緑内障で片目を失明している父。もう片方の目も視力が0.2に。どうやって免許更新を乗り切った?
こんにちは、翼祈(たすき)です。
あまりこのことに触れていないのですが、この記事では父の目の病気のことを話します。実は私の家族は三人とも目の病気を抱えています。
母が持っているものも見落とされやすいもの、でも私が将来緑内障になるリスクよりさらに高いもの。これに関しては別途で書きたいと思います。
父は以前から目の異変がありました。本人も自覚があった。でも決して痛いとかかゆいとか症状を言わない人。病院に行くのも大嫌い。そのためどんどん進行し、緑内障が進行し失明した。
そして2025年にあることが起こった。運転免許の更新が近付いている、もう2ヵ月も見ない時に、見えている方の視力も0.2で免許更新がかなり難しかった。
それでも更新できました。なぜ更新できたかはここで述べたいと思います。
父に行った緑内障の前兆現象。本人は気のせいだと思っていた

父は私が大学時代、何度も嫌がらせを受けていた寮生活が嫌で、ずっと休みの日は実家にバスで戻って来ていた。帰りは父の運転で寮に戻る。
そんな日が続いた。この時から「目が少し見えにくい」という自覚があったらしい。
最近はしていないけど、明らかな異変があった。誕生日ケーキにろうそくをつける時、ろうそくに火が付けられなくなった。視野が欠けて、ものの感覚が少しずつ消えて行っていた。
だから目の前にろうそくがあるのに、ライターの火を付けられず、変な場所に手を持っていっていた。
病院に行くのが嫌な父は頼った民間療法

父の中で目が見えにくい、でも病院に行きたくない葛藤があった。そのため病院には行かなかった。そんな時に知り合いから、『この水を差し続ければ目が見える様になる』と言われた。
ただの水。でも父は「これで良くなる」と信じた。
ただの水で治ると信じた父は差し続け、その間にどんどん緑内障は悪化していった。
病院を訪れても数々のハードル、そして最初の試練

理由は忘れましたが、父は眼科に行く様にと言われました。その時毎回言われていたので、『眼圧が高過ぎて機械で測れない』。それを繰り返した。
そしてある日主治医に言われた。
『このまま眼圧が高い症状が続けば、緑内障だけではなく、目の真ん中から穴が空いて、水が出ますよ。紹介状を書いておきます』
と言われて、大学病院に行くことに。
眼圧が測定できる様になるまで、大学病院でもう来なくて良いと言われるまでずっと大学病院に行き続けました。そして、元の病院に戻った。
2025年に訪れた最大の試練

病院からは『2ヵ月に1回来る様に』と言われても、「まだ緑内障の目薬があるから」と言って、なかなか行かない相変わらずの父。
そして2026年が免許更新で、母が「どうやら高齢者講習を受けないと免許の更新できないみたいだよ」と言うと慌てた父。
その案内は半年近く前から来ていた。それなのに、本人はまだいいと動かなかった。
高齢者講習に行くために、電話をし始めた父。地元も枠が空いていない。住んでいるエリアで割と近いところももう枠がない。
結果、住んでいるエリアからかなり遠いところまで行かないと高齢者講習を受けられなくなった。
そして、それが決まって、2025年12月下旬に眼科に行った時、『次は1ヵ月に来て下さい。眼鏡を作ることも検討しましょう』と言われて嘆いて帰って来た。
2026年1月上旬、父は眼科に行く前、仕事での夜勤が3日続いた状態だった。
眼科に行って、すぐに母に眼科から『来て下さい』と連絡が入った。
母は眼科に行くと、
『ご主人が見えている方の目も今0.2しかありません。運転免許の更新は眼鏡を付けた状態で0.7以上ないと更新できない。今のままでは無理ですよ。
免許を更新したいならすぐに眼鏡を作らないと。その間運転も絶対にダメ。もしその間に運転をして事故を起こしたら、私は「本人にはちゃんと伝えていました」と貴方の責任を一切負いません』と言われた。
帰宅後、帰って来ると、いつもの様に夜中までテレビを見ていた父。私は呆れた。
父は車が大好きで運転も好き。車も車検に出すと新しいメーカーのカタログを必ず貰ってくる。運転する前の車のことも「⚪︎というメーカーの⚪︎という名前の車」だとスラスラ言えた。
「この人の車好きはその程度か。運転できなくなっても構わないんだな」と思った。
そう見えていたが、母に聞くと、本人は普段と変わらない様にしつつ、結構内心ショックを受けていたらしい。
父が変わった瞬間

眼鏡は父はするのが嫌だった。「眼鏡をすると老けて見られるし、したくない」。
父の家系は昔から視力が良く、目の悩みのない家だった。母が眼鏡をかけて嫁いだ時も父も祖父母も、義理の姉たちも誰一人良い顔をしなかった。
昔から視力がいい。それはおごりだし自負でもあった。
だから、父の中で「眼鏡をする=恥ずかしいもの」だと思っていた。
病院に行かないのも、祖父母から「病院なんて行くもんじゃね。行くのが愚かだ」とか病院に行かないことを美徳とし、それを言われて育ってきた。
だから予防治療という観点からも父は遅れて、症状が進行する。風邪を引いても、「風邪くらいで学校を休むな」と祖父母は行かせていた。
我が祖父母ながら恥ずかしいし、孫は多重障害者になって、どう思っているんだろう?
眼鏡の意味では父は早かった。高齢者講習も父は運転ができず、母が遠い中、乗せていった。その数日後に、「眼鏡を作りに行く。だから眼科に行って、眼鏡を作る紙を作って貰う」と言い出した。
本人の中で運転までできなくなる恐怖を感じたらしい。
そして、眼科の紙から眼鏡を作り、眼鏡をかけて運転免許の更新へ。
ギリギリのラインだったに違いないけど、何とか更新ができた。
次の運転更新する時には、認知機能のある年齢。どうなるのか?
今の悩み
父は夜間は見えにくいから仕事に行くための運転の時、眼鏡をする。それ以外は全くしない。
運転免許にも【眼鏡等】の記載なし。だから本人はしなくても良いと勘違いをしている。
両親が買い物に行く時には必ず母が運転します。
なぜ父の運転免許には【眼鏡等】の記載がなかったのか?、このことについてなど警察の見解は次回お話します。

