【小説】会社員スキルがカンストしていた俺は、勇者と魔王のあいだを回すことになった(12/16)
第12話 裏方に戻った男が、一番強かった
報告が入った瞬間、部屋の空気が変わった。
「第四警備隊、前進準備!さらに、魔王軍側でもドラグ配下の小隊が境界近くへ出たとのことです!」
使いの兵は息を切らしていた。喉が張っていて、言葉の終わりが少しだけ浮く。
北の現場では、もう声の大きさで空気が決まりかけているのだろう。
都築壮太は机の上の紙へ手を置いた。
やはり来た。
補給票の形で仕込まれていた火種が、ようやく本物の火になろうとしている。
部屋の中には必要な人間だけが残っていた。
エリシア。ミリア。セリナ。
ハンスとガルドはまだ部屋の端にいて、レオンは扉の近くで立ったまま、すぐに動ける姿勢を崩していない。
「北だけか」
ハンスが低く問う。
「今のところは!」
「“今のところ”か」
ガルドが舌打ちした。
壮太は返さず、机の上の紙を一気に三つへ分けた。
補給票。未承認の前進申請。北境界の簡易報告。さらに、魔王軍側の小隊接近の報。
全部を同じ重さで見ていると遅れる。いま重いのは、兵が前へ出る理由になる紙だけだ。
「ミリアさん」
「はい」
「西の報告は後です。北だけ先に」
「分かりました」
「セリナさん、北の地図。第四の先頭位置と、第三の見張り線の間隔を見たいです」
「もう見てる」
セリナは地図を机へ引き寄せた。
「第四がここ。第三がここ。これ、第四が半歩前へ出ただけで、第三も視界に引っぱられるわね」
「やっぱり」
「都築」
レオンが言う。
「順番は」
その問いに、壮太は一瞬だけ息を入れた。
前へ出るのは簡単だ。
ここで自分が走れば、自分が言えば、自分が紙を振れば、少なくとも一部は止まるかもしれない。
でもその“かもしれない”に酔って失敗したのは、つい昨日までの自分だ。
「先に王国側の足場を剥がします」
壮太は言った。
「第四が前へ出る理由をなくす。
そのあとで、向こうの本隊にドラグ配下を切らせる」
「具体的には」
エリシアが問う。
「ベルトラムの前進申請、未承認のままですよね」
「ええ」
「それを現場へ先に通す。
“王国の前進命令ではない”と、兵の目に見える形にする」
ハンスが腕を組んだままうなずく。
「それなら現場で切れる」
「ガルドさん」
壮太は顔を上げる。
「第三を第四の前へ」
「壁になれってことか」
「はい。第四だけで線へ出ると、“王国が動いた”に見える」
地図の北側を指でなぞる。
「でも第三が間へ入って止めてる形が見えれば、少なくとも“王国の総意”には見えにくい」
ガルドは鼻を鳴らした。
「面倒だが、効くな」
「レオンさん」
壮太はそのまま続ける。
「北へ向かってください。でも境界へは入らない」
「分かってる」
「やることは、敵を追うことじゃない。第四を止めることです」
レオンは短くうなずいた。
前のようにぶつからない。その代わり、壮太の言葉が本当に現場で使えるかを見ている顔だ。
「向こうには?」
セリナが聞く。
「さっきの照会文の返答待ちです」
壮太は机の上の紙へ目を落とした。
「来ればいい。来なくても、もう一通打つ」
「強気ね」
「強気というより、今日来ないと向こうも困るはずです」
そこまで言った時、エリシアが別の紙を差し出した。
「これを」
ベルトラムの前進申請だった。
承認欄は空白のまま。下に雑な仮印だけがある。
壮太は紙を見て、少しだけ目を細めた。
「……早いな」
「ええ」
エリシアの声も冷えている。
「誰かが、正式承認より先に空気で通すつもりだったのでしょう」
「ろくでもないですね」
「かなり」
その“かなり”が、今日は妙に腹へ落ちる。
「これを写しで二つ」
壮太が言う。
「一つはハンスさんへ。もう一つはレオンさんへ。
現場で“未承認”を見せてください。口で言うより紙で見せたほうが速い」
レオンがその写しを受け取る。
「お前は?」
「ここです」
「分かってる」
その返しが、少しだけありがたかった。
◇ ◇ ◇
部屋から人が減ると、紙の音が大きくなる。
レオン、ハンス、ガルドが出ていき、エリシアは承認印の停止と文書整理へ戻る。
ミリアとセリナだけが残った。
壮太は机へ向かい直し、残った紙を一枚ずつ動かした。
「それ、今見るんですか?」
ミリアが聞く。
「今です」
「でも、西の報告も来てましたよね」
「それは後」
壮太は即答した。
「今見るべき紙と、今はまだ見なくていい紙を分けないと、全部が同じ重さで来るので」
「……怖いくらい速いですね」
「前の職場で、“全部急ぎです”って言われ続けると、だんだん見分けがつくようになります」
セリナが壁の地図を見たまま言う。
「その能力、ずいぶん嫌な育ち方してるわね」
「否定しません」
壮太は次の紙を引き寄せる。
「ミリアさん、西の報告は保留。
北の追加だけ先に。
第四の隊列の位置が来たら、数字より先に持ってきてください」
「はい」
「セリナさん、第三の位置、もう少し北へ寄せても混ざりませんか」
「寄せるだけなら。でも近すぎると、逆に第四の顔を見て熱が移る」
「じゃあここだな……」
壮太は地図の一点を指で押さえた。
「ここなら、壁になるけど同じ熱には入らない」
セリナが少しだけ目を細める。
「そうね。そこなら“止めに入ってる”のは見えるけど、混ざりにくい」
ミリアが小さく言った。
「都築さん」
「はい」
「走らないんですね」
「走りたいですよ」
壮太は紙から目を離さないまま答えた。
「かなり」
「でも、走らない」
「今の自分が前に出ると、たぶん余計なことを言います」
その返しに、ミリアは少しだけ笑った。
「自覚、増えましたね」
「痛い思いをしたので」
セリナが言う。
「でも今日は、その自覚があるぶんマシね」
「褒めてます?」
「三割くらい」
「低いな」
「残り七割は、まだ何かやらかしそうだから」
「信頼が薄い」
「実績があるもの」
そこで扉が開いた。
使いが一人、封書を持って入ってくる。
「魔王軍側より、返答です!」
部屋の空気がまた一段変わる。
エリシアがいないので、壮太が受け取った。封を切る。紙を開く。
『王宮停戦調整室宛
受領。
北境界における補給票・通行許可証の不一致について、
こちらも本隊の意志とは認めない。
ドラグ配下の一部が独断で前進した可能性が高い。
こちらは北の前進を停止する。
不可侵対象と停戦線は維持する。
王国側も、勇者を境界へ入れぬよう求める。
なお、当方は現在、前線再編および補給線の組み替えの途上にある。
この時期の独断前進は、対王国以前に、魔王軍本隊の指揮と兵站を乱す。
よってドラグ配下には本隊命令を下した。
従わぬ場合は、停戦への配慮ではなく、統制破壊の廉で処分する。
カイゼル・ノルド
ヴァルゼイン承認済』
壮太は最後の数行を、もう一度読み返した。
前線再編。
補給線の組み替え。
統制破壊の廉。
そこまで書いてくるなら、向こうは善意で止めるのではない。
今ここで停戦を壊されると、一番困るのは魔王軍本隊のほうだという意味だ。
「……切りましたね」
壮太が言うと、ミリアが紙を覗き込んだ。
「向こうも、本気で困るんですね」
「ええ」
壮太はうなずいた。
「ドラグ配下は、王国と戦いたいというより、本隊の統制ごと壊したい動きです。
だからヴァルゼインは止める」
「停戦を守りたいから、というより……」
「戦う時期を決める権利を、ドラグなんかに渡したくないんでしょう」
それでようやく、北の盤面が揃う。
王国側でも独断前進を切れる。向こうでもドラグ配下を切れる。
「セリナさん」
「何」
「ハンスさんへこれを。
“向こう本隊も独断と認定。こちらも第四を独断で止められる”って」
「了解」
「ミリアさんは、レオンさんへ。
“境界を越える必要はない。向こう本隊も止めに入る”って」
「はい」
二人が動いたあと、壮太は一瞬だけ机へ両手をついた。
ここで自分が現場へ行けば早い。
ベルトラムの前で紙を広げ、その場で言葉を重ねて、押し切れるかもしれない。
そういう想像が一瞬だけ頭をよぎる。
押し切れるかもしれない。
でも、そのあとで余計な一言まで足す。相手の顔を踏む。必要ない敵まで作る。
そこまで込みで見えるようになったのは、たぶん少しだけ進歩だった。
「……頼むぞ」
誰に向けてか分からないまま、そうつぶやいた。
◇ ◇ ◇
次の報告は、重なって来た。
まず、ハンスから。
第四、前進を試みるも、隊内で停止命令に従う者が出た。
未承認申請の写し提示済。
隊列、割れ始める。
続いて、レオンから。
北着。第四の先頭を停止。
境界は越えない。
向こう本隊の動き待ち。
そして三通目。
魔王軍側小隊、前進しかけるも、本隊から制止。
ドラグ配下、命令系統で揉めている模様。
壮太は紙を並べて、ようやく小さく息を吐いた。
止まり始めている。
完全ではない。
だが、ただ怒って前へ出るだけの流れではなくなった。
その時、扉が乱暴に開いた。
「現場追加報告!」
使いの兵が、今度は紙を二枚持って飛び込んでくる。
「第四先頭、停止しかけるも一部がなお前進主張!
ベルトラム隊長、自ら前へ出ようとしています!」
壮太は紙を受け取った。
そこには短い現場走り書きがあった。
レオン殿、第四の先頭で停止命令を発する。
ベルトラム隊長、“待てば被害が増える”と強く主張。
隊列、割れつつあり。
もう一枚には、さらに短く。
レオン殿発言
『それは王国の命令ではない。下がれ』
壮太はその一文を見て、少しだけ目を閉じた。
やっている。
ちゃんと、こちらの順番どおりにやっている。
「都築殿!」
また別の使いが駆け込む。
「魔王軍側でも、ドラグ配下が押し出しかけたところへ本隊の伝令が割り込み、“ヴァルゼイン承認済み”の命令書を示したとのことです!」
セリナが息を吐いた。
「向こうも同じことをしてるわね」
「ええ」
壮太はうなずく。
「本隊と独断を切り分けてる」
その言葉が口から出たところで、扉の外に荒い足音が止まった。
セリナとミリアが同時にそちらを見る。
「来たわね」
ベルトラムだ。
◇ ◇ ◇
扉が開いて、ベルトラムが入ってきた。
鎧姿のまま、肩で息をしている。目だけが熱い。
兵を率いたまま来たのではなく、一人で来ているところが逆に危ない。今はまだ“王国の隊長”の顔を残している。
「何故止める!」
部屋へ一歩踏み込むなり、それだった。
「敵は動いている!今叩かなければまた被害が出る!」
壮太はすぐには返さなかった。
最後まで言わせてから、机の上の前進申請書へ手を置く。
「正式命令が出ていません」
ベルトラムの目が険しくなる。
「現場を知らぬ机の話だ!」
「机で止まる話だから、止まってるんです」
壮太は言った。
「前進申請は未承認。補給線も整っていない。
今あなたが前へ出ても、“王国が動いた”ではなく、“ベルトラム隊長が独断で動いた”と記録されます」
「そんな記録など――」
「残ります」
壮太は遮らず、だが間を与えずに言った。
「しかも、向こうの本隊はドラグ配下を独断と認定しました」
返答文を押さえる。
「ヴァルゼイン承認済みで、北の前進停止です」
ベルトラムの顔が一瞬だけ止まる。
「……だから何だ」
その声は、さっきより少しだけ低かった。
怒りが消えたのではない。足場が揺れたのだ。
「今ここであなたが前へ出る理由は、“王国を守るため”じゃなく、“停戦を壊したい誰かの思惑どおりに怒るため”になります」
「被害が出たら、誰が責任を取る!」
その一言は、怒鳴り声というより、喉の奥からこぼれたものに近かった。
「王都は紙で止める。
待てと言っているあいだに、北で死ぬのは兵だ。
それでも待てと言うのか!」
壮太は少しだけ黙った。
そこは、否定しないほうがいい。
「悔しいのは分かります」
そう言うと、ベルトラムの眉が動く。
「待てと言われるあいだに被害が増えるかもしれない。
現場ばかりが損をしているように見える。
それで前へ出たくなるのも、分かります」
ベルトラムの呼吸が少しだけ乱れる。
真正面から“分かる”と言われると思っていなかったのだろう。
「でも、だからこそ正式命令で動くんです」
壮太は一拍だけ置いた。
「あなた個人の怒りに、王国の名を被せるな」
言い切ってから、壮太は口を閉じた。
前ならここに、もう一言足していた。
今日は、そこで止まれた。
ベルトラムはしばらく動かなかった。
怒りは残っている。納得もしていない。
だが、“今この場で押し切るための足場”がなくなったことだけは、本人も分かっている顔だった。
「……貴様」
それだけ言って、歯を食いしばるように息を吐く。
「覚えておけ」
安い捨て台詞だな、と一瞬だけ思った。
でも、その感想まで口に出さないだけの余裕は、今日は残っていた。
ベルトラムは踵を返し、扉を荒く閉めて出ていった。
部屋の中が、しばらく静かになる。
「今のは」
セリナが先に言った。
「かなり効いたわね」
「そうですかね」
「ええ」
ミリアも小さくうなずく。
「都築さん、今日はちゃんと止まれてました」
「何をですか」
「余計なところです」
その言い方に、壮太は少しだけ苦笑した。
◇ ◇ ◇
日が傾くころには、北の火はだいぶ小さくなっていた。
第四は、未承認の写しを見せられてなお押し切ろうとした兵がいたが、隊の半分は止まった。
そこへレオンが境界を越えずに前へ立ち、“敵へ向かう勇者”ではなく、“王国側の独断を止める勇者”の顔で声をかけた。
後から届いた現場報告には、こうあった。
レオン殿、第四先頭へ到着。
「王国の命令ではない。下がれ」と明言。
ベルトラム隊長に従う兵と、停止命令に従う兵で隊列が割れる。
第三警備隊、間に入る。
壮太はその一行を、少し長く見た。
向こう側でも、ドラグ配下は押し出しかけたが、本隊の伝令が割って入り、命令書を示して引かせたらしい。
しかも、その命令書にはヴァルゼインの承認が入っていたという。
戦をやめたいからではない。
戦を始める時期を決めるのはドラグではなく、本隊だと示すための命令だった。
そこにもまた、レオンとは別の“王としての線引き”がある。
最後に戻ってきたのはハンスだった。顔に土と疲れが残っている。
「現場は持った」
「どこまでですか」
「今夜はもつ。第四は割れた。
ベルトラムにそのままついていく兵ばかりじゃなかった」
ハンスは机の端に手をつく。
「未承認の紙が効いた。
あれがなければ、“今ここで動いた奴が王国のために動いた”顔をされたままだった」
「向こうは」
「本隊がドラグ配下を引っ張った。かなり強引にな」
ハンスは少しだけ口元を動かした。
「現場は助かったぞ」
その言い方が、壮太には思ったより重く入った。
「……そうですか」
「お前が来て余計なことを言わなかったのも大きいな」
少し遅れて入ってきたガルドが言う。
「ひどいな」
「でも本当だ」
ガルドは鼻を鳴らす。
「今日は、お前が来ないほうがまとまった」
それもまた、たぶん本当だった。
最後に戻ってきたのはレオンだった。肩に土をつけたまま、机の端へ手をつく。
「止まった」
「完全に?」
壮太が聞く。
「今夜は持つ」
短い返答だった。
だが、その短さで十分だった。
「第四は?」
「割れた。ベルトラムが押しても、下がる兵がいた」
「向こうは」
「本隊が出てきた。ドラグ配下を引かせた」
壮太は地図の北の線を見た。
あの細い線の上で、今日、ぶつかるはずだったものが、ぎりぎりで止まった。
しかも自分は、一歩もそこへ行っていない。
「……そうですか」
「お前」
レオンが言う。
「今日は前に出なかったな」
「昨日怒られたので」
「それだけか」
「……それもあります」
少し迷ってから、壮太は続けた。
「今の自分が前に立つと、気持ちよくなるところまで含めて危ないって、少し分かったので」
レオンは一瞬だけ黙った。
それから、ほんの少しだけ口元を動かした。
「そこまで自覚あるなら、だいぶマシだ」
「褒めてます?」
「半分は」
「残り半分は」
「まだ危ない」
「安定してますね」
「簡単には消えん」
壮太は小さく息を吐いた。
悔しさはまだある。
表へ戻れないことも、完全には飲み込めていない。
それでも今日、自分は前に出なかった。出ないまま、火を止める形を作れた。
そのことだけは、少しだけ静かに腹へ落ちてくる。
「……机に戻ります」
壮太がそう言うと、レオンは短く返した。
「そこが今のお前の席だろ」
その一言は、前なら少し苦かったかもしれない。
今日は、思ったより素直に入った。
◇ ◇ ◇
夜、部屋へ戻ると、机の上に一枚だけ紙が置かれていた。
新しい補給確認表だった。
端まできれいに揃えられていて、上に小さく付箋が貼ってある。
先に都築殿へ
字は、あの若い文官のものだった。
壮太はその一言を見て、しばらく黙った。
表へ戻ったわけじゃない。
肩書きも変わっていない。
でも、机の位置だけは、前より少し自然になり始めている。
「……まだ来るんだな」
小さくつぶやいて、壮太は紙を手元へ引き寄せた。
北の火は、今夜は持った。
だが、それで全部が終わるわけではない。
西も、南も、まだ残っている。
それでも、今日は一つ分かった。
前に立たなくても、流れは変えられる。
紙を置く順番を変え、誰がどの言葉で出るかを決めれば、止まりかけたものを止め直すことはできる。
壮太はペンを取った。
机の上の灯りが、小さく紙を照らしている。
今日の北は、ぎりぎりで止まった。
だが、火種を蒔いた側がこれで諦めるとは思えない。
だったら次は、もっと大きい火が来る。
壮太は補給確認表へ最初の線を引いた。
どうやら、まだ終わりではないらしい。
