和解ではなく"理解"した父――ここに生まれようとした50時間
逃げるのではなく――生きるために
2024年 9月1日
わたしは 家を飛び出しました
愛する娘たちをおいて
奴隷のような感情で
人生をあきらめきっていた
生活を
捨てるため
その日
家を飛び出しました
救ってくれる家族は
誰もいませんでした
身体も 心も
むしば(蝕)まれる 状況を
以前から 訴えてはいました
しかし
誰も 信じてはくれませんでした
両親でさえ
わたしの話より
元妻の話を 信じていました
飛び出した先の アパートで
わたしは
一族から孤立
しました
母親は わたしに
「せめて お野菜でも届けたい」
「少し 資金を援助したい」
「元気かどうか 確認したい」
と 希望していたそうですが
父親が 許さなかったそうです
その後の 年越し お盆
帰省するのか?
という声は
当然 かかりませんでした
『これが 勘当というものか…』
そう 思っていました
すべてを失って――光へ
2024年は
わたしにとって
盛岡の修行
の開始であり
内省の日々
の開始でもありました
離婚により
自宅も財産も失い
娘たちにも会えず
わずかなたくわえも
弁護士さんへのお礼で消えました
心を通わせた人とも
お別れをし
家族とも縁が切られ
いま 思い返せば
かつての修行僧の ような
ただ 己の 息を 聞く
ような 日々を 過ごしてきました
その頃の
お恥ずかしい 内省が
右往左往する 内省が
ブログとして 残っています
悩み深い 心苦しい
時期は
やっと 先月(昨年12月)ごろから
ひとつの 光に向かって
進み始めた 感覚を
抱きました
11月までは
その光を 見ないようにしていましたが
現実の変化が それを 許さず
光を見つめ
そこに向かって
歩み始めました
帰らない理由――帰る理由――その狭間で
最近の記事で
緊張して 初めて会う医師が
高校時代の仲の良かった同級生だった
ことを 綴りました
ちょうど そのころ
母親から LINEが 届きます
「今年は こっちに帰ってこれるんでしょ?」
スケジュールは 何もありませんでしたが
正直に返信しました
「父親が望んでいないだろう
父親が何か俺に言いたいことがあるなら
きっと 話にもならないだろうし
そんな 年越しは
お互いに不毛だから
俺は 帰らない」
と…
しばらくたって
母親から また LINEが届きました
「お父さんも アルのことを 心配している
仕事は順調なのか?
体調崩していないのか?
そう 気にしている」
と…
その母のことばを
信じることは
できませんでした
あの父親が そのようなことを
いまさら いうのは
何らかの 意図が あるはずです
「一族の墓に お前は入れないことにした
これは 直接言う必要があった」
のような
「用事」
なのだろうと
すぐに 想像しました
しかし 母親は こう 言うのです
「私たちは アルを
勘当をしたつもりはない
わたしが アルに帰ってきてほしいと
思っている」
と…
母親は 昔から
父親の機嫌を 気にしながら
生きてきました
自分がやりたいことも
父親が許可しなければ
できず
しょうがない として
生きてきた女性です
ですので 少し
不思議な LINEだと
不思議な 母親の発言だと
そう
思いました
とても 悩みましたが
母親の顔を立てることにしました
「じゃぁ 一旦 帰ってみる」
そう 返事をしました
郷愁の無い地元――玄関の足跡
大晦日
実家へ 帰りました
自分の実家へ帰る という行為が
こんなにも 重い気持ちになる
とは… と
己の 家族運の無さを
自嘲しました
雪が積もる
昔歩いた
何の 郷愁も 浮かばない
忘れたい
子ども時代を
強制的に思い出させられる
風景の中を
歩いていました
~~~
実家が 見えてきました
ちらっと
父親の姿が 見えました
胸の中を
重く 不快な
嫌な 感情を
抱きました
父親に会うと いつも感じる
あの 感情を
抱きました
『そうだ この 感覚だった…
もう 感じることもないと
思っていたのに…』
ますます 重くなる足取りで
実家へ 向かいました
玄関前
先ほど 父親が立っていた場所には
父親はいませんでした
雪の上に
父親の 足あとが
ありました
ここに 立っていて
そして 玄関へ戻っていった
そんな 足あと でした
まず母親へ――短い返答
約2年ぶりの 実家の中は
実家の匂いも
実家の明るさも
変わってはいませんでした
母親は
すこし 離れたところから
なにげなく 話しかけ
なにげない 話をしていました
荷物を置くため
客間へ 移動すると
父親が 何か作業をしていました
「おう ひさしぶり
元気か?」
と 話しかけてきました
重く不快な感情の奥から
怒りのような 感情が
浮かぶことを 俯瞰しながら
それを 観察し
「・・・まぁ・・・」
と だけ 返事をし
すぐに その場を 離れました
実家は とても 居心地が悪いため
母親と二人で
年末の食材などを求めに
スーパーへ車で出かけることにしました
わたしは 少し 迷っていたことがあります
会社を辞め 県外へ移住しようとしていること
これを いつ 切り出そうか?
それを 悩んでいました
近況報告をすることさえ
悩まなければならない 家庭なのです
報告をした後
延々と続く
質問
批判
否定
が
容易に想像されました
スーパーでの 買い物中の
会話で
すこしだけ
母親との 距離が
縮まった 感触を 得ました
『ここで 移住について 切り出してみよう』
そう 思いました
母親の反応を見れば
父親の反応も 予想できます
どうせ 勘当された身です
ここで 母親が
あれやこれや
言い始めたら
母親と買い物袋を
実家におろし
わたしは アパートへ帰ろう
と腹をくくりました
「実はさ・・・」
わたしは 母親に 話をしました
母親の 返答は 短いものでした
「いいんじゃない
行ってくれば」
・・・
あまりのあっけなさに
拍子抜けしてしまいました
父ではなく――ひとつの身体の歴史として
実家へ帰ると
父親と 弟が 談笑していました
「あ お帰り 2年ぶりだね
あの時は やせ細っていたけど
いま 健康的じゃないか
よかった よかった」
という 弟は
「おれ ちょっと 風呂入ってくるわ
その間 親父さん 施術してやってよ
肩が張ってるってさ
調子悪そうだからさ」
そう言って 弟は 浴室へ消えていきました
父親は
「いや 悪いな 頼む」
と すでに 施術を受けることが 決まったかのように
こたつの横で 仰向けに 寝ていました
わたしは 父親を 施術など
したことは ありませんでした
何かが
わたしの 想定と
ずれ ていました
予想以上に
空気が 軽い のです
これが クライアントさんのご自宅で在れば
「いい感じに なってきましたねぇ~」
と にっこにこで 言えるのですが
この実家では
わたしは この軽さへの
重い違和感を
眉間のしわで 耐えるしかできませんでした
「お父さん 楽しみにしていたんだから してあげて」
母親が 促します
こころの中で ため息をつき
父親を 施術することにしました
~~~
よい状態
とは 言えませんでした
むしろ この状態で
「少し肩が張る」
程度の自覚症状であることに
驚かされました
自分の 施術家としての スイッチが
入った 感覚を得ました
もう そこにいるのは
父親ではありませんでした
ひとつの 信念 と 感情 と
歴史が刻まれた 身体
としか
見えませんでした
他者から 受けたであろう 感情
「妬み 嫉み」
が 取り囲んでいました
「何もしなければ 自分が消えてしまう」
「ここは 故郷ではない」
そんな 信念が
自分の身体の自由を 奪っていました
わたしは パイプとなり
それらを 流しだし
必要なものを
その体に 導いていきました
「なんだこれは?
これは リハビリなのか?
宗教的なものなら やめてくれ」
と 父親はいつ言うだろうか?
そう 思っていましたが
いつの間にか 父親は
穏やかな表情で
寝ていました
和解ではない――ただ理解を
「不思議だ 不思議だ
体が
軽い 軽い」
施術後
父親は しきりに言っていました
その理由を言うつもりはなかったので
わたしは コメント しませんでした
結局
晩餐に 参加しました
弟の妻と子供たちは
今回は 妻の実家へ
帰っているとのこと
もともとの 家族構成
父 母 弟
そして 勘当されたはずの長男である わたし
が
四角いこたつを囲み
ビールで 乾杯を しました
父親は
饒舌でした
~~~
父親が
かつて抱いていた 感情を
ここまで 話をするのは
初めてではないか?
そう 思いました
それまで縁がほとんどなかった
新潟へ来た
もともと やっていた会社員は
うまくいかず 辞め
再起をかけて つかんだ仕事
新潟では
「外部の人間」
そう 思われながら 仕事をしてきた
ここで 仕事を通して
認められなければ
自分がいなくなっていく…
地元であれば
強力なコミュニティがあるが
ここ 新潟 にはない
存在が認められなければ
ここで 消えていってしまう…
そういう 思いで
仕事に邁進し
そういう 思いに
捕らわれてもいた
それは 時に
他者からの
妬み 嫉みの
感情を強く
受けることにもなったでしょう
父親は
それの 解消方法を
さらに 認められる方向へ
邁進する方法しか
知らなかった
それ以外
できなかった…
キャリアの 途中で
長男である わたしが
失業
それに伴う
社会的な制裁を受けた時にも
職場の上司から
「息子さんのことは
あなたの評価には
影響しない」
と 言われ
安堵したと 聞いています
父親には
その 生き方しかできず
その 生き方を
手離すことは
たとえ 家族が その手を
こちらに 差し出してほしいと
望んだとしても
決して離すことができない
手
だったのでしょう
~~~
過去の内省(記事)で
なんどか 登場している
父親
わたしを アダルトチルドレンにさせ
軽蔑する対象でしかなかった
父親
わたしは
そんな 父親に
失望 しながら
どこかで
その手が
わたしに 伸びてくることを
期待していた
望んでいた
助けてほしいと
願っていた…
・・・
そう
今回 初めて 理解しました
父親を 父親として
思う気持ちには
とても なりませんが
父を
理解できた
感情の部分から
理解できた
そう 思えました
~~~
父親は
よく 笑っていました
わたしに 声をかけることは
いったん わたしの 様子をうかがってから
声を かけてきましたが
わたしが 不快に 思うようなことは
ありませんでした
わたしの 移住についても
賛成 してくれました
「その地域は 一族の ルーツに近い」
と 祖父や祖母について
それまで 知らない 話を
してくれました
父親なりに
わたしの 移住に
土地の縁
を
感じていたようです
50時間――命の意思
ひょんなところで
わたしの 母子手帳を
見かけ
なにげなく 見てみました
第2頭位(←逆子のこと)
そして
分娩所要時間は
約50時間
生まれて しばらく
呼吸もしていなかったそうです
そこまでして
そうまでしても
わたしは
この家に
生まれようと
していた
そのことを
初めて
知りました
これが
わたしの
新年でした
みなさま
あけまして
おめでとう
ございます

