見出し画像

教えて福ちゃん|姪っ子編 第19話「オルカンがなかった時代」


プロローグ|古い茶封筒に残っていた十五年

「前回、投資信託の話をしたよね」

福ちゃんが湯呑みを置きながら切り出した。姪っ子はスマホから顔を上げる。

「うん、覚えてる。福ちゃんが、iDeCoでオルカンとかS&P500を持ってるって話」

「にゃあが投資を始めた頃、今人気のオルカンはなかったんだよ」

「え、そうなの?」

姪っ子は少し驚いた顔をした。

福ちゃんは立ち上がると、棚の奥にある引き出しを開け、古い茶封筒を取り出してきた。

封筒の角は少し折れ、表面はうっすら黄ばんでいる。

「これ、何?」

姪っ子が中から取り出したのは、古い投資信託の運用報告書だった。

表紙には、今ではほとんど思い出すこともなくなった商品名が印刷されている。発行年を見て、姪っ子は思わず二度見した。

もう十五年近く前のものだった。

「昔、積み立てていた日本株の投資信託。毎月一万円ずつ入れてたの」

「それを十五年間?」

「うん。ずっと積み立ててた」

「十五年って……え、待って。じゃあ全部でいくら――」

「計算しない。野暮だから」

姪っ子は封筒の中身をぱらぱらとめくった。

手書きのメモ、古い目論見書、色褪せた基準価額のグラフ。どれもスマホの画面では見たことのない、紙の質感をした数字たちだった。

「これ、日本の株に投資する商品だったの?」

「そう。運用会社が日本企業を選んで投資するタイプ。今のオルカンとは、ぜんぜん違う商品だった」

「オルカンは、世界中の株が入ってるやつだよね」

「うん」

「じゃあ、なんで最初から世界中に投資しなかったの?」

福ちゃんは、古い報告書を一枚めくった。

「今なら、そう思うよね」

「違ったの?」

「探せば、海外へ投資する商品もあったと思う。でも、今みたいにスマホで簡単に探して、低い手数料で、毎月少しずつ買える時代じゃなかった」

「米国株も?」

「買うこと自体はできたよ。でも手数料も高かったし、円をドルに替える手間もあった。情報だって、今みたいに何でもすぐ調べられるわけじゃない」

「じゃあ、これしかなかったの?」

福ちゃんは少し考えてから答えた。

「世の中にこれ一つしかなかった、という意味じゃないよ。でも、にゃあが毎月一万円ずつ、無理なく続けられる範囲では、これが現実的な選択だったの」

姪っ子は、その言葉の意味を確かめるように黙った。

封筒の中の古い紙と、自分がスマホで見慣れたオルカンの画面とが、頭の中で重なった気がした。

「これ、去年解約したんだよね?」

「うん」

赤猫が、テーブルの下で大きくあくびをした。

第1章|世界の六割は、アメリカだった

福ちゃんが封筒をテーブルの端に寄せると、姪っ子が、ふと思い出したように口を開いた。

「そういえば、この前ちゃんと答えてもらってない質問があるんだけど」

「なに?」

「オルカンとS&P500、なんで両方持ってるの? 中身、結構かぶってると思うんだけど」

福ちゃんはお茶を一口飲んでから、指を一本立てた。

「オルカンの中身、見たことある?」

「世界中の株が入ってる、くらいしか知らない」

「その世界の中で、アメリカがだいたい六割を占めてる」

姪っ子は目を丸くした。

「え、そんなに?」

「多いよ。『世界中』という言葉のイメージより、ずっとアメリカが大きい」

「じゃあ、オルカンの六割と、S&P500の100%は、どっちもアメリカってこと?」

「そう。かなり重なってる」

「それなら、両方持つ意味あるの?」

福ちゃんは、さっきの茶封筒に軽く手を触れた。

「この古い投資信託を見て、気づかなかった?」

「何を?」

「世界の中心は、ずっと同じじゃないということ」

姪っ子は、封筒と福ちゃんの顔を交互に見た。

「あの頃は、日本株の商品を積み立ててた。でも今は、オルカンの中でもアメリカが大きい」

「うん」

「オルカンのアメリカ比率も、ずっと六割とは限らない。アメリカ企業がさらに大きくなれば比率は上がるし、ほかの国の企業が伸びれば下がる」

赤猫がテーブルの脚に体をこすりつけながら通り過ぎていく。

姪っ子はしばらく黙って、古い封筒と、自分のスマホに表示された資産画面を交互に見比べていた。

「じゃあ福ちゃんは、オルカンの中のアメリカだけじゃ足りないから、S&P500を別に持ってるの?」

福ちゃんは、少しだけ笑った。

「半分正解。もう半分は、次の話」

第2章|結果として持つのか、選んで持つのか

「もう半分は、次の話」

福ちゃんがそう言ったきり黙ってしまうので、姪っ子は痺れを切らした。

「もったいぶらないでよ」

赤猫がいつの間にか戻ってきて、姪っ子の足元に体をすり寄せている。

福ちゃんはその頭を軽く撫でてから、口を開いた。

「オルカンの中のアメリカ六割って、誰が決めてると思う?」

「時価総額でしょ? アメリカの会社が大きいから、自然とそうなる」

「そう。自然と、そうなる」

「それが何か問題なの?」

福ちゃんは湯呑みを持ち上げかけて、また置いた。

「問題というわけじゃないよ。ただ、その六割は、姪ちゃんが決めた六割じゃない」

姪っ子は、さっきまでとは違う引っかかりを覚えた。

「でも、時価総額が大きいってことは、それだけ評価されている会社が多いってことじゃないの?」

「今はね」

「また今は、って言った」

「六割になった理由と、これからも六割であり続ける理由は別だから」

赤猫が姪っ子の膝に飛び乗った。

姪っ子は反射的に受け止めながら、福ちゃんの言葉を考える。

「福ちゃんは、その自然に決まる比率に、自分の意思を足したいってこと?」

福ちゃんは、今度ははっきりと頷いた。

「オルカンだけなら、アメリカを多く持っているのは世界市場の結果。S&P500を足すなら、アメリカを多めに持つのは自分の選択になる」

姪っ子は膝の上の赤猫を撫でながら、しばらく黙っていた。

結果と選択。

似ているようで、何かが決定的に違う気がした。

「じゃあ福ちゃんは、アメリカに賭けてるってこと?」

「賭けてるというより……」

福ちゃんは、言葉を選びながら窓の外に目をやった。

「世界全体を土台にして、その上に、自分の見立てを少しだけ足してるの」

第3章|正解より、後悔しない持ち方

「自分の見立てを足す、か」

姪っ子は膝の上の赤猫を撫でながら、少し考え込んだ。

「でも、それって、やっぱりアメリカがこれからも強いと思ってるってことだよね?」

「そうだね」

「オルカンだけにしておけば、強くなった国が自然に増えて、弱くなった国は自然に減るんでしょ?」

「うん。そこがオルカンの強み」

「じゃあ、S&P500を足す必要ないじゃん」

福ちゃんは苦笑した。

「必要があるかどうかは、人によるよ」

「福ちゃんには必要なの?」

「必要というより、そうしたいの」

姪っ子は首をかしげた。

「同じじゃないの?」

「少し違う。オルカンだけでも、十分に分散された投資になる。そこへS&P500を足すのは、分散を増やすためじゃない。アメリカの比率を自分の意思で高くするため」

「じゃあ、アメリカが弱くなったら?」

「オルカンだけの人より、不利になることもある」

「それ、怖くないの?」

福ちゃんは、湯呑みの中の少し冷めたお茶に目を落とした。

「怖くないわけじゃないよ」

「じゃあ、どうして?」

「にゃあは、自分で選んだ偏りなら、受け入れられると思ってるから」

姪っ子は黙った。

「もちろん、将来は分からない。アメリカがこのまま強いかもしれないし、別の国が伸びるかもしれない。だからオルカンも持ってる」

「土台は世界全体にして、その上にアメリカを足す」

「そう」

「それが正解なの?」

福ちゃんは首を横に振った。

「正解かどうかは、まだ誰にも分からないよ」

「じゃあ何で決めたの?」

福ちゃんは静かに答えた。

「当たっても外れても、後悔しない持ち方を選んでるだけ」

赤猫は、姪っ子の膝の上ですっかり眠っていた。

第4章|もらえるお金は、増えたお金なのか

「後悔しない持ち方……か」

姪っ子はその言葉を繰り返しながら、テーブルの上の古い運用報告書に、また目を落とした。

ふと、あるページで手が止まる。

「福ちゃん、これ何? 数字がずらっと並んでる」

福ちゃんが覗き込む。

「ああ、分配金の記録」

「分配金?」

「その投資信託から、ときどきお金が支払われてたの。ほら、ここ」

姪っ子は目を凝らした。

数百円、数百円と並ぶ数字。多いときもあれば、少ないときもある。支払われていない時期もあった。

「これって、利益が出たからもらえたってこと?」

「利益から支払われることもあるよ」

「じゃあ、もらえるほど得じゃん」

福ちゃんは首を横に振った。

「そうとは限らない」

姪っ子は顔を上げた。

「利益じゃなかったら、どこから出るの?」

「ファンドの中にある資産を取り崩して支払うこともある」

「自分が積み立てたお金も?」

「場合によってはね」

姪っ子は、もう一度分配金の列を見た。

「それって、お金が増えたんじゃなくて、自分のお金が戻ってきただけってこともあるの?」

「そう。受け取ったときは嬉しいけど、その分だけ基準価額は下がる。だから、分配金をもらったという数字だけを見て、得をしたとは言えないの」

赤猫が姪っ子の膝から降り、床の上で大きく伸びをした。

「じゃあ、今のオルカンとかS&P500の投資信託は?」

「にゃあが持ってる商品は、今のところ分配金を出していない。利益が出ても、ファンドの中で運用を続ける」

「なんで、出ない方をわざわざ選ぶの? お金をもらえた方が、増えてる実感があるじゃん」

福ちゃんは、古い報告書をそっと閉じた。

「実感と、増え方は、別の話だから」

第5章|選べなかった時代から、選べる時代へ

「実感と、増え方は、別の話」

姪っ子はその言葉を何度か頭の中で転がしてから、閉じられた古い報告書に手を置いた。

「じゃあ福ちゃんは、この昔の投資信託を、悪い商品だったと思ってるの?」

「思ってないよ。むしろ、感謝してる」

「感謝?」

「分配金が入ってくると、投資をしている実感があった。あの実感がなかったら、十五年も続かなかったかもしれない」

姪っ子は、ふと引っかかりを覚えた。

「さっきは、実感と増え方は別だって言ったのに」

「別だけど、どちらかが要らないという話じゃないよ」

福ちゃんは、古い報告書を一枚ずつ揃えながら続けた。

「効率だけを考えれば、分配せずに運用を続ける方が向いている場合もある。でも、続けられなければ意味がない」

「分配金があったから、続けられた?」

「うん。毎月一万円を積み立てて、ときどきお金が戻ってくる。それが嬉しかった。今思えば効率の良い方法ではなかったかもしれないけど、当時のにゃあには必要だった」

赤猫が、テーブルの脚に寄りかかって座り直した。

福ちゃんは報告書を茶封筒に戻す。

「あの頃は、今みたいに何でも選べる時代じゃなかった。世界株も、米国株も、海外ETFも、存在はしていた。でも、毎月少しずつ、安い手数料で、誰でも簡単に買えるものではなかった」

「今は?」

「今はスマホの中に、世界中の選択肢が並んでる。オルカンも、S&P500も、米国株も、海外ETFも選べる」

「良い時代になったんだ」

「そうだね。でも、選べるものが増えた分、自分で考えなきゃいけないことも増えた」

姪っ子は、テーブルの上のスマホを手に取った。

画面には、自分がまだ何も選んでいない、まっさらな積立設定の画面が表示されたままだった。

「じゃあ私は、何を選べばいいんだろう」

福ちゃんは答えなかった。

代わりに、茶封筒を軽く姪っ子の方へ押した。

「それ、持って帰りなよ」

「え、これ?」

「答えは、にゃあが十五年前に選んだもの。姪ちゃんの答えは、姪ちゃんがこれから選ぶもの」

姪っ子は、古い封筒をしばらく見つめていた。

それから、壊れ物を扱うように、そっと鞄の中へしまった。

にゃあのしっぽ

茶封筒が、姪っ子の鞄に消えていった。

赤猫は、その様子をずっと床から眺めていた。

古い紙のにおいがする封筒と、まっさらな画面のスマホ。

同じテーブルの上に、十五年前と、これからとが並んで置かれていた。

昔は、手の届く選択肢の中から一つを選んだ。

今は、数え切れないほどの選択肢の中から、自分に合うものを選ばなければならない。

福ちゃんは、姪っ子の代わりに答えを選ばなかった。

ただ、選ぶ前に知っておいてほしい時間を、古い茶封筒に入れて渡しただけだった。

赤猫は大きく伸びをして、窓辺の陽だまりへ戻っていく。

答えを持ち帰るのは、いつも人間の役目だ。


番外|個別株中心のにゃあが、投資信託を続けていた理由

「個別株が中心のにゃあが、どうして投資信託を積み立てていたの?」と思った人もいるかもしれない。

この投資信託の積立は、にゃあの運用が個別株中心になる前から続けていたものにゃ。

まだ今ほど多くの企業を調べることも、決算書やIR資料を読み比べることもしていなかった時期に、毎月一万円ずつ積み立てる仕組みが、にゃあの投資を支えてくれた。

今から見れば、手数料も高く、運用効率の面では別の選択肢もあったと思う。

それでも、当時のにゃあが無理なく始められ、十五年間続けられたという事実まで否定する必要はないにゃ。

現在「オルカン」の愛称で知られている「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」が設定されたのは、2018年10月31日のこと。

にゃあが積立を始めた頃には、まだ存在していなかった商品にゃ。

今ある便利な選択肢を、過去の自分も選べたはずだと考えることはできない。

投資商品だけでなく、手数料も、情報も、買い方も変わってきた。

だからこそ、昔の選択を今の物差しだけで評価するのではなく、その時代に何が選べたのかを見ることも大切だと思うにゃ。


いいなと思ったら応援しよう!

赤猫福 ここまで読んでくれて、ありがとうにゃ。 チップは「よかったよ」「続きも楽しみにしてるよ」という 気持ちのメモみたいなものにゃ。 無理のない範囲で、そっと置いていってもらえたら嬉しいにゃ。