『叱り方の教科書』を読んで気づいた、“怒り”の奥にある感情
安藤俊介 著(2017年4月発行)
はじめに
「なんであんなに怒っちゃったんだろう」──そう思うこと、しばし…
怒りという感情は、誰にでも自然に起こるもの。
でも、その怒りの奥に何があるのかを深く考えたことは、意外と少ないのかもしれない。
『叱り方の教科書』(安藤俊介著)では、
『叱っているつもり』でも気づけばなんだか爆発的に怒っている、、、
その「怒りの正体」とは、実は自分の中にある“伝えたかった想い”や“わかってほしかった気持ち”である、と伝えている。
怒りと叱るを区別しないと本書では伝えているが、個人的には、この“伝えたかった想い”や“わかってほしかった気持ち”を伝えることを、「叱る」と整理したい。
「叱る」とは、相手に向けて行う行為のようでいて、
実は自分の感情と向き合う行為でもあるのかもしれない。
概要
「叱る」とは何か
叱るは、練習で上達する“技術”である。叱るべき時に叱る経験を重ねることで、上手に叱れるようになる。
叱るとは「相手へのリクエスト」であり、「自分の気持ちを伝える手段」。
出来事に対して意味づけをし、感情が生まれる(一次感情)。その感情があふれ出たとき、「怒り(二次感情)」となる。
──いわば、コップに一次感情がたまり、あふれ出したものが怒り。意味づけとは、「自分と相手の“べき”(価値観)の違い」や「理想と現実のギャップ」から生まれる。
怒りは良い・悪いではなく、人間にとって自然な感情。ただし、それをそのままぶつけることが問題である。
所感
自分の怒りを掘り下げてみる
「自分、なんであんなに怒っちゃったんだろう」…
本書を読んで印象的だったのは、怒りを掘り下げていくと、その奥に「本当に感じたこと」「相手にわかってほしいこと」が隠れているということ。
では、“怒りを掘り下げる”とはどうすることなのか。
結局は「なぜ?」「なぜ?」と問いを重ねていくしかないのだと感じた。
たとえばーー期限を過ぎても部下が企画書を提出しない
① なぜ怒ったのか?
→ せっかく任せたのに、結果を出してもらえなかったから。
② 「結果を出してもらえなかった」ことに、なぜ怒ったのか?
→ これまでの頑張りを見ていて、「きっとできる」と信じていたから。
ここで、すでに
がっかり(落胆)
裏切られたような思い
といった一次感情が見えてくる。
この感情が積もり積もってあふれ出すと、それが“怒り”になるというわけだ。
「怒り」を生む背景にある思考
怒りの奥にある感情を引き起こす要因の一つが、「〜べき」「〜はず」思考。
(体調や疲れなど一時的な要因はここでは除く)
この上司の場合、
「任せたからには結果を出すべき」
「これまで頑張ってきたんだから、できるはず」
というフィルターがあったと考えられる。
この“現実とのギャップ”が、感情を生むということだ。
同じ出来事でも、怒る人・怒らない人と差があるのは、
それぞれが持つ価値観や“意味づけ”が違うから、ということなのだと理解できる。
「叱る」は技術。でも、How toではない
本書には「叱るは技術。練習を重ねることで上達する」とあるが、
改めて感じたことは、これは単なるHow toではないということだ。
怒りを覚えたときに、「本当は何を伝えたいのか」「何をわかってほしいのか」を自問自答する
「〜べき」「〜はず」思考(思考のクセ)を見直し、自分の“コップの容量”を広げる
これらはすべて、内省の積み重ねとも捉えられる。
結局、「叱る」は自分に向き合うことから始まる
叱るという行為は一見、相手に向けたものだが、
実際には一度、自分に矢印を向けるところから始まるのだと思う。
そうは言っても、対部下、対後輩、ともすれば対子どもやパートナーとなると、そんなことじっくり考えていたらことは過ぎてしまう…だからこそ、つい「ギャッ」と言ってしまうのかもしれない。
怒りっぽい人とは
一次感情を収めるコップの容量が小さい
「〜べき」「〜はず」といった価値観が強い
このようなタイプかと思われる。
では、その“コップの容量”の違いはどこからくるのか。
“〜べき”という価値観・思考(のクセ)は、どんな経験や背景で形成されるのか。
「叱る」というテーマひとつとっても、
まだまだ深く掘り下げられる余地がある──
そんな気づきをもらえる一冊だった。
