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推しの小さな変化に、なぜか気づいてしまう 

特別なことは、何もなかった。
ただ、いつもの夜だった。

推しの新しい映像が出て、見た。
何度目かもわからない。
それなのに、また違う何かに気づいてしまう。

今日は、指の動き方だった。

「あ、ここ前と違う」

声に出したわけじゃない。
ただ、心の中の何かが、静かに反応した。

メモしておこうかと思って、でもしなくて、
代わりにもう一回だけ再生する。


「推し活してる?」と聞かれると、少し答えに迷うことがある。

ライブに何十回も行って、
グッズを全部集めて、
最速でトレンドを追いかけて
——そういう熱量がないと、ファンとは言えない気がしてしまう。

でも。

気づいたら、自分だけが見えているものができていた。
全部を追っているわけじゃない。
ただ、ひとつの場所を、ずっと見続けていた。

衣装かもしれない。
歌声かもしれない。
ダンス、表情、言葉、作品。

惹かれる場所は、人によって違う。

全部を同じ熱量で追っているわけじゃない。
でも、なぜか目が離せない場所がある。

人が流して見る数秒。
誰かが気づかない小さな違い。
そこに、その人らしさが詰まっている気がした。

気づけば、好きなものを見るための
自分だけの解像度が上がっていた。

小さな変化に気づく。
昔と今を見比べる。
ひとつの違いを発見した時の、あの静かな高揚感。

「そんな細かいとこ分かるの」と言われることがある。
分かるというより、見えてしまう、という感覚に近い。


こういう人には、たぶん共通のあるあるがある。

普通なら流してしまう数秒に、なぜか目が止まる。

衣装の細かい違い。
振付のニュアンス。
歌い方の変化。
表情の作り方。
作品の中に隠れたこだわり。

「そこ見てたの?」と言われるような場所ほど、気になってしまう。

好きな分野になると、急に解像度が上がる。

「この時期から表現の仕方が変わった」
「前はこうだったけど、今はこう見える」
「ここ、実はすごくこだわってると思う」

気づいたら、ひとつのことについてずっと話している。

詳しくなろうと思ったわけじゃない。
ただ好きで見続けていたら、
いつの間にか、人より少しだけ細かいところまで見えるようになっていた。


幸せを感じるのは、派手な瞬間じゃない。

もちろん、大きな発表や、忘れられない現場もある。
でも、それよりも。

「ずっと見てきたから、分かった」

そう思える瞬間が、静かに嬉しい。

積み重ねてきたものが、ある日ふいに繋がる。
過去と現在が線になる。
誰かには何でもない一コマが、自分にとってだけ意味を持つ。

そういう瞬間が、好きだった。 誰かと共有しなくても、
自分の中でちゃんと完結している、あの感じ。


苦しくなるのも、わかりやすい「事件」がある時じゃない。

自分には確かに見えているものが、
うまく伝わらない時。

こんなに細かいところまで考えられているのに。
こんなに変化しているのに。
こんなに、その人らしさが出ているのに。

「そんなところまで見てるの?」
と笑われることがある。

自分にとっては大切な違いなのに、
他の人にとっては小さなことに見える。

その温度差に、少しだけ寂しくなる夜がある。


もしかすると。

大切だったのは、推しそのものだけじゃなくて、
「自分だけが気づいていること」が
少しずつ増えていく感覚だったのかもしれない。

見続ける中で、自分の視点ができていく。
それは収集でも、義務でもなくて。

ただ、好きなものをそうやって愛する、
というだけのことだったのかもしれない。


自分の推し方に、名前をつけたことがあるだろうか。

熱量が大きい人もいれば、深さで愛する人もいる。
広く追う人もいれば、一点を掘り続ける人もいる。
どれが「正しい好き方」かなんて、たぶんない。

ただ、自分がどんなふうに誰かを好きになるのかを知っていると、
追いきれなくて苦しくなった時に、少しやさしくなれる気がする。

「なんで私はこんなに細かいんだろう」じゃなくて、
「ああ、私はそうやって好きでいるんだ」と。


もしこの記事を読んで、
「私もそうかもしれない」
と思ったなら。

それは、ただ詳しいだけじゃなくて、
誰かが見落としてしまう小さな輝きに、
気づける人なのかもしれません。 

これから少しずつ、
いろんな"好きの形"を整理していきます。


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