比較優位のデザイン
AI時代、もうできることを増やす競争は意味がなくなっています。
私たちは「人より上手くできることを増やせ」と教えられて育ってきました。経済学の言葉を少し乱暴に借りれば、絶対優位を増やすキャリア観です。誰よりも速く走る、テストで人より高い点を取る、偏差値の高い学校に入る、資格を取る、就職したら専門性を磨いて替えの利かない人材になる…と、言われてきたことはずっと一貫しています。人より上手くできることを増やしなさい。強みを作りなさい。キャリア論の本棚も、突き詰めればここに収斂します。
しかしAIがあらゆる能力をものすごい勢いで配り始めた今、私たちはもう一つの概念を無視できなくなったと思うのです。それが比較優位です。
SaaSを殺して楽しむ経営者
最近、経営者が「SaaSをAIで置き換えて、年間数百万円削減しました」「AIで社内ツールを自分で作ってみました」などと誇らしげに語るのを目にする機会が増えました。エンジニアではなかった経営者にも簡単にSaaSの置き換えができる、もうSaaS is deadだぜ!
さて、これには2種類の背景があります。1つは、経営者自身が AI へのキャッチアップを目的として、SaaSの置き換えを教材として使っているケース。もう1つは、真面目に経営者がコスト削減のためにこれをやって「ドヤ!」と言うケースです。
前者に関しては、AI のキャッチアップもできて、コストも削減できて一石二鳥だと考えることもできるでしょう。しかし、私は後者にはどうしても大きな違和感が拭えません。この違和感を「経営者がそんな細かい仕事をするな」という精神論で片づけたくはありません。これを説明するのが比較優位です。
私は「任せること」に妙な自信がある
私には、誰かに任せること、助けを求めることについては誰よりも得意だという自信があります。自慢として成立しているのか怪しい自慢ですが、自分でやったほうが早い場面でも、任せるべきだと判断したら任せます。できないことがあれば、できる人にさっさと頭を下げます。この判断に迷いがありません。
なぜ迷いがないのかといえば、「誰が一番上手いか」で仕事を割り振っていないからです。私が使っているのは別の物差しで、その物差しには経済学で「比較優位」という名前がついています。本来は国家間の貿易を説明するための理論なので、個人のキャリアに使うのは経済学的に行儀の良い転用ではないのですが、道具としてあまりに便利なので断った上で借りてきます。
比較優位とは何か
先日Xで軽く説明をしたのですが、例が極めて不適切だったと反省しています。カレーもパスタも、2つ3つ作ろうとしてもそれは1つ作るときの2倍、3倍の時間がかかるものではなかったからです。多分、手編みのマフラーとか手袋に置き換えて考えるべきものでした。
Aさんがカレーをつくるのに30分、パスタは10分かかり
— Aki @『Noを伝える技術』著者 (@LoveIdahoBurger) August 5, 2026
Bさんはカレー60分、パスタ30分だとします。
そうするとAさんはBさんよりも全部早い(絶対優位)ですが、
Aさんがカレーを1つ作る間に、本来ならパスタを3つ作れます。
Bさんはカレーを1つ作る間に、パスタは2つしか作れません。…
まぁ、それはさておき、もう少し仕事文脈の例を挙げると…
弁護士と事務員がいます。弁護士はタイピングが速く、事務員はゆっくりです。ここで弁護士はタイピングに絶対優位を持っています。
しかし比較優位は「それをやるために、何を諦めているか」という、異なる物差しで測ります。時給5万円相当の弁護士業務ができる人がタイピングを1時間やると、5万円分の弁護士業務を諦めたことになります。事務員がタイピングを1時間やっても、諦めるものはずっと小さいでしょう。つまりタイピングを安くやれるのは、タイピングが遅いはずの事務員のほうなのです。弁護士はタイピングで勝っていても、タイピングをやってはいけないのです。
この概念から、直感に反する結論が2つ出てきます。
全部で勝っていても、全部をやってはいけない。何かをやることは、常に別の何かを諦めることだからです。
全部で負けていても、やるべき仕事は必ずある。比較優位は他人との勝ち負けではなく自分の中の相対比較で決まるので、すべてが他人より下手な人にも、必ずどこかに比較優位があります。
私が「任せること」に自信を持てるのは、この物差しを使っているからです。任せる相手が自分よりうまいか下手かを一切気にせず「できるかできないか」だけで任せられるのです。先日も、弊社のバイトリーダー代理(息子)にひとつ仕事を任せました。私がやれば10分で終わる仕事を、彼は1時間かけて終わらせました。
「比較優位を捨てる」という大問題
経営者が大きな比較優位を持つのは、意思決定、資源配分、組織設計です。言い換えると、会社にいる全員の比較優位を見極め、それぞれが一番価値を出せる場所に置くことです。つまり経営者とは、会社全体の比較優位をデザインする人であり、そのデザインこそが経営者自身の比較優位です。
仮にAIの力を借りた経営者の開発速度が社内のエンジニアを上回ったとしても、つまり開発の絶対優位(のようなもの)を手に入れたとしても、その比較優位は変わりません。経営者が開発をやっている1時間は、経営者にしかできない仕事が止まっている1時間であり、その価値は社内の誰の1時間よりも高いのです。しかも皮肉なことに、AIの登場で社員全員の得意不得意の評価が書き換わりつつある今ほど、会社全体のデザインし直しが必要な時期はありません。「AIでコスト削減!」と喜んでいる場合ではないのです。
むしろ「会社としてAIをどう活用するか」を設計することが、経営者の比較優位が最も活きる仕事のはずです。そしてそのためにAIへのキャッチアップが必要なら、結果が同じ「SaaSの置き換え」でも正しい時間の使い方に見えます。
AIは能力を配ってくれますが、その能力を自分が使うべきかどうかは教えてくれません。そして今、配られた能力を嬉しそうに全部自分で使ってしまう人があまりに多いと感じます。そしてその様子を見て「自分もそうならなければ」と焦る人はもっと多いです。いいから落ち着け。
比較優位をデザインする
さて、私の生業であるプロダクトマネジメントの話に移ります。プロダクトマネージャーの周りには、開発、デザイン、マーケティング、ビジネスの専門家がいます。これらの専門家と比較した時に、自分が絶対優位である専門スキルは悲しいほど少ないものです。しかし私は気づきました。そもそもプロダクトマネージャーという仕事自体が、この人たちの比較優位を最大化するために生まれた仕事なのではないか…?
先ほど、経営者の仕事は会社全体の比較優位のデザインだと書きました。同様に、プロダクト開発の現場でそれをやるのがプロダクトマネージャーであるとも言えます。
悪名高い「何でも屋問題」、つまりプロダクトマネージャーが雑用を拾ってしまう現象は、単なる貧乏くじではありません。誰の比較優位でもない空白は、盤面全体を見ている人にしか見えません。見えるから拾うだけです。何でも屋になることは、比較優位のデザイナーであることの裏返しなのです。ただし自分の比較優位を見失ったまま拾い続ければ、ただの便利屋になります。この境界線も、比較優位という物差しがあって初めて引けるものです。だからプロダクトマネージャーは、リリースが近づけば法務への確認や告知文の調整のような「誰の仕事でもない仕事」に気づいて拾っているのです。
思えば、昔のプロダクトマネージャーには「プロダクトマネージャーになりたくてなった」人よりも、「プロダクトを成功させようとした結果、気づいたらこの役割になっていた」人が多いのですが、これも比較優位の自然な帰結でしょう。チームの中で埋まらない空白を拾い続けた人が、いつの間にかプロダクト全体を見る人になっていたという話です。
私の「任せる自信」も、出どころはここだと思っています。プロダクトマネージャーとして生きるうちに、「誰が上手いか」ではなく「誰がやると全体の価値が最大になるか」で考える癖が骨まで染みたのです。
AIは比較優位のデザインを「1回きりの仕事」ではなくした
AIは、これまで一部の人しか持てなかった能力を高速にコモディティ化しています。分析力も、文章力も、コーディングも、かつては獲得に10年かかった能力が、次々と「それなり」の水準で誰の手にも渡っていきます。しかし比較優位は配れません。「あなたの中で何が相対的に強いか」は、あなたの盤面ごとに毎回計算し直すしかないからです。
そしてAIがチームに入ると、チーム全体の比較優位が変わります。エンジニアの比較優位、ジュニアメンバーの比較優位、そして自分自身の比較優位も全部変わります。昨日まで自分がやるべきだった仕事が、今日はAIに任せるべき仕事になってるかもしれません。かつて比較優位の最適化のためのデザインは、体制図を引いて四半期ごとに見直すような、静的な仕事でした。それが今や、数ヶ月ごとに全コマの性能が変わる盤面をデザインし直し続ける、動的な仕事になったのです。
だから私は、AIを学ぶとは新しいスキルを手に入れることではないと考えています。AIを学ぶとは、自分の比較優位マップを更新することです。昨日までの自分の得意が、今日AIの得意領域になったなら、自分の時間はどこへ動かすべきなのでしょう。この問いに答え続けるための地図の更新が本体で、AIをどう活用するかは後から勝手についてくるのです。
全員が比較優位のデザイナーになる
この話は、もうプロダクトマネージャーだけの話ではありません。
あなたがAIを使い始めた瞬間、あなたは「自分+AI」という小さなチームを持ちました。何をAIに任せ、何を自分に残すか。それを決めるのは、まぎれもなく比較優位のデザインです。冒頭の経営者は、その最初のつまずき方を見せてくれたにすぎません。あれは経営者だけの失敗ではなく、全員が試される失敗です。
私たちは、絶対優位を磨く教育を受けて育ってきました。その教えは、能力の獲得コストが高い時代には正しかったのでしょう。しかしAIが絶対優位を配って回る時代に、配られるものを積み上げても「優位」にはなりません。
残るのはAIが配れないもの、つまり比較優位のデザインです。そしてデザインは一度で終わらず、盤面が変わるたびにやり直しになります。自分の盤面を更新するために、私は少なくとも「AIによって何ができるようになったか」だけでなく「AIによって自分が何をやめられるようになったか」を見るようにしています。
私が唯一追い求めるべき絶対優位とは、「比較優位を更新し続ける能力」なのです。
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます。いただいたサポートは、脳の栄養補給のため甘いお菓子となり、次の創作に役立つ予定です。