名古屋の家・赤いポストのある通学路と、街道沿いの家の光
学校から自宅までの道のりは、
子どもの足にはずいぶん遠く感じた。
旧街道がそのまま通学路で、
学校は高台にあったから、
長くて細い坂道を、
重たいランドセルを背負った小柄な私は
ふうふう言いながら登っていった。
朝は集団登校。
集合場所の広場に集まり、
担当地区ごとに保護者が旗当番でついてきてくれた。
母が当番の日は、 嬉しいような、
恥ずかしいような、
でもどこか誇らしい気持ちだった。
働く職業婦人だった母は、
出勤前のよそゆきの服装で、
朝の光の中でひときわ凛として見えた。
夏休みにはまだ早い、
蒸し暑い夏の下校。
友だちとおしゃべりしながら歩く帰り道の途中に、
小さな郵便局があった。
そこは、私たち小学生にとって束の間のオアシス。
「こんにちは!お水いただきます!」
「あーおかえり、どうぞ飲んでね」
郵便局の冷水機の冷たい水を、
ごくごくと飲ませてもらえる。
きっと何人もの小学生が、
同じように立ち寄っていたのだと思う。
でも、毎日は行かない。
そこには小さな遠慮があって、
だからこそ“特別な場所”だった。
郵便局を過ぎると、
街道沿いに古い面影のある門構えの家が見えてくる。
そこが、私たち家族が暮らした社宅—— 今でいうシェアハウスだった。
門は立派で、
外から見るとまるでお金持ちのお嬢様の家のよう。
でも中に入ると、 五世帯が暮らす共同住宅で、
離れにそれぞれの玄関があった。
前庭を抜け、土間を通り、
中庭へ。 その奥にある平屋が私たちの家だった。
たぶん昔は物置だったのを改装したのだと思う。
裏庭まで続く庭は
、庭師さんが入るほど手入れされていて、
渡り石が並び、小さな庭園のようだった
トイレはお向かいの家と共同のポットン便所。
電気がつかない夜はとても怖かった。
電気のスイッチはお向かいさんの家にあって、
たまたま気づいてつけてくれた日は、
それだけで幸せだった。
紙がなくなると、
「おばあちゃん、紙がなーい!」と叫んだ。
門構えは立派でも、
私たちは潜り戸から出入りしていた。
門が開くのは特別な日だけ。
家の前の炭焼きの鰻屋さんから漂う タレの甘い匂いと煙が、 夕暮れの街道にゆらゆらと立ちのぼっていた。 鰻は食べた記憶がない。 高級すぎたのか、習慣がなかったのか、 ただ匂いだけが鮮明に残っている。
家に帰ると、
「おばあちゃん、ただいま!」
カバンを置いて手を洗い、 おやつの時間。
ふかし芋、塩おにぎり、ボウロ、お煎餅。
どれも素朴で、どれも大好きだった。
ある日、帰宅してもおばあちゃんがいなかった。
庭を探してもいない。
胸がざわざわして、
“おばあちゃんに何かあったのかも”と不安になった。
あ、買い物だ。
スーパーだ。 急いで走って向かうと、
紙袋を持ったおばあちゃんが歩いてくるのが見えた。
「うわー、おばあちゃんだ!」 嬉しくてたまらなかった。
「いないから探しに来ちゃったよ」
「今日の夜ご飯はなあに?」
「カレーだよ」
わーい。 おばあちゃんの野菜ゴロゴロカレーだ。
あの街道沿いの家で過ごした日々は、
私の“外の世界の光”の原点だった。
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