試し書きのボールペン
文房具屋さんが好きだ。
見かけると、買うものがなくてもフラフラと吸い込まれてしまう。
とくに万年筆売り場なんか最高だ。ガラスケースの前に張り付いて、高級時計でも見るようなうっとりした顔で眺め続ける。黒光りする軸の色に感心し、ペン先の繊細な細工にほわほわクラクラする。
で、店員さんが「何かお探しですか」と静かに近づいてくる気配を背中に察知したあたりで、ススッと身をかわす。そのまま迷いなくボールペンコーナーへ直行し、百五十円の替え芯を一本だけ持って、何食わぬ顔でレジへ向かう。
そう、僕の文房具愛は、だいたい百五十円以内に収まっている。まあ、それでも楽しいのだからいい。
そんな僕が、商品より長く観察してしまうものがある。ボールペン売り場に置かれた、あの「試し書きの紙」だ。
あれはもう、一枚の壮大なドキュメンタリーと言ってもいい。
なにせ、いろんな人がいろんな思いで、謎の痕跡を残していくのだから。
たとえば、小さな丸を几帳面に並べた人がいる。くるくる、くるくる。ペン先の滑りを確認しているのだろう。一方、紙の真ん中に台風の衛星写真みたいな渦を残した人もいる。こちらはインクではなく、何か別のものを出しに来ている気がする。仕事帰りだろうか。大丈夫だろうか。
やたら長い直線もある。紙の端から端まで、すーっと一本。定規も使わず、なかなか見事である。インクが途切れないか確かめたかったのかもしれないし、単に売り場へ地平線を引きたかったのかもしれない。
思わずうなるような上手すぎるイラストを描く人もいる。試し書きのはずが、いつの間にか個展が始まっている。
かと思えば、「大丈夫」とだけ書かれた謎のメッセージもある。誰が誰に言っているのか。自分自身への励ましなのか、試験を控えた友人に向けたのか。それとも、インクがちゃんと出たボールペンへのねぎらいの言葉なのか。
試し書きの紙には、一行にも満たないエッセイが並んでいる。
そして、僕が一番好きなのは名前を書いて、慌ててガシガシ消した跡だ。書いてから三秒後くらいに「あ、ここ公共の紙じゃん!」と気づいたのだろう。黒い線で何度も何度も塗りつぶされている。でも、うっすら下の字が見えているのだ。個人情報保護への対応が、少しだけ遅い。
僕はその黒い塊を見るたびに、「どうして書く前に気づかないかなあ、フフフ」と、好き勝手に人物像を想像して楽しんでいるのだ。
ところで、試し書きの世界には「王様」みたいな文字がある。
「永」だ。
紙のあちこちに、この「永」の字が書き殴られている。
書道には「永字八法」というものがあり、「永」の一字には、楷書の基本とされる八つの筆づかいが含まれているという。線の太さやインクの流れを確かめるには、理にかなった一字なのだろう。きっと文房具好きが、覆面調査員のような鋭い目でペンを審査しているのだ。
けれど、僕はその字を見ると、もう一つの意味が気になる。
永遠の「永」。
試し書きの紙は、いっぱいになれば剥がされる。いつ新しい紙に替わってもおかしくない。そんな紙に、誰かが「永」と一文字だけ書いて帰った。それは、たぶん一番短いエッセイだ。
そういえば、この夏、僕もずっと試し書きをしていた。
八月十二日から三十一日まで、二十日間にわたって開催されている「エッセイしりとり」だ。
主催のマイキーさんは、企画の始まりにこう呼びかけていた。
「9月1日から、須川さん企画の『文藝大賞2026』が始まるので、その前の準備運動くらいの軽い気持ちで楽しみましょう!」
なるほど、準備運動。軽い気持ちで。
その言葉を信じて、僕も気軽な気持ちでペンを取った。
ところが渡される文字が、なかなか難題だった。
「ろ」「ん」「論」「円」「な」「る」「貞」「~」。
僕はボートを漕いで、落語を始めて、地下駐車場で散って、四つん這いで青春を探した。そして、河村隆一様を見上げ、貞子を頭の中へ住まわせ、「~」と「。」に気持ちまでしゃべらせた。
五十音表の「あ・か・さ・た・な」あたりには明るい商店街があるのに、僕が何度も降ろされたのは、ま行を過ぎた先の山間の無人駅だった。
準備運動にしては、ずいぶん遠くまで走ってしまった。気がつけば、息を切らし、汗だくになって、全力疾走していたのである。
でも、不思議な体験だった。
一人で好きな文字から書いていたら、僕はたぶん、ここまで来なかった。「ん」から始めろと言われたって、普通は書かない。
「論」を渡されて、えー、論? と天井を見る。自分では選ばない一文字を受け取るたびに、頭の中の引き出しを下から順にガタガタ開けた。ない。ここにもない。あ、こんなところに妙な記憶が入っていた。
そうして、普段なら通り過ぎる景色へ何度も連れていかれた。
しかも、同じ文字を渡されても、誰一人として同じところへ向かわない。丸を書く人がいて、直線を引く人がいて、「永」を書く人がいて、やたら上手な絵を残す人がいる。五百を超える作品が並んだのに、同じ線が一本もない。
ああ、そうか。
エッセイしりとりは、大きな試し書きの紙だったのだ。
試し書きの紙は、一人で全部埋めてもちっとも面白くない。
几帳面な丸があり、激しい波線があり、達筆な「永」があり、焦って消した名前があり、謎のメッセージがある。知らない誰かの線が隣り合っているからこそ、いつまでも眺めていられる。
その途方もなく大きな紙を広げて、一番最初のペンを置いてくれたのが、マイキーさんだった。
その紙に並んだ、僕らが書き残した線の一本一本を、まきさん、諏訪貴信さん、天界記録さん、コハクシスさん、匿名さんという特別審査員長の皆さんが、それぞれの視点で作品を追い続けている。
準備運動の場所を作り、増え続ける走者を見守ってきた人たちは、走り出した僕らより、はるかに長く、険しい距離を走っていたに違いない。本当に頭が下がる。
ああ、なんだか胸が熱くなってきた。
もはやこの紙は、試し書きだからといって捨てられるような紙ではない。そこには、笑いがあり、誰かの記憶があり、心が動いた痕跡がぎっしりと詰まっているのだから。
僕は、いつもの文房具屋の売り場で一本のボールペンを手に取った。
そして、試し書きの紙の、まだ少しだけ空いている端っこのスペースに、そっとペン先を落とす。
「ありがとう」
次に見る人には、誰が誰に礼を言っているのか分からないだろう。インクを確かめる紙に、いきなり感謝を置いていく謎の人物。間違いなく、変なやつである。
でも、それでいい。
エッセイしりとりの最後に、僕がどうしても残したかった試し書きは、この一文だったのだから。
僕は「ありがとう」の横に、いつもの手癖で、つい名前を書いてしまった。ハッとして慌ててガシガシと真っ黒に塗りつぶした。
結局、僕も「三秒遅れの人」の仲間入りである。
なんだかそれがおかしくて、僕は一人でふふっと笑いながら、ボールペンを元の場所へそっと戻した。
いつか誰かが「なんで、ありがとう?」と立ち止まり、僕の戻したペンを手に取り、また新しい線を書き始めるかもしれない。
そう考えた瞬間、僕の中で、そのボールペンが、確かな重みを持ったバトンに変わっていた。
相生エッセイ
今回のエッセイは、本日最終日を迎える「#エッセイしりとり 2026夏の陣」で書いたものです。僕がこの企画に参加するのは、全部で九回になりました。
今回頂いたお題は「た」から始まり「ん」で終わるタイトルです。
マイキーさん、楽しい企画をありがとうございます!
▽「#エッセイしりとり」コンテスト2026夏の陣
そして、この楽しい企画を見守ってくださったマイキーさん、審査員のまきさん、諏訪貴信さん、天界記録さん、コハクシスさん、ありがとうございます。
▽ エッセイしりとり、僕の参加作品
▽ note創作大賞2026に応募したエッセイ作品はこちらに収録しています。ぜひ読んでみてください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました😌
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