名古屋の家・みやちゃんの話
名古屋で最初に暮らした井戸の家のことを思い出すと、 いつも一緒に遊んでくれた“みやちゃん”の姿が浮かんでくる。 三年生か四年生くらいのお姉ちゃんで、 私は五歳だったと思う。
当時はわからなかったけれど、 今振り返ると、みやちゃんは どこか発達に特性があったのかもしれない。 でもそんなことはどうでもよくて、 私にとってはただの“優しいお姉ちゃん”だった。
二人でよくおままごとをした。 私の小さな炊飯器のおもちゃに、 本物の卵をそっと入れて、 「これで固まるよね」と信じていた。 電源なんて入っていないのに、 二人でじっと蓋を見つめて、「なんで固まらないんだろうね」と首をかしげていた。 あの時間は、子どもの世界だけにある “純粋な魔法”そのものだった。
牛乳屋さんに瓶の牛乳を買いに行くのも、 小さな冒険だった。 ガラス瓶の冷たさ、 牛乳屋さんの「気をつけて帰りよ」という声、 昭和の生活には、 人の温度がいつもそばにあった。
初めて雪が降った日のことは、 今でも鮮明に覚えている。 家の前の広場が一面まっ白になっていて、 その光景を見た瞬間、 弟と二人で「わーっ」と声をあげて走り出した。 世界が一夜で変わるなんて知らなかったから、 あれはまるで魔法の朝だった。
道路沿いには、 まだ下水道が整備されていなくて、 小さなどぶ川が流れていた。 子どもの私には、それも日常の風景で、 水の流れる音がいつもどこかで聞こえていた。
新しいタイツをおろした朝のことも忘れられない。 嬉しくて、家を出た瞬間に駆け出した。 その途端、つるっと転んで膝をすりむき、 真っ白なタイツに穴があいた。 家に戻ると、おばあちゃんから大目玉。 「もう、いつも新しいのをおろした時にやっちゃうね。 気ぃつけてよ」と、 叱りながらもどこか優しい声だった。
あのころの光は、 どれも小さくて、 どれも確かで、 今の私の感性の根っこになっている。
