雨粒の向こうで、静けさが目を覚ます
台風の雨風がおさまって、
そっと窓を開けた。
湿った空気の中に、
ひんやりとした風がひと筋入り込んでくる。
その瞬間、鳥たちが順番に鳴き始めた。
ちーちち。 ぴいぴい。
いつもと違う声が、
町中に響いている。
まるで「無事だったね」と言い合うように、
台風が過ぎ去ったことを喜ぶ歌みたいだった。
空はまだ薄暗いけれど、
雲の向こうから少しだけ光が滲んでいる。
携帯の警報通知は、
いつの間にか“注意報”に変わっていた。
台風が過ぎたあとの静けさは、
いつもの朝とはまったく違う。
世界が一度止まって、
もう一度ゆっくり動き始めるような感覚だった。
窓の外では、
雨に洗われた道路がまだ濡れていて、
街路樹の葉がしっとりと重たそうに揺れている。
さっきまで暴れていた風が、
今はまるで「もう大丈夫だよ」と言うみたいに、
そっと頬を撫でていった。
昨夜、三階の寝室は何度も揺れた。
風が家を押すたびに、
建物全体がふわりと浮くような感覚がして、
胸の奥がざわついた。
その揺れの中で、
ふいに名古屋の家のことを思い出した。
あの家では、台風のたびに雨漏りがした。
ぽた、ぽた、と水が落ちる音が、
静かな部屋に規則正しく響いていた。
バケツの底に溜まっていく水の音は、
不思議と怖くなかった。
停電になると、 おばあちゃんがろうそくを灯した。
その小さな炎が、
茶の間の空気をゆらゆら揺らして、
部屋の明るいところと暗いところを はっきり分けていた。
明るいのに、暗い。
暗いのに、温かい。
あの“明暗の特別感”は、
今でも胸の奥に残っている。
私は自然とおばあちゃんの横に座った。
肌のぬくもりがすぐ隣にあって、
その温度に触れるだけで、
怖さがすっと消えていった。
台風は怖い。
でも、どこかワクワクする。
胸の奥がざわざわして、
落ち着かないのに、
なぜか目が冴えてしまう。
子どもの頃も、 大人になった今も、
その不思議な興奮は変わらない。
台風一過という言葉を知っていたのに、
“台風一家”だと思い込んでいた人の話を思い出して、
昨夜の揺れる寝室の中で、
ふっと微笑んでしまった。
台風が家族でやってくる。
そんな想像をしていたあの頃の自分が、
なんだか愛おしく思えた。
台風が過ぎた朝の空気は
゛どこか“生まれ変わったばかり”のような匂いがした。
湿った土の匂いと、
雨に洗われた葉の匂いが混ざって、
深く吸い込むと胸の奥まで届いていく。
鳥たちの声は、 さっきよりもさらに増えていた。
ちーちち。
ぴいぴい。
ひゅるる、
と細い声も混ざる。
まるで、 「ここにいるよ」
「無事だったよ」
「また朝が来たよ」
そんなふうに、
町中で点呼を取り合っているみたいだった。
私は窓辺に座ったまま、
その声をただ聞いていた。
風がカーテンを揺らし、
少し冷たい空気が足元に流れ込む。
その冷たさが、
昨夜の緊張をそっと洗い流していく。
名古屋の家で感じた、
ろうそくの明かりのぬくもり。
おばあちゃんの横に座ったときの安心感。
あの夜の記憶が、
今日の朝の静けさと重なっていく。
台風は、 外の世界を荒らしていくけれど、
去ったあとは必ず、 “静けさ”と“光”を置いていく。
その光の中で、
私はいつも少しだけ、
自分の内側が整っていくのを感じる。
昨夜の揺れも、
名古屋の記憶も、
鳥たちの声も、
全部がひとつの線でつながって、
胸の奥にすっと落ちていった。
台風が過ぎた朝は、
世界がもう一度息を合わせる時間。
そして、 私自身もまた、
静かに息を合わせ直す時間なのだと思った。
—— ああ、今日もまた、始められる。
私は窓を閉めて、 PCの前に向き直った。
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