次は『お』です、下へどうぞ~」みたいに振り分けていく。
今まで二回押してたのを左に払う。三回押してたものは上に払う。理屈ではわかるのだけど、指がついてこない。身体が、昔の方法を覚えすぎているのだ。
「こ」を打とうとすると、頭では「下へフリックしろ」と命令しているのに、親指は律儀に「か」を五回押そうとする。
僕の脳内で、こんな会話が繰り広げられる。
脳「今日からフリックで行くぞ。え、だから右だ!」
親指「承知しました」
数秒後。
親指「……で、何回押せばいいんでしたっけ?」
脳「ちがう!払うんだ!」
親指「あ、はい。……ポチポチポチポチポチ」
こんな脳内コントを一文字ごとにやっている。そりゃ文章も進まない。
だとすれば、音声入力ならどうだろう。よく「キーボード入力だと思考の速度に追いつかないから、音声入力がいい」という話も聞くので、僕も試したことがある。
試して、あっさりと諦めた。時々はやるのだけど僕には合ってないとわかった。というのも、僕は喋るのが絶望的に苦手なのである。
頭の中で文章はちゃんと流れている言葉を、キーボードの上ならスラスラと出力できるのに、マイクを向けた途端、「えー……今日、電器屋に……いや、電器屋さんに……まあ、その……」と言葉が詰まる。思考に入力が追いつかないどころか、マイクを向けた瞬間に思考のほうが逃げていく。
僕の場合はどうやら、僕のささやかな思考速度が、キーボードの処理能力内にきれいに収まっているらしい。なんとも身の丈に合った話である。
ちなみに、道具を変えれば解決するのではないかとも考えた。ATOKをはじめ、いくつかのキーボードアプリも試した。花びらのように文字が広がる入力方式にはガジェット好きの血が騒いだが、結局、僕にはGboardがいちばん馴染んだ。
つまり今回は、アプリの問題ではない。あれこれ試してみた結果、最後まで残った「どうしても交換不能なポンコツ部品」が、他ならぬ僕自身だったというわけだ。
そんな僕だったが、電器屋を出てからも、あの二本の親指が妙に頭から離れなかった。
翌日も思い出した。
その次の日も思い出した。
スマホで何か入力するたびに思い出した。
買った商品のことより、店員さんの親指のほうが記憶に残っている。
やはり、フリック入力を習得したい。
あの入力速度を手に入れれば、PCがなくても、思いついた瞬間に文章が書ける。外出先でも書ける。布団の中でも書ける。スマホ一つで文章がスラスラと書ける。ひょっとすると執筆速度が倍になるかもしれない。最強の武器を手に入れる未来はすぐそこにあるのだ。
考えてみれば、僕があの店員さんを見て羨ましかったのは、親指の技術そのものではなかったのかもしれない。
欲しかったのは、時間だ。
思いついた言葉を、逃げる前に捕まえられる数秒。
アイデアというのは案外薄情なもので、「ちょっと待って、いま入力してるから」と頼んでも待っていてくれない。とくに「これはいいぞ」と思った比喩ほど、こちらがモタモタしている間にさっさと帰ってしまう。
そんなわけで、今日、僕はついに決断した。
もう逃げない。退路を断つ。
スマホの設定画面を開き、キーボード設定を「フリックのみ」に変更したのだ。
もう連打しても文字は変わらない。
さらば、ケータイ打ち。
長い付き合いだった。
ガラケーを握りしめ、親指でポチポチとメールを打っていた頃の僕が、遠くでこちらを見ている気がする。
「本当に行くのか」
行く。
「戻ってきてもいいんだぞ」
いや、行く。
今日から僕の親指にも、無理やり2026年を生きてもらう。文明開化の音がするはずだ。
とはいえ、設定を変えただけではうまくならない。調べてみても、結局のところ「練習あるのみ」という、身も蓋もない結論しか出てこない。
ならば練習するしかない。
そこで僕は、近くにいた妻のトラ子さんに声をかけた。
「ねえ、LINEで何か聞いて」
「なんで?」
「フリックの練習したいんだよ」
「一人ですればいいじゃん」
正論である。
しかし僕としては、一人で「こんにちは」とか「今日はいい天気ですね」とか入力しても、どうにも気分が乗らない。誰にも送らない文章を必死に打っていると、急に自分が何をしているのかわからなくなる。
「実戦じゃないと燃えないんだよ」
「んもう、はい送ったよ」
すぐに僕のスマホが鳴った。トラ子さんからLINEである。
『明日のご飯は何がいい?』
来た。実戦だ。
僕はスマホを両手で構えた。
「えーと……『か』『れ』『ー』」
か。
……れ。
れは、どっちだ。
「まだ?」
「待って。いま『れ』が行方不明なんだよ」
「カレーって三文字でしょ」
「なんで先に言うんだよ」
こちらはいま、ガラケー時代から続く数十年の身体記憶と戦っているのである。
そんな調子で何度かLINEを往復した。なるほど。実戦練習は悪くない。少しずつ前進している気もする。今後は何か思いつくたびに、なるべくスマホでメモすることにしよう。もちろんフリックのみである。
今日も、ふとエッセイに使えそうなネタを思いついた。これはおもしろくなりそうだ。さっそく、このアイデアを忘れないうちにスマホで書いてしまおう。
……。
全然、進まない。
一文を苦労して打っているあいだにも、頭の中を走っていた言葉が次々と先へ行ってしまう。あ、いま何を書こうとしてたんだっけ?
待って。
その比喩。
戻ってきて。
頭の中では文章が高速道路を飛ばしているのに、指先にある親指料金所だけが一文字ずつしか通してくれない。後ろでは言葉が長蛇の列を作っている。
僕の文章は、親指で渋滞するのだ。
設定を戻したい。元の「ケータイ打ち」にものすごく戻したい。さっきから指が勝手に、画面を連打しようとピクピクしている。
その間にも、せっかく思いついたおもしろい言い回しが、ポロポロと指の隙間からこぼれ落ちて逃げていく。
ああ、僕の輝かしい未来の執筆ライフはどこへ行ったのか。
便利になるために、しばらくは猛烈に不便な日々を過ごさなければならないらしい。
——ちなみに、この原稿はPCで書いている。
相生エッセイ
▽ note創作大賞2026に応募したエッセイ作品はこちらに収録しています。ぜひ読んでみてください。

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