おばあちゃんの家出
幼い頃、近所にピンクの外観にライオンのマークが描かれた、大きなおもちゃ屋さんがあった。
しかし私がそのお店に行けるのは、年に2回だけ、夏と冬、誕生日とクリスマスだけだった。
なんでもない日におもちゃを買える程裕福な家でもなかったし、当時の母の教育方針も関係があったように思う。
ある日、遠くの家に住むおばあちゃんがやってきた。
私たち家族が住んでいたオンボロの、古いアパートに、片道車で二時間はかかるお家から荷物ひとつでひとりでやってきた。電車とバスを使って。
普段から距離があるところに住んでいたため、おばあちゃんとあまり接した事がなかった当時の幼い私は、どうしたらいいのか、
どう振る舞っていればいいのかわからず、
黙って部屋の片隅にいたのを覚えている。
ある日、母が歯医者に行くので、子供達をその間祖母に見てほしいと頼んだ日があった。
アパートから15分の歯医者までの道を、母とおばあちゃんと妹と歩く。平たいコンクリートの上をひたすらと歩いた。日差しが強くカラカラと暑い日だった。
母が歯医者に入ってしまい、おばあちゃんと眠ってしまいおんぶされた妹と三人になった。
するとおばあちゃんは、
「さて。どうしようか、まりちゃん、おいで、あそこに行こう!」
と、あの、ライオンのマークのおもちゃ屋さんに連れて行ってくれたのだ!
私は舞い上がり、店内をくるくるとバレリーナのように回って歩いて、目に入るおもちゃの数々に、作りに、いちいち感動していた。
「まりちゃん、何かおばあちゃん買ってあげるから選んでいいよ。」
そうおばあちゃんに言われた。
私は、ドキドキして胸が高鳴ったが、なんだか悪い気がして、だんだんと何が欲しいのかわからなくなってしまった。
遠慮しすぎて(その頃から繊細な面があったのだ、わたしにも。)結局何も選べなかった。最後には黙って立ちすくんでしまった。
それを見兼ねたおばあちゃんは、
じゃあ、これとこれ、買ってあげるね。
と、ニコリと笑い、ピンクの手鏡と、小さな猫のゴミ箱をレジに持っていった。
私は、思いがけないプレゼントに夢中になった。
その後、母の歯医者も無事に終わり、
おばあちゃんは帰ってしまった。
後に大人になってから母から聞いて知ったことがある。
おばあちゃんは、あの日、家出をしていたこと。
おじいちゃんから暴力を振るわれていたこと。
所持金がほぼなかったこと。
家出したけど、帰り道にくも膜下出血を起こし、そのまま亡くなってしまったこと。
あの日、おばあちゃんはお金がなかったのに、何もねだることのできないわたしに、
それでも何か買ってあげたかったのは
私をちょっとでも喜ばせたかったからなんだろうと、今になってわかる。
あの日の私は、おばあちゃんがどんなきもちで手鏡を買ってくれたのか、何も知らなかった。
結婚した際に、あの時の手鏡はお守り代わりにもってきた。大事にポーチに入れて今でも引き出しにしまってある。
おばあちゃんの思いが込められたあの手鏡は、端のほうはだいぶ錆びてしまったけど、
わたしがこの世で一番かわいく映る鏡だ。
