「意見は通っていた。でも、責任を背負っていたわけじゃなかった」
① 意見は通っていた。でも、どこか軽かった
スペインに来て1年目。
正直、かなり意外なスタートでした。
当初の予定では、
「ある程度スペインに慣れてから、1〜3か月後に試合帯同」
という話で研修が始まっています。
ところが、スペイン挑戦が始まって2週間、3週間ほど経った頃には、
すでに**トレーナーがいない高校年代カテゴリー(2部)**への
試合帯同を任されることになりました。
想像していたよりも、圧倒的に早い段階で
毎週の試合に帯同する立場になったのです。
さらに驚いたのは、
当時ほとんどスペイン語が話せなかったにも関わらず、
翻訳機やメッセージを使いながら伝えた
自分の意見が、否定されることなく通っていたことでした。
怪我の状況、リハビリの進め方、復帰までの考え方。
僕が「こう思う」と伝えたことが、そのまま尊重される場面が何度もありました。
今振り返ると、
日本でトレーナーとして活動してきた背景や、
「プロとしてスペインに挑戦している人間」として
見てもらっていた部分はあったと思います。
また、怪我人管理を担うフィジカルコーチが別におり、
その人が選手や他スタッフと会話した情報も含めて
最終判断がなされていた側面も大きかったはずです。
つまり、
自分の意見は伝わっていたけれど、判断材料の一つでしかなかった。
当時はそこまで深く考えていませんでしたが、
今思えば、意見は通っていても
“重さ”はまだなかったのだと思います。

② 1年目の最初から、意見は普通に通っていた
トレーナーとして、
怪我人のリハビリ管理や復帰基準の提示は自分の役割でした。
「この怪我はどれくらいかかるか」
「復帰までに何をすべきか」
1年目で言葉が十分に話せなかった分、その場では伝えきれない内容を、
帰宅後にメッセージで整理して
チームのグループに共有するようにしていました。
すると、
「AKIが2週間と言っているから2週間休ませよう」
「AKIがこういう怪我だと言っているから、そう判断しよう」
そんな言葉を、監督やコーチ陣が自然に使ってくれていました。
正直、
「1年目で、ここまで自分の意見が通るんだ」
と感じていたのも事実です。

③ でも、その意見には“重さ”がなかった
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